五次元世界へ誘う魂の道案内 ブログ

人生観と生き方と言動のエネルギーと因果律の関係を考察

コラム:なぜ中国人の道徳レベルは低いのか 1~9ページ
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/06/html/d96446.html
巨大な消費市場の中国へ入り込み、中共と中国人と付き合うには正しい知識が必要。
党文化と人権と教育と人間性と価値観と人生観
中共が行なう偏狭と歪曲した教育方針により、古来からの郷土文化の原点である民族固有の、伝統的な価値観に基づいた文化を喪失したとも言えます。
尚、未だ喪失して無いにしても政治思想や理念からして、社会の表に現すことが許されないのかもしれません。

もはや猛暑の避難施設?駅構内やIKEA店内で寝転がる人々 中国
http://www.afpbb.com/articles/-/3136840?cx_tag=pc_photo&cx_position=4#cxrecs_s

人間は教育を受けて学習により科学的な知識を身に付けても、人間性が出来てなく人格が低く品性が備わっていないと、社会へ出ても思考は限定されて知恵が湧かずにその応用が出来ないものです。
私たちの様に高尚な精神を持つ人間の行動は、力と運動に関する宇宙的な法則に支配されています。
つまり、動・反動(作用・反作用)の法則とか、循環の法則・フィードバックが作用して来る訳です。
さらには、行動のみならず口から出る言葉と文字に現した言葉は、昔から〘言霊〙と言われ力が宿りエネルギーであります。
エネルギーだから音声や文字を、電気信号に変換して増幅し電話や放送として遠方へ送れたり、インターネットでも活用しているとも言えます。
それ故に「祝詞」とか「祈り」とか、「経典」や「祈祷・法供養」などには《法力》が宿ると言われるのです。

かつてオスカー・ワイルド氏の言ったように「現実は言葉を模倣する」のです。
だから、「ペンは剣より強し」とか「紙の爆弾」とかと言われたり、権力者が民衆に対して「言論の統制・弾圧・迫害・封殺を行なう」訳です。
特にネットでは匿名性から人々の過激な欲望を始め、不平不満、嫉妬、怒り、恨み、憎しみ、闘争精神から荒らし、誹謗中傷などが顕に表現されて言葉と意識の波動が乱れ汚れて、暗黒で邪悪な思考や想念が渦巻いています。
これでは人が幸せを願いつつも知らずに不運や災難を呼び寄せていると言えます。
私たちは、それ故に善き言葉(想念)や明るい言葉とか、建設的な言葉や楽しい言葉を使わなければならないのです。

故谷口雅春氏(生長の家創始者)によると、戦争やテロ事件が発生する原因の根本は、小さな個人の利己的な怒りや闘争精神からすでに起こり、その闘争精神である悪想念の波が集まって集団的な闘争精神波の大きな渦巻きを作ると言われます。
その闘争精神である邪悪な想念波の強烈な波動渦巻きに感応した、某国の権力者とか政治への不平不満を強く持つ者が対立し、実力をもって闘争やテロ事件を始めると言われます。
さらには自然界も人々の過激な欲望や怒りやエゴや闘争心などの穢れが、邪悪で集団的な利己心に感応して浄化の大災害が起きるものです。

一方、心遣い・意識・思念・想念は、目には見えない領域に在りますから以前まではとかく軽視されて来ました。
当旧HP2010/3/8(当旧会報1988年4月号)の、「テレパシーの科学的な考察」で紹介しています様に、強い想念は思念感応として「以心伝心」や「精神感応」を始め、「テレパシー」とか「虫の知らせ」とか胸騒ぎが時折あります。
さらに「夢枕」とか、近年は「チャネリング」とも呼ばれ、言葉や文字や電波などを用いずに心と心の間で《念波》として、瀕死の重傷を負った時や亡くなった肉親などと交信し合う働きもあります。
それは自分が心の内に強く念じた想いが相手の心に感応して伝わる現象です。

真の人間は神道・神智学・心霊(研究)科学によれば、身体だけではなく次元的な多重多層界の存在であり、幾つかの階層領域から成る意識・心・魂・霊などですから、死者との〘霊界通信〙も可能となります。
諺にある「人を呪えば穴二つ」も同様に力が宿りエネルギーであり、作用・反作用や循環の法則を指します。
かつては非科学的の迷信だとして信じる人は僅かでしたが、心の時代に入るに伴い近年では精神作用に於ける、精神科学や深層心理学や脳科学として新しい領域が明らかになり、思考の働きに応じて脳波の変化として現れて来ることも明らかになっています。
最近の脳波を活用したBMI技術では、心(頭の中)で念じた時に発生する脳波を頭部より検出して、コンピューターで動きの変化を解析して腕に見立てた機械の義手を動かすことで、テーブルに置かれた飲み物が入ったコッブを掴み口まで運んで飲むことが出来ます。
つまり、心遣い・意識・思念にも力・エネルギーがあると言うことであり、言動と同様に力と運動に関する法則が働くことになります。

アメリカで近年に発見された研究で、人間の脳からは脳波とは異なる、ある種の未知なる電波らしい信号・波動が日常的に出ている兆候があると、いうことが超伝導量子干渉計で確認されています。
これは電波(EM波)とは性質も伝播媒質λ層も異なる、念波(CE波)で伝播媒質μ・ν層の正体の一部なのかも知れません。
電波の速度はCegin(X線で10の18乗Hz)迄は約30万Km/sですが、念波の速度はGimaneh(10の22乗Hz)となれば、速度は10の28乗万Km/sになるそうで、電波と違い伝播媒質から減衰が殆どなく太陽系間に於いて、微弱でも同時通話や極超大容量の多重通信が可能です。

自然科学の法則では、物質が動けば運動エネルギーとなって現れますが、心の法則では「心・精神」が動けば「意識・思念・想念」という波動エネルギーが発生し、想念は継続されるとやがて具体化されて形・現象の世界に現れることになり、「創化の法則」と言います。
エネルギーは不滅の法則が有って動きと作用により、姿・形を変えますが無くなる訳ではありません。
そして、時が来れば循環の法則・跳ね返り・フィードバックに従って、意識・言動の原因に見合った結果が現れて来ます。
それは、原因を作れば、必ず結果が伴って現れることを意味しているのです。

昔の人は、それを経験的に「因果応報」とか「因縁」と言い伝えられて来ました。
悪事を働いた人には「年貢の納め時」とか「引導を渡す」と言ったり、近年では「ツケが回って来た」とも言われます。
つまり、あなたの生き方を決めて行くものは、基本的には「意識・意志・思考」なのです。
それは正しい考えこそが正しい想いと正しい知恵と正しい判断が湧く様になり、そして正しい選択から正しい言葉遣いと行動も出来るからです。

真理を含む教育からは人格を高め良心に目覚めて、心の油断や隙からくる悪い誘惑にも動じなくなるのです。
何れにしても「自由意志」の使用・振る舞いには、当然に「自己責任・因果律」が付いて回る訳です。
自己の行いは良きことも悪しきことも「因果の法則」(超巨大サイ情報網系)を通して、自らに跳ね返る(フィードバックする)ように宇宙的な法則として仕組まれています。
あなたの一瞬一刻の心の働きや行動が、あなたの性格や容姿とか一生の運命や、境遇や幸福度を決定していると言えます。

つまり人間の自由意志と自由判断と行動の自由という権利は、善い方向にも悪い方向にも同じ様に働かせることが可能であり、「諸刃の剣」でもあることを再認識しなければならないでしょう。
私たちはその「心の法則= 精神科学」として「因果律=業力=カルマ」を、深く考えて理解して日々に意識・言動を慎む必要があります。
見方を変えれば心から発する想念はエネルギーであると同時に、ものの実質であるのです。
私たちが強く持続的に想い念じることが、その人自身の人格や人生となり運命となるのです。
人間とは「一日中その人が考えていることに他ならない」という法則があるのです。

人の運命と言うものは10年単位で物事を観ないと、本当の事柄(変化)は分からないものです。
人は「因果の法則」を通して、自己の行いの結果を齎される事により、自己の正しい生き方を学び知るのです。
人は教育で学び理解出来ないと辛苦の試練と体験と言う、無数の過ちを積み重ねて教訓を学びそして気付き顧みて行くのです。
それでも気付かぬ者は何度でも何度でも、自己の意識・行いの結果が巡り来るものです。
人間そのものが自身の意識・思考力やその想念の強烈さに気付いたのなら、誰もが自己の意識・想念の在り方に責任を持ち、注意深くなります。

人生の真の目的は、この地上の生活に於いて宇宙の知的な生命体の一員として誕生(如来)したのですから、最高の神や仏が自己実現した菩薩として、人格を神格にまで高めることにあるのです。
釈尊は「一切の苦しみは無明から起こる」と説かれましが、「無明」とは人生を正しく生きる術、つまり知る智恵(真理、心の法則とか自然の法則である摂理と秩序)を持たないことを言うのであり、現代語では「無知」とも言い端的に言えば、人生観と生き方に対して「阿呆」だとも言えます。

大切な人生には、真理(倫理)に基づいた生き方や人生観を養い、確りした正しい心の指針・羅針盤を持つことが必須となります。
根本的には常に誠の真理を念頭や心の底に置いて、考えて行動するという志を持つと共に自分の心のレーダーを磨かなければ、あなたの大切なバラ色の人生である未来の道は開けないものです。
人格と品性を高めて徳を積むような真理(心の法則)や倫理(モラル)は教えても、人格・品性の低い者は因果律(業・カルマ)の作用と働きがよく理解出来ず魂的に呑み込めないのです。
ですから、意識の使い方と言動の在り方に無頓着で、目先の損得など利己心から煩悩を優先させ、行わない不心得な者が多くて普及には極めて困難なものですと、モラロジーでは説いています。

人格・品性(魂の霊的なレベル)の低い者は、自由意志と言動により彼らなりの偏狭で独善と、歪曲した思考で誤った価値観の生き方から、殆どの場合は利己心から努力をせず楽な方法で他者の犠牲(傷つけ害する)によって、自己の目的や願望を遂げようとするものですが、当然に自己責任(業=カルマ)が生じて来て破滅へ向かいます。
そしてそれを何度も試みて一寸成功や繁栄しても、やがて因果は巡り様々なトラブルが発生して躓いて行き詰まり、それは必ず失敗に陥って清算する時期が来る事になるのです。

彼らはこの様な試行錯誤で幾度も失敗や痛手を負う事を重ねる体験を通して、他者を犠牲にして得た繁栄や成功や幸福や富は、決して永続するものではない上に因果律により、必ず自ら報いを受けて悲惨や痛い目や災禍に合う時期を体験することになります。
それら身に染みる辛苦や痛みや悲しみや苦悩を舐める思いにより、潜在意識にまで到達して何時か魂的に気付き、目覚める時期に差し掛かって反省し教訓とするのです。

この内容は個人のみにあらず、国家・企業・団体などの組織に於いても同様な事が言えます。
国造りは人造りからと云われているように、世界の諸聖者と云われる人の説く共通した真理の学問に基づく、正しい教育政策が必要になります。
企業でも人材は人財だと言われる様に、基本には個人の集団であり人間性と人生観と、能力と個性に左右されます。
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