梅山 美智子 うめやま みちこ
1972年生まれ 千葉県在住 フリーライター。
京都:テーマパークとチラリズム
京都という町は、日本で今、一番成功しているテーマパークと言ってよいと思います。
コンセプトを和のテイストに統一し、ブランド力を強化して、舞子というキャラクターをヒットさせ、日本の歴史と文化を徹底的に資本主義経済ベースに乗せる。 この展開は、テーマパークのビジネス戦略と、全く同じものでしょう。
テーマパークという言葉を聞いて、まっさきに思い浮かぶ場所といえば、なんといってもディズニーリゾート。 京都にとりつかれるオバサマたちと、年間パスポートでディズニーランドへ出かける人たちとは、テーマパークが好き、という点では、基本的に同じ人種です。 一方は神社仏閣&舞子、もう一方はシンデレラ城&ミッキーマウスと、キャラこそは違えども、2つは同じカテゴリーに属しています。 ディズニーリゾート内では、一歩ゲートをくぐったその時から、夢の世界の住人を演じきることが義務づけられています。
ここでは着ぐるみの中に入っているのが人間の労働者だなんてことは絶対に考えてはなりません。ミッキーマウスはミッキーマウス。シンデレラ城を見上げて、むなしい気持ちになるようなことがあっても、そんな気持ちは断じて否定し、終止ハッピーでいなければなりません。
半ば脅迫的ともいえるやり方で現実世界を否定し、ディズニー王国は構築されています。 建築物や景観を徹底的に統一し、一定のイメージを保ち続けるという意味では、京都の町も、やっていることは同じです。
しかし、京都という町をテーマパークとして考えたとき、その成功度は、ディズニーをはるかにしのぐほど、スケールの大きなものです。
何しろ京都では全てがリアル。城も本物、神社仏閣も本物。祇園のお茶屋も本物ならば、路上ですれ違う一般 の京都人だってちゃんと税金を払って生活している本物の人間。舞子キャラだってれっきとした市民の一員です。 こんなに広大かつリアルで、生活空間までをも巻き込んだテーマパークなど、京都以外の場所には作れっこありません。
さらに京都には、もうひとつ、アメリカ生まれのディズニーリゾートには消して真似のできない、大切な要素があります。
それは何か。
一口で言うと、チラリズムと名付けられる要素です。
京都というのは、もともとが厳しいヒエラルキーのある町。そこでの観光客は、限られたものしか見ることを許されない、もっとも身分の低い存在です。 ところが一番身分の低い観光客に限って、結構ずうずうしい野望を抱いていたりします。 「私も京都通になりたい」という野望です。
京都の人は、テーマパークとして町を発展させてきた一方で、決してよそには見せることのない、隠しネタともいえる部分を持っています。 そしてそれは、建前上、通にしか見せない、というきまりになっているのです。
しかし、しかしです。一番蔑まれているはずの観光客が、その隠しネタをうっかり見つけてしまう時があるのです。 これはまるで、旅先でたまたま立ち寄ったパチンコ屋で大フィーバーを出してしまうようなもの。
驚くべきことは、当の観光客がこれを、うっかりではなく、自分の実力で勝ち取ったと勘違いしてしまい、「私ったら、京都通 かも…」と、臆面もなく悦に入ったりしてしまうこと。
観光客とはかくもずうずうしく恐ろしい。
京都人はいけずだ、などと言われますが、京都人に言わせてみれば、こんな勘違いをした観光客を相手にしなければいけないのですから、とても優しい気持ちになっている余裕などないというのが本音でしょう。
ただし、偶然によってもたらされた大フィーバーはけして長くは続きません。
ほんの少し。これが、重要なところです。
隠しネタ…たとえばそれは、うっかり迷いこんだ路地で発見した、地元の人しか行かない、小さなお漬け物屋さんかもしれない。 京都人は意地悪だと思っていたけれど、道を聞いた人が思いがけず親切で、非常に嬉しかった、という経験かもしれない。 タクシーの運転手が穴場だと言って教えてくれた桜の名所だったりもするでしょう。 すれちがった地元の中学生の京都弁トークをきいてウットリした、ということかもしれないし、一度だけ地元人と間違えられたというハプニングかもしれません。
本来は、たかが観光客が見るべき予定ではないもの。けれど今、ほんの少しだけ、アナタだから特別 に、と言って、チラリと見せてくれるもの。
それは言ってみれば、テーマパークに生きる人々がかいま見せてくれる、舞台裏の光景です。憧れているスターの楽屋にほんの少しだけお邪魔させてもらった時のような、VIP待遇の世界にも似ています。
本当のVIP待遇ではありません。あくまでも、ウッカリ迷い込んだだけの世界。だからこそ、おトク感も増すのです。
このように、隠しネタをほんのときたま垣間見せることこそが、チラリズムと呼ばれる京都人の戦略です。そう、実のところ、偶然のように思える出来事も、テーマパーク京都の中では、仕組まれた色気なのです。
テーマパークのスタッフである地元の京都人は、幼稚園、小学生から独居老人まで、みんながちゃんと、このことを熟知しています。時には観光客の前で地元の人らしく振る舞い、何も知らない田舎モノを軽くばかにしてあげること。それさえもがもてなしになるということを、経験値で知っているのです。
彼らはあちらこちらにチラリズムポイントをもうけて、ウブでだまされやすい観光客を誘う一流の技術を持っています。
京都人のチラリズム技術は、長い間、受け継がれ、洗練され続けて、すっかり生活に染みつきました。テーマパークの中で生活をする彼らは、24時間ずっと京都人を演じ続けているうちに、今では何が本当の姿なのか、自分たちでさえわからなくなっているというのが実情です。
チラリズムの奥深さに一度とりつかれたら、その後でどんなに苦い経験をしたとしても、心が京都から離れることはまずありません。神社や寺で行われる「特別 ご開帳」という制度は、チラリズム効果を観光ビジネスとして最大限に利用した集客技術です。普段は見せていない宝を、特別 に今回だけ見せる。そしてそのためのオプション料金はしっかりと徴収する。 観光客はもちろん、期待はずれだろうとは知りながら、もしや…という期待のもとに、追加料金を支払います。
チラリズムこそ、日本人の美意識。これを味わうのは京都旅行の最大の醍醐味。つかの間チラ見した、通 な京都の世界は、京都好きをたまらなく魅了し、さらなる欲望をかきたてます。
磨き抜かれたチラリズムの技。これを今後も日本の伝統技術としてしっかりと継承し、国際テーマパーク京都として、世界のテーマパーク業界に君臨し続けてもらいたいものです。
梅山美智子(うめやま みちこ)
1972年生まれ 千葉県在住 フリーライター。
京都:テーマパークとチラリズム
京都という町は、日本で今、一番成功しているテーマパークと言ってよいと思います。
コンセプトを和のテイストに統一し、ブランド力を強化して、舞子というキャラクターをヒットさせ、日本の歴史と文化を徹底的に資本主義経済ベースに乗せる。 この展開は、テーマパークのビジネス戦略と、全く同じものでしょう。
テーマパークという言葉を聞いて、まっさきに思い浮かぶ場所といえば、なんといってもディズニーリゾート。 京都にとりつかれるオバサマたちと、年間パスポートでディズニーランドへ出かける人たちとは、テーマパークが好き、という点では、基本的に同じ人種です。 一方は神社仏閣&舞子、もう一方はシンデレラ城&ミッキーマウスと、キャラこそは違えども、2つは同じカテゴリーに属しています。 ディズニーリゾート内では、一歩ゲートをくぐったその時から、夢の世界の住人を演じきることが義務づけられています。
ここでは着ぐるみの中に入っているのが人間の労働者だなんてことは絶対に考えてはなりません。ミッキーマウスはミッキーマウス。シンデレラ城を見上げて、むなしい気持ちになるようなことがあっても、そんな気持ちは断じて否定し、終止ハッピーでいなければなりません。
半ば脅迫的ともいえるやり方で現実世界を否定し、ディズニー王国は構築されています。 建築物や景観を徹底的に統一し、一定のイメージを保ち続けるという意味では、京都の町も、やっていることは同じです。
しかし、京都という町をテーマパークとして考えたとき、その成功度は、ディズニーをはるかにしのぐほど、スケールの大きなものです。
何しろ京都では全てがリアル。城も本物、神社仏閣も本物。祇園のお茶屋も本物ならば、路上ですれ違う一般 の京都人だってちゃんと税金を払って生活している本物の人間。舞子キャラだってれっきとした市民の一員です。 こんなに広大かつリアルで、生活空間までをも巻き込んだテーマパークなど、京都以外の場所には作れっこありません。
さらに京都には、もうひとつ、アメリカ生まれのディズニーリゾートには消して真似のできない、大切な要素があります。
それは何か。
一口で言うと、チラリズムと名付けられる要素です。
京都というのは、もともとが厳しいヒエラルキーのある町。そこでの観光客は、限られたものしか見ることを許されない、もっとも身分の低い存在です。 ところが一番身分の低い観光客に限って、結構ずうずうしい野望を抱いていたりします。 「私も京都通になりたい」という野望です。
京都の人は、テーマパークとして町を発展させてきた一方で、決してよそには見せることのない、隠しネタともいえる部分を持っています。 そしてそれは、建前上、通にしか見せない、というきまりになっているのです。
しかし、しかしです。一番蔑まれているはずの観光客が、その隠しネタをうっかり見つけてしまう時があるのです。 これはまるで、旅先でたまたま立ち寄ったパチンコ屋で大フィーバーを出してしまうようなもの。
驚くべきことは、当の観光客がこれを、うっかりではなく、自分の実力で勝ち取ったと勘違いしてしまい、「私ったら、京都通 かも…」と、臆面もなく悦に入ったりしてしまうこと。
観光客とはかくもずうずうしく恐ろしい。
京都人はいけずだ、などと言われますが、京都人に言わせてみれば、こんな勘違いをした観光客を相手にしなければいけないのですから、とても優しい気持ちになっている余裕などないというのが本音でしょう。
ただし、偶然によってもたらされた大フィーバーはけして長くは続きません。
ほんの少し。これが、重要なところです。
隠しネタ…たとえばそれは、うっかり迷いこんだ路地で発見した、地元の人しか行かない、小さなお漬け物屋さんかもしれない。 京都人は意地悪だと思っていたけれど、道を聞いた人が思いがけず親切で、非常に嬉しかった、という経験かもしれない。 タクシーの運転手が穴場だと言って教えてくれた桜の名所だったりもするでしょう。 すれちがった地元の中学生の京都弁トークをきいてウットリした、ということかもしれないし、一度だけ地元人と間違えられたというハプニングかもしれません。
本来は、たかが観光客が見るべき予定ではないもの。けれど今、ほんの少しだけ、アナタだから特別 に、と言って、チラリと見せてくれるもの。
それは言ってみれば、テーマパークに生きる人々がかいま見せてくれる、舞台裏の光景です。憧れているスターの楽屋にほんの少しだけお邪魔させてもらった時のような、VIP待遇の世界にも似ています。
本当のVIP待遇ではありません。あくまでも、ウッカリ迷い込んだだけの世界。だからこそ、おトク感も増すのです。
このように、隠しネタをほんのときたま垣間見せることこそが、チラリズムと呼ばれる京都人の戦略です。そう、実のところ、偶然のように思える出来事も、テーマパーク京都の中では、仕組まれた色気なのです。
テーマパークのスタッフである地元の京都人は、幼稚園、小学生から独居老人まで、みんながちゃんと、このことを熟知しています。時には観光客の前で地元の人らしく振る舞い、何も知らない田舎モノを軽くばかにしてあげること。それさえもがもてなしになるということを、経験値で知っているのです。
彼らはあちらこちらにチラリズムポイントをもうけて、ウブでだまされやすい観光客を誘う一流の技術を持っています。
京都人のチラリズム技術は、長い間、受け継がれ、洗練され続けて、すっかり生活に染みつきました。テーマパークの中で生活をする彼らは、24時間ずっと京都人を演じ続けているうちに、今では何が本当の姿なのか、自分たちでさえわからなくなっているというのが実情です。
チラリズムの奥深さに一度とりつかれたら、その後でどんなに苦い経験をしたとしても、心が京都から離れることはまずありません。神社や寺で行われる「特別 ご開帳」という制度は、チラリズム効果を観光ビジネスとして最大限に利用した集客技術です。普段は見せていない宝を、特別 に今回だけ見せる。そしてそのためのオプション料金はしっかりと徴収する。 観光客はもちろん、期待はずれだろうとは知りながら、もしや…という期待のもとに、追加料金を支払います。
チラリズムこそ、日本人の美意識。これを味わうのは京都旅行の最大の醍醐味。つかの間チラ見した、通 な京都の世界は、京都好きをたまらなく魅了し、さらなる欲望をかきたてます。
磨き抜かれたチラリズムの技。これを今後も日本の伝統技術としてしっかりと継承し、国際テーマパーク京都として、世界のテーマパーク業界に君臨し続けてもらいたいものです。
梅山美智子(うめやま みちこ)
どこの街に住んでいても同じように、まずその街の人の、普通の暮らしがあります。おおよそ特別な思惑など関係なく、普通に生活しているし、してきたと思います。それに、観光に携わる人は、ごくごく少数派ですし、多くの市民は、観光客のことにあまり関心はありません。
今度は、片意地張らずに、自然な京都を楽しんでみてください。
ミチコがんばってるなあ。
英知出版が倒産して気になってたんだ。
BOYSの切りぬき見せたのは自分だからなあ。
ちょっと心配したんだ。
産経新聞社の谷内誠次長が梅山さんに仕事を頼みたいと言っている。
いつでもいいから電話してごらん。
がんばれよ。
「ようちゃん」は3年前に亡くなりました。それを伝えたくて…。