五次元世界へ誘う魂の道案内 ブログ

現状脱却と内なる声、創化作用、瞑想と内観、祈り、グルに波長を合わす/人生のトラブルを解決する2

問題解決シリーズ 当旧HP2000/11/15---2020/9/26 ブログへ再編集して掲載

現状脱却と内なる声(会報1991年8月号より抜粋)

最近よく巷で囁かれることですが、特に若い人たちは刺激とか賞罰・緊急事態・恐怖・損得・他人の要求、そして外面的な事柄だけに反応するだけの、メカ的な人間に成り下がってしまい勝ちなのです。
つまり、本来の人間性を見失い「パブロフの犬」に成りかけている訳です。
これらは、社会が複雑になり急速に展開する世の中に追て行けないばかりか、日常の慌ただしさと喧騒に紛れ込んで誘惑に感応され易い人は、自分本来の秘められた個性・脳力を忘れ勝ちなのです。
ですから私たちは、充実した生活を送り、自分で人生を選んで進んで行こうとする積極的な戦略として、初めの頃は意識的にでも言動に心掛け、本質的な事物や価値に接することが必要なのです。
つまり、友人たちとのくだらない話題や付き合いに明け暮れる事なく、独りになる時間を作ったり、心が和む素晴らしい音楽を鑑賞したり、真理の話しを聞きに行ったり、高徳な人に逢ったり、名勝な自然の美や魅力的な絵画に触れたりする努力を続けて、メカ的な人間から脱皮を図らなければならないでしょう。

その中でも座禅とか瞑想は効果が高く、グルからの「内なる声を聞く」ことで魂の高揚も可能です。
様々な柵である過去の事柄について思い嘆くことなかれ、過去はすでに蚕が1眠り毎に脱皮した皮の様な存在であり、蝉や蝶の脱け殻みたいなものなのです。
ですから、自分を省みた時に過去の形が如何にあろうとも、それは現在の自己にとって何の関わりもないことです。
真に自分にとって大切なことは、脱ぎ捨てた過去の殻が如何なる形をしていると云うことではなく、その殻の中にあって如何に自分の魂が成長を遂げたかと云うことなのです。
如何なる困難や苦況も、如何なる失敗も決して完全なるマイナスと云うものは、人生には全然ないのです。それらは失敗ではなく魂の学習であり体験・修行だったのです。
どの様な事象が起きようとも、今は「内なる声を聞く」ということを、心に留めて置いて戴きたいのです。
★但し、ハイアーセルフから「内なる(天の)声を聞く」と言っても、例えば、かつて(宗)法の華の福永氏は著書にも書かれてある様に、正しい思想や人生観を持っていた訳ではありませんから、間違った解答が出て信者を誤った方向へと導いてしまった訳です。

アディトンの言葉より
「一度神に振り向いたならば、我々は神を信頼して、例えまだ現証が現れていなくても、神は既にその祈りに応えたと信じて、その様に行動しなければならない」
「神は智慧にして、吾は神の子なれば、吾全てを知り、全てのもの吾を知れり。然れば神の叡智は吾に天降り、吾は素晴らしい仕事を成し遂げ、世界の人は皆吾を知るであろう」
人生の学習と創化作用(会報1989年12月号より抜粋)

人間は生まれ以ってレールの上を走る電車の様に、善のみの軌道より他は走れない様なメカニック的には造られていないのです。
人間は、宇宙生命の現れである個として「自己実現」の途上(学習過程)にあるからなのです。宇宙生命は人間の自由意志と自由判断と、言動の自由とを与えました。
自らの自由判断によって自由に行動し、それによって宇宙生命を個として他者とは異なる方法・表現で「自己実現」するので、なければその存在価値の意義や意味とはならないのです。
ですから、まだ完全に宇宙生命体として全相を現していない、レベル的に低い霊魂の人間は、どちらかと云うと他者の犠牲(傷つけ害する)によって、自己の目的を遂げようとするものです。
そしてそれを何度も試みて一寸成功しても、やがてそれは失敗に陥ってしまうのです。
彼らはこの様な試行錯誤を通して、丁度、科学者が実験を重ねる様に他者を犠牲にして自己に築き上げた幸福は、決して永続するものではないと云うことを、何時か魂的に体験することになるのです。
それによって、その人の霊魂は一つの真理を獲得(悟り)し、それだけの分量・才覚をその人の宇宙生命の個体の実相として、完全さの一部が現れて来ることになるのです。
但し、レベル的に低い霊魂の人間であっても、人間としての価値は変わりません。

人間の思考力としての想念は現象顕現の「型」を造ります。
型を造れば宇宙に普遍する現象顕現の法則が自動的に働いて、その「型」の通りの事物を造り出す訳です。
だから人間の自由意志と自由判断と、言動の自由という権利は「諸刃の剣」でもあるのです。
日々の生活で起こる出来事に対する思考としての想念は、顕在意識から潜在意識へと移行するとイメージとして蓄積され、「創化の法則」によりやがて具体化されます。
本当に、心の操縦法(マネ-ジメント)ほど難しいものはないでしょう。
私たちに内在する潜在意識の持つ力、つまり「現象顕現の法則」のことを仏教では「阿頼耶識」とも云い、自他共に善悪の差別なく無条件に受け入れて、それを創化作用として現象化させる働きを持っているのです。
つまり例えば、第三者を粗末にする様な心では、潜在意識の情報は自他の区別が出来ず心理的に「自己同一視」をするため自分自身や大切な人を始め、所有するモノや事をも知らず知らずの内に粗末にしてしまうのです。
ですから、業因縁の展開をスムーズにして幸運を得る近道を示した、教義や真理を学び実行することが急務であるのです。
道具としての開運グッズは丁度、包丁です。肉、魚、野菜がスパッスパッと切れても美味しい料理はできません。腕を上げることです。

瞑想と内観の実践(会報1989年2月号より抜粋)

仕事や日常生活に於いて不都合な出来事や、混乱状態が起こって来た時に、その問題に感情が触発されて混乱してしまった心の状態で、何とかそれを収拾しようと思考しても恐らくは、一層混乱が酷くなるばかりになることでしょう。
何故なら、自分をとり巻くこの現象世界は心(意識)の展開であり、心が混乱すればする程、その現れとしての世界は混乱に陥るしかないからなのです。
その様な時に私たちは混乱せる現実の状態から一時的に心を心機一転して、落ち着かせ平静なる状態を瞑想によって、心にイメージとして思い描くことが大切なのです。
それには自分の心の波長を大自然の生命と合わせた一体感から、自然界の調和や秩序の波動を吸収して自分を取り戻し、周囲の現象世界に自然の持つ動きが自分に調和と円満とを現すように進展して来るのです。
この世界はキリストの云われた様に「汝の信ずる如く汝にまで成る」世界であり、釈迦の云われた様に「唯心所現」の世界ですから、自分の心(意識)に想う通りに展開して行く世界なのです。
全ては先ず心的要素が因になって、それが形の世界に具体化したのです。
解決する良い方法は、静かに過去の自分の心の持ち方を反省(内観)してみて、そこに欠点・穢れを見い出したならば、直ちに心の持ち方を心機一転し改めることが大切です。

神に祈り全託する(同上号より抜粋)

自分に如何なる問題・試練が起こって来ても常に明るい心を持って、それに立ち向かう気持ちと勇気が必要です。
人間智では到底に不可能でも、自らを支援・応援するハイアーセルフとか守護霊や指導霊なら、どんな難しい問題・試練であっても解決できるものです。
しかし、多くの人はこの時に自分の「我」の力のみで解決しようと思いますから、心・気持ちが力んで落ち着けず焦ることになり、益々と解決の方法を失ってどうすることも出来ない様な事態に陥るのです。
その様な時は速やかに守護霊や指導霊に心を振り向けて、肩代わりをして貰うことが良いのです。
そのためには「守護霊様や指導霊様は、全智全能の宇宙大神様と繋がっておられますから、どの様な難問題でも必ず解決できるのです。
私はこの問題を守護霊様や指導霊様に委ねます」と、繰り返し繰り返し心に念じて祈り、その問題を守護霊と指導霊に委ねるのがよいのです。
徹底的に自分の守護霊と指導霊に解決策を委ねたら、指導霊を通してインスピレーションなどとして、必ずその問題・試練を解決に導き給うのです。
それは自分に善い考えがふと思い浮かんで来ることもあれば、霊夢で善いヒントを見ることもあれば、誰か思い掛けないところから援助の手を、差し延べる人が出て来ることもあります。
何れにしても充分に祈った後に、その問題を解決すると思われるヒントや考えを得たならば、素直にそれに従うことが良い訳です。

グル・ハイアーセルフに波長を合わす(会報1991年4月号より抜粋)

今、あなたが如何なる大問題・大艱難に直面していようとも、その問題をあなたが解決し得ないということは決してないのです。
常にあなたと伴にある偉大なる指導者・ハイアーセルフ・グルが居られるのです。
その指導者はあなたをよく理解し、あなたの直面している問題をよく理解し、その問題を解決する聡明な叡知を備えているのです。
その指導者とはあなたの内に宿り給う神であり指導霊(グル)であるのです。その内在する神や指導霊・ハイアーセルフを思い出し感謝するがよいのです。
各自の指導霊・ハイアーセルフは私たちが思い出して念ずることをしなければ、別に強いて私たちの自由行動に干渉的な導きを加えられることもないのですが、私たちが指導霊・グルを思い出して頼り、助けを求める時は正しいアドバイスを与えて下さる様に、インスピレーションとして受け取ることが出来るのです。
人は神(高次の宇宙意識)との一体感が深まるに連れて、生命の本源なる無限者との波長が一層ピッタリ合う様になり、普通の肉体や精神力では到底できない様な奇跡的な力でも、発揮することが出来る様になるのです。
これに反して、余りにも心が物質的な事柄に捉われて個人(利己)主義的な心の持ち方となり、全体生命なる慈愛の神・グルとの波長が普通以下になってくる時、健全な生活が出来なくなり、色々なトラブルなどが現われてくる様になるのです。
ですから私たちは常に心・意識・思考を調べて、大生命の「声なき声」の導きを心の中で直感とか霊感として、感じ取ることが出来る様に修養しなければならないのです。
それには少なくても毎日1回くらい瞑想を実践して、心のチャンネル(波長)を神や高級霊・グルへ振り向け、普段から指導霊・神との交信の習慣をつけておくことが必要なのです。
私たち人間が神や指導霊を思い出して求めなければ、指導霊・グルは私たちの自発的な行動に干渉し給わないと云うことは、指導霊・神は人間に完全なる自由を与え給っていて、その自主的な体験を通して自己啓発が行なわれ、自己訓練・試練を通して自己の力によって魂が向上して行くことを、神や指導霊は願っていられるからなのです。
私たちが神や指導霊を思い出し念ずると云うことは、その神や指導霊・ハイアーセルフが囁かれている霊波という放送に対して、チャンネルを合わし波長を合わすことである訳です。
つまり、瞑想・座禅・心を込めての願いや祈りは、神や指導霊・ハイアーセルフからの放送を、私たちが受け取り易い状態にするための実践であると云えます。

今がチャンスと考えて、なるべくご自分で、問題・試練を解決出来る能力を身に付けておくことをお薦めします。
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