1968年北海道生まれ 札幌タイムス記者 愛煙家
『私はカレーとジーパンが好きだ』
長らくジーパンしか穿いていない。今後もしばらくそうだろう。便利だからである。
このシゴトを始めたばかりのころ、万年床の上でカレー味のカップ麺を喰っていて、寝惚けた拍子に中身を己の脚にぶちまけたことがある。熱湯の攻撃に悶絶しながら速攻でジーパンを脱ぎ洗濯機を回したのだったが、裾を侵食したカレー色は好運なことに一度の洗濯ですっかり落ちた。否、落ちたかのように見えた。
眼で見た現実が真実とは限らない。その直後に洗った万年床のシーツには、生姜科の多年草鬱金のあの色がくっきり残ってしまった。泣く泣くシーツをごみに出し、しかしジーパンはそのまま穿き続けた。
ジーパンのカレーは、落ちていなかった。濃紺が鬱金色に勝っただけだった。それがわかった時、自分もジーパンになろうと思った。ジーパン色にカレー色が混ざっているように見えなければ、それはジーパン色なのである。
同僚や上司の言う・マトモな原稿・が書けない―。シゴトを始めて1カ月目で、向いていないと悟った。デスクとかキャップとかいう肩書きのひとたちに朱を入れられるたび、辞めようと思った。直されてこんなにつまらなくなるのなら、もとの原稿が壊滅的に破綻していたということではないのか。疵だらけで、なおかつ中身のまったくない駄文だったのではないか。
だが、本心では面白いはずだと思っていたのである。であれば、結論はひとつしかない。
直すから悪いのだ。
シンブン記者はスーツを着てネクタイを締めていればよろしい。きっちり線の入ったスラックスや白いワイシャツにカレーがついたら、そりゃ目立つだろう。だが、私はジーパンだ。濃紺をごしごし擦ってカレー色を発見し、その汚れを指摘するブン屋たちよ、ジーパンの色を返せ。
カレー事件から間もなくして、私はデスクだかキャップだかの校正に従わなくなった。ジーパン色を残さない直しは、直しではない。カレー色は瑕疵ではなく、原稿の重要な要素かもしれないぞ。残しておけ。
ある知的障碍者の施設が、郊外の山奥から都心に移転するという。都心の周辺住民たちの反対で移転が遅れ気味だということはわかったが、山奥の現施設がどんなところかを報告したシンブンはない。新人のジーパン記者がその様子を盛り込んだレポートを書いたら、ネクタイを締めたデスクだかキャップだかがシンブン風に直した。
この、水道水を毎日ポリタンクで運ぶというくだりは、移転騒動と直接の関係がない、削る―。
私は、削られた箇所を元に戻して編集長も通さずに組版に持っていった。上水道が通っていない地区で作業を続ける彼らの生活は、移転問題と直接関係なくても書いた方がいい。なぜなら、ひとは読むから。みんな、カレーが好きなはずだから。
「である」を「だ」にせよ、1センテンスは3行以内にせよ、「逆三角形」を身につけよ、写真はこう撮れ、これだけは押さえろ、これ以上は追わなくていい―。私は、すべて無視することにした。そういうことは、ネクタイの皆さんがやりなさい。
ひとつ問題があった。ジーパンの色は、洗うほどに落ちていく。何度も洗濯を繰り返すうち、本来の色が落ちて下からカレー色が覗いてくるのではないか。
だが、それは実は大した問題ではなかった。洗わなければいいのである。
カレー上等。醤油、ケチャップ大歓迎。寝ゲロ、失禁いつでも来い。浮世のすべての汚れを染み込ませたジーパンに、洗練の二文字は必要ない。「書き慣れる」という境地から常に離れ続け、眼に見えない瑕疵をたっぷり受け入れるのだ。スーツは、クリーニングすればよろしい。ジーパンは、汚すためにある。
私の原稿も、お陰さまで面白がってくれるひとがちらほら出てくるようになった。そりゃそうだろう。昔から、みんなカレーが好きなのだ。
あの一本は、今も手元にある(さすがに洗濯しているけれど)。
おがさわら・じゅん
記者がんばっているのですね!良かったU+1F604
偶然ブログを発見!嬉しくてメールしてます。札幌で個展があり帰省した際は是非会いましょうねU+203CU+FE0E安保 真