星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

インターネットの片隅で

2022-09-27 22:06:25 | 日記

9月27日

今まで書いてきたブログを1から確認する作業を、およそ3日間かけてやり終えました。

そこまでの量を書いているつもりもなかったので、数時間ほどで終わると思いきや、意外とそんなこともなく、修正したり削除したりと、少々めんどくさいこともやってのけなければならないほどに、いろいろなことが書かれていました。特に誹謗中傷があったわけではありませんが、少々憂鬱が過ぎるような文面に、きな臭くも感じまして、あまりにもひどい場合には訂正に至るのでした。そして読みやすさを意識した改行が随所に見られたのですが、逆に変な空白めいたものがちらつくようでして、しょうもない小細工に感じたので、大量の空白を埋めていく作業をしていたのでした。

自分の過去に残してきたものは、何も大したことが書かれていない日記でした。それで自分はとにかく安心したように感じます。多少無理矢理にも憂鬱さを引き摺り回して過ごしてきた時間が、自分にとっての何よりの普通の日常であることは間違いありません。それを曝け出すための日記でもないのですが、結果としてそんな暴露にも見えてきます。この文章は自分にとってあくまで一つの性格の一面でしかなく、他の現実は他の自分で賄っていたりします。それはどの人でも変わらない性質のものと自分は思っています。友達といる時、家族といる時、上司といる時、常に同じ自分が表立っていくことは難しいと思います。それの応用で、このブログにはこのブログで出すべき自分が曝け出されていきます。

それが割としっかりと出来ていたのではと思い、私は安心したのでした。それこそ文章はおざなりなところがかなり多く、基本的に病んでいるのがメインだと思います。誰が決めたわけでもありませんが、それこそが自分がこのブログで出すべき時の自分を、その時を見計らうまでもなく出しているように、文章を読み返していて思うのでした。

しかし、そのニュアンスはなんとなくわかるように思うのですが、如何せん伝えたいことの力が文章に及んでいない気がするのでした。少し手を抜いているようで、力をセーブしている。まるでこのブログに出す力なんてこの程度でいいだろうと言わんばかりのように。

最近それに気づいたところもあり、しっかりと文章を書くようにしています。やるならやる、やらないならやらないではっきり線引きを図りたいと思うが故です。とは言っても、自分は住環境が色々と変わってきたこともあって、忙しい時、心にゆとりがない時、さまざまありました。今のような与論の静けさで、タイピングする音だけが響くこと環境なんて稀だったのです。今はこうして力を入れた文章を書くことができるのは、それが出来なかった時期を超えてのものだということも、こうして振り返ってわかることのようです。

今の自分がどれほどの恩恵を受けて生活しているのかは、振り返ったりした時、過去の対比、いろんな時間軸の意識の中で見つけ出されれるものです。のうのうと生きていたらまず見つかりません。こうした意味でも、「記録」する作業はかなり有意義のものであり、続けていく一つのモチベーションになりそうな具合です。

これからも続けていくことでしょう。ひっそりとインターネットの片隅で。

 

 



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