教会音楽を聴くことの楽しみを具体的に示してくれるのが、このメッテ(朝課)です。朝5時35分に家を出ました、
何だか嫌な予感、人の気配が妙に濃密なのです。
朝6時、まだ暗い内から始まるこのお祈り、今年は立ち見がでるという騒ぎでした。
何か悪い冗談を見ているようでした。このお祈りは近所の人達や熱心な檀家さん達がひっそり集まって復活の祈りを捧げるものだと思っていたのですが、、、。
インターネットか新聞にでも載ったのでしょうか、ざわざわしていて落ち着きません。
このメッテ、キリスト教がいかにして、土着宗教を取り込んでいったかが、はっきり感じられるお祈りです。ながい冬が終わって太陽が復活してくることと、キリストの復活をみごとにからめて、教義を説けば民衆の納得も簡単に得られたことでしょう。
その中で、1600年代に作られた曲を聴けることは何にも代えがたい喜びです。静かに闇の中から一条の光りが差し込んでくるように演出(この言葉を使うのが憚られますが)するのが定石(この表現も気に入りませんが)であったはず。それが通常のFestgottesdienstのように華やかに(騒々しく)やられたら、疑問がのこります。
じつは、昨年から急に騒々しくなったのです。
闇夜から夜明けにかけて、静寂から動への流れを静かに味わうことはできないのかと喪失感にとらわれた朝課でした。
後ろを向いているのでは無いだろうかと、ふと自問してみました。
”昔は良かった”とやり始めると、マズイですから、、、。
写真: 教会内で使ったローソクです。
トマンナから火を移してもらいます、ローソクの火が教会内に広がって一気に明るくなるときが好きです。
人形の肩にローソクを立てかけたら、偶然しっかり止まったのでそのまま撮影!手抜きです。
お祈りの最中、ロウが手の上に流れ落ちましたが熱くても耐えられました。
それは、、、
想像するだに寂しいですね、、、
(人が増えたというのに逆説的ですね)
あのMette、未だに忘れられません。
あの、Regensdorfさんが持ってきたちょっと違うロウソクとか(笑)
自分のジャケットの上にロウソクを垂らしちゃったこととか
前の方にしか人がいなくて、ほんとにいいMetteでしたよね。
Regensdorfさんの言い分はよぉーく分かります。
私も後ろ向きまくりなんでしょうね(^^;)
あの頃の自分が可愛らしく思え笑ってしまいました。
心がざわざわしてしまったので、家に帰って般若心経を聞きました。自分の中の宗教観と離れてゆくMetteと日本的な価値観を凝縮したようなお経。
キリスト教の中に、日本的なるものを発見して喜んでいたのは、単なる思い違いでしょうか?
ただ一つの救いは、ビラーさんの充実ぶりです。彼の体調が万全になったのか、音楽家としての彼の本領がハッキリと分かったこのオスターでした。
ライプツィヒに寄るかどうか迷ってるんですが、
このブログ読んだら行きたくなっちゃいました!
音楽の研究をされてる方ですか?文章中にドイツ語が
自在に使ってあってすごいですね!
私はドイツ語が全くダメなので着いたら通訳してください~~(泣)