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Um diário

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行列おもろい

2022-01-17 13:39:32 | 日記

何十年ぶりかで高校時代の教科書の二次曲線の復習をしていた。二次曲線の接線を考えるのは、考えてみればこれは中学までの数学でだって導き出すことが可能なはずだが、そのやり方を何回やってもすぐ忘れる。おまけに、それを行列で変換する方法で導き出しても違う答えになるなあと思ってこの数週間こればかりやってるような気がした。楕円と(p、q)で接する直線の方程式を、傾きをmと置いて、それと楕円の方程式の連立方程式を解いてmを導き出す方法で解くのが教科書に載っている方法だが、それを、原点を中心にした半径1の円と(p、q)で接する直線を考え、それを行列の一時変換によって、x方向にa、y方向にbだけ伸ばすように変換させる方法で接線も変換させればできるはずなのに、なぜかちょっと違う結果になってどうしてだろう?とずっと悩んでいたら、考えて見たら(p、q)は本来は楕円とその接線の接点だったはずが、円とその接戦の接点として考えたから答えが一致しなかったのだと気づいた。高校時代は行列なんて全然分からなかったし「何のためにあるの?」という感じだった。x軸やy軸に関して対称な図形に変換せよというのはできるくせに、y=xという直線に線対称になる移動、なんてなるともはや行列は対応不可能だ。だから行列って格好悪いし役に立たないし、高校数学のダメダメ君に選ばれるに違いないと思っていた。

 それが今では僕は行列大好き。一次変換は図形の問題で役に立つ。三角関数の加法定理もこれで導き出せるなど、図形の問題の検算などにもしばしば使えて、今では微分積分や三角関数などよりもむしろ好きになった。


レトルト食品と長距離恋愛

2022-01-14 13:02:25 | 日記

もう何十年も前。あるサイトでメル友ができて、何年もメール上で付き合っていた。疑似恋愛っぽかったけど住む場所が遠かったから一度も会わなかったし、けっきょく写真ですら見る機会がなかった。彼女のことはある意味よく知ってるのだが、町で偶然会っても気づかない。

女性は具体的なものを求めるんだなあと思ったのは、今日僕がカレーを食べると言ったら、私も食べます、と言って、同じ種類のレトルトカレーの同じ辛口を食べて「よく食べるんですか?」とか「この味が好きなんですか?」「おいしいです」みたいなやりとりをメールでしながら食べることもあった。全然違う場所で、顔すら見たことのない相手と一緒に食べてるつもりになってるのだからある意味抽象的なんだけど、同じ味のものを食べたい、ってところは具体的なもの志向だと思う。女性は。

レトルト食品って味が同じで、うまいまずいは別にして、なんだか大量生産で近代社会の無味乾燥性を思わせるんだけど、こういう場合、お互いの親密性のためになることもある。吉野家やモスバーガーやサイゼリアの味も全国共通だから。一緒のものを食べて、なんだか一緒の時間を過ごせた、みたいな気分になって、遠くにいても具体的なものでつながってる、っていう気持ちになれることもある。


言論の自由について

2022-01-13 20:35:09 | 日記

 言論の自由はなぜ大切か?それは①それ自体が大切な価値観である(他の自由と共にそれ自体がself-evidentな価値を持つ)ということもあろうが、②民主主義が成立する大前提だから、ということも大きな理由だ。他に③情報社会の中で人々に多様な意見を伝えることの意義、ということもある。

 一昨年の米大統領選挙でトランプ側に立つ意見のツイッターやフェイスブックなどのSNS発信情報がバンされた時、言論の自由が制限されたことが問題になった。米国は民主主義を最も大切な価値観とする国なのでそれは由々しき問題である。

 ところで民主主義が機能するにはその社会が求心的な構造を持つ必要がある。つまりある社会が、意見の多様性はありながら、最終的に目標とするところは同じである必要がある。そうでない社会とは、たとえばイスラエルとパレスチナみたいな反目する同士が一緒の国を作っても、両者の主張は相容れないので、多数意見をもってその社会全体の意志であるとは到底言えない。51%のA民族と49%のB民族が長年殺し合ってきた。お互いがお互いを滅ぼしたいという状態であった時、民意の51%がBを排他することに賛成したとしても何の意味もないということだ。

 それで、SNSがコロナ関連のある種の情報をバンしたりすることが一昨年の米大統領選挙と同じく問題にされることがある。ここで上記の①③の観点からするとそこに問題は大いにある。しかし②の観点から考えると、国際社会は、求心的な構造は持っていない。つまり国際社会という枠組みの中では民主主義はとても機能する状態ではない。だからそこで②の観点で言論の自由を言うことにはほとんど意味がなくなると思う。

 ところで、トランプ大統領の選挙結果とは別に、コロナ情報ということに関しては世界が利害関係を共有し求心的な状況にあるので、これに関してのみは国際社会で民主主義が機能する、と見ることは充分可能な気がする。

 こんなふうに、国の枠組みを超える大手SNSでの言論の制約ということに関しては、一つの価値観でグイグイ論じていける状況ではなく、特に国際社会で求心的構造がないことに関しては、②の観点からある種の言論が制約されることに意味がある場合もあるということが言えるのではないか。

 


民主主義と中国

2022-01-06 22:04:45 | 日記

 民主主義の強さは、①世襲制ではないので大勢の中から優秀な人を指導者として選べる。②みんなで選べるので国民に不満が少なくなるし、自分も指導者になりえるわけだから国の運営への参加感が多少なりとも生まれる。国の結束のもととなる。③指導者が定期的に変わるので、間違いが正される。これはとても大事で、悪く言えば、前の指導者が悪いことをしても、それを断罪することで対外的に免罪される、という側面がある。悪く言えば前の政権の悪さを引き継がなくてもいいという無責任体制が正当化されるというところがある。
 中国のやり方は①は彼らの科挙の伝統によって担保されているので、他の(たとえば北朝鮮のような)独裁国家とは違い、一族で運営するのではないという強みがある。しかし②と③については中国は弱みを持っている。
 特に③については、近代先進国的なメンタルを持った一部西側諸国しか叶わないような綱渡り的な心理の危うさがあると思う。そこには権威の断絶があり、今まで正しいものの代わりに別の正しいものを受け入れるということをどうやって心理的に受け入れるか、というのは近代を受け入れることができるキャパがある国民とない国民があると思われ、世界中の人が普通にそういうものを持っているわけではない。またそういうものを持っているから偉いんだ、正しいんだ、ということでもない。本当は我々のそういうメンタルは特殊近代的なものであり、病んでいるのかのもしれない。これはいわば何か一つのものを絶対的に正しいんだと信じることができないということを意味するかもしれないのだから。精神的な不安定さを意味するかもしれない。民主主義とはそういう心の不安定さがあって初めて成り立つものかもしれない。そしてそういうハードルの高さゆえ、世界では欧米や日本のような先進国について行けない国もたくさんあるはずなのだ。そしてそういう「遅れた」国をせっついて、中国やロシアみたいな変な国について行くなと言っても、彼らは、中国が変な国で威圧的で、不幸になると感じながらも、さりとて先進国のほうだって変やぞ、と思っている可能性がある。だから今、世界は先進国の価値観と中露の価値観が対立していて新冷戦の様相がますます色濃くなっていて、どちらがましかといえば欧米日のほうに決まっているのだが、にもかかわらず彼らは我々ではなく中露のほうを選ぶしかない、という事態に陥る可能性がある。イラクやアフガニスタン、フィリピンなど、アメリカにあれほどまでにしてもらったのに、彼らはそれを受け取って先進国に離陸する、というのとはほど遠い事態に陥っている。欧米、とくにアメリカはイデオロギー先行の頭の国なので、そういう現実の具体的なことには関心が向かず、従って現実としてうまくいかない。そこに具体的な、草の根のことに強い日本が、アメリカをバックに置きながら働きかけることで、世界をより良いものにしていける余地がある。さもなければ日米欧は中露に勝っても、残りの世界を救い、我々のほうに引き寄せることがけっきょくできない可能性が極めて高い。もしできるんならなぜアフガニスタンやイラクはそうなってないのか?ということだ。


このブログとは

2022-01-04 19:54:55 | 日記

このブログを始めるにあたってこういう方向性でいきたいというのを書いておこう。

・あまり長い記事にしないことを心掛ける。短ければ短いほどよい。分けれるものは積極的に分ける、ということを心掛ける。ワンイシューで、いっきに読めることを心掛ける。

・気軽に書く。試みとして書く。完成度は決して追及しない。とにかく書いてみる、というノリで。

・完成度は低くても気にしない。てにをはがなってなくても気にしない。

・形式を整えない。こういうパターンの記事が多くなってきたな、と思ったら積極的にそれを壊していく。