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Um diário

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怖ロシア

2022-03-08 00:31:09 | 日記

 

 数年前、日本在住のロシア人やウクライナ人Youtuberが多いことに気づき驚いた。しかも女性ばかり。男性Youtuberはいないのか調べても一人も見つけられていない。在日の外国人Youtuber全体でも、彼らの比率は大きいように思う。なぜかは今もって分からない。しかもなぜ女性ばかり?世論操作をするスパイ要員として国から来てるのかな、とか。そういう人も実際いるのではないかと思っているが。普段はソフトなコンテンツを作り、時々はロシアを擁護するような政治的な動画をアップしていたが、戦争が始まったら活動休止宣言をして政治的な動画だけ削除した美人Youtuberもいる。

 しかし多くは真剣に母国の惨状を憂う人がほとんどにみえる。本来ロシアともウクライナとも、また両国の関係にも疎い日本でも連日彼らの戦争のニュースばかりだ。コロナの影が薄くなるぐらいに。だから当事者たる彼らはこの問題から逃れることはできないようで、普段は政治的な発言をしない人たちも皆この問題を取り上げている。

 ロシアでは言論統制など政治的束縛が強まっているという。また諸外国からの制裁も強まっている。ロシアからもエネルギー商品の輸出制限をするなどを必ずするから、コロナ下で強まっていたインフレの圧力はさらに高まる。エネルギー価格が上がれば工場はじめ企業活動のコストが上がる。中南米ではトウモロコシの油で動く車がたくさんあるというから、トウモロコシが燃料に回される。トウモロコシは家畜のエサにも使われるから穀物価格や家畜の値段が高くなる。ロシアをSWIFTから除外したのでこれでロシアは大変困るが、世界貿易はコロナ下で縮小していたのがさらに縮小する。プーチンはもう命を捨てているだろうから、生きている限り妥協はしないだろう。国内で暗殺されるか、どこかの国のドローンや無人の車が爆発するか、どういう死に方をするか知らないが、誰かがやるまで止まらないと考えておいたほうがいい。今のところウクライナの一般人の殺戮、原発への攻撃、核兵器使用の示唆など、許される範囲をはるかに超えて暴れているが、さらに悲惨なことを我々は目にすることになるんだろう。
 ウクライナも悲惨だがロシアも悲惨だ。単にインフラが大規模に破壊されたというだけでは済まない。両国は兄弟のような国だというが、その間で殺し合いをしていることになるので、これからの数世代に亘って両国の人々は感情的に対立することになる。国際社会は彼らに特別な監視の目を向けることになる。ウクライナは核兵器を持つことを切望するだろう。プーチンが平和な死に方をするとはとうてい思えないが、彼がいなくなっても両国が平和に暮らせるとは思わない。
 ウクライナは壊されたインフラの再建の他に、国の中に相当のロシア人が住んでいるという事情があるから、今までだって社会の混乱があったが、これからはそれがさらに大変になる。ロシアは、民主的手続きで選んだリーダーがこんなことを起してしまったから、彼らの被害は金融や経済だけのことではなく、民族の精神的状況から見直す必要にかられる。彼らはあんな政治家を選んだ責任を国際社会から問われ続ける。少なくみても日本の70年前の敗戦以上の精神的改革が求められる。
 国際社会では、核を持った国の指導者が精神を病んだ場合にどうするのか、という大きな問題に直面し、新たな答えを出さなければいけない。日本の指導者たちが核武装の可能性について大っぴらに議論をし始めたりと、既に大きな変化が出ている。これは第2次世界大戦後の世界がここで行き詰まり終わりを迎えたことを意味する。国際連合の中心は常任理事国だが、そこにロシアと中国が入っているということは、もはや国連は世界平和に向けて機能しえないということだから、国連の歴史的役割は終わったと言っても構わないと思う。それに代替するものとしてG7がある。これが今までの常任理事国にあたるもので、非常任理事国はG20、というふうにして新たな国際的機関が作られる動きが出てくると思われる。1945年からの世界は今年終わった。

 


政治的決定について

2022-02-15 12:51:05 | 日記

2月14日(月) カナダのトルドー首相が、1998年に制定された緊急事態法を初めて発動したと表明。カナダでは、米国との国境を越えて移動するトラックの運転手に新型コロナワクチン接種を義務づけたことをきっかけに政府に対する抗議活動が各地で続き、国境の橋や道路がトラックで封鎖され物流が滞るなどの影響が出ている事態を収束させるために警察の権限などを一時的に強化するなどの措置がとれる同法の発動に至ったという。

 政治とは、いろんな意見の対立がある中で決定をすることを意味する。個人にたとえれば、何かをすべきか、やめておくか。どんなにアンビバレンツな気持ちでもどちらかに決めなければならない。そんな時がある。Aに決めた場合とBに決めた場合のメリットとデメリットを比べ、最終的には、Aに決めた場合の利益をとり、それによって発生する損失を甘んじて受ける、という感じになろう。もしその決定に期日が設けられていない場合や、決定をする必要がない場合、その時々のケースバイケースで対応を変える、というやり方もあろう。
 これが国などの集団になった場合、いろいろある意見は心の中のコンプレックスで、最終的に国を代表して決定する政府が自我とたとえられる。
 政府と社会の関係をこのように人の心のアナロジーとしてとらえる時、政府の役割として、政治的決定を下すということの他に、人の心を代表して何かを決定する、ということと同時に、あえて「何かを決めない」という選択肢もあることになる。つまり、その社会にさまざまな意見がある時、それらを聞き、もしそれが一つの決定に収束できないと判断した場合、あえて意見をまとめない、ということも実は自我としての政府の選択肢としてある。一般に政府が決定を先送りした場合、その政府はあまり褒められない。力が弱いとか決断力がない、みたいに責められることが多い。しかし今回のカナダの場合、国境を渡るトラック運転手へのワクチン義務化に、単にトラック運転手だけでなく、一般市民も反発する場合、ワクチン義務化をするという決定は、政府に決断力があると言えるかどうか。コロナは2020年に国際的な問題になって以来、国によって、また一国の中でも色んな意見、立場、政策があり、どれが正しいのかは今の時点では分からない。歴史的評価を待つしかないという感じだし、あるいは時間を経てもはっきりしないままで終わる可能性も高いと思う。そんな中で何かを義務化するという政治的決定が果たして正しいものか、それとも不適切なものかは、色んな意見があってしかるべきだろう。そしてカナダ政府はある立場を義務化という形で国民に押し付けた。それが後に正しいことが分かったとしても、今の時点でそういう決定に強い反対が出ることは必至であった。そういう強いコンプレックスが存在しているのだから、それは強い反対意見を言うのは当然だからだ。そしてそのコンプレックスの強い表明をこれまた強硬な手段で抑えようとしている。この措置がどんな結果を生むかは注視したいところだが、コンプレックスを力で抑えつけることをした場合、それは地下に潜るなどして問題は後まで残る。なんなら社会の分断という形で、収集が不可能な亀裂を社会に生むことにもなりかねない。
 日本の政治は伝統的に、優柔不断で決断力がないというような指摘がされる。その一方で、日本は決定には時間がかかるが一旦決まったら行動と結果を出すのは早いとも言われる。社会にいくつも意見がある中で「決断力」を発揮して何かを決めていくのは、社会にちょっとずつ亀裂を作るという代償を常に伴うものではないかと思うのだ。無理なブレーキを踏んで車体に少しずつ無理がかかっているようなイメージ。それは表面からは分からないが、時間とともに車体への負担が表面化していくみたいに。


忙しい

2022-02-02 12:15:05 | 日記

 今の人は一つだけどこかのコミュニティに属するという感じではなく、仕事は仕事、プライベートはプライベート、それも何種類もある場合も少なくなく、さらにネット上での活動もあり、いくつもそれぞれ関係ない世界を持っている場合が多いと思う。すると、それぞれが独立していろんな用事を持っているので、それが固まる場合、にっちもさっちもいかなくなるということはありがちなことではないか?

 特に、時期的に、年末年始とか、重なることが多いと思う。僕に関しては、年末年始の忙しさがまだ続いていて、時として寝る時間をどうやって確保しようか、みたいなことも時として生まれる。これで反省してるのは、年末年始は忙しいと分かっているので、その時期に自分で調整できる用事は極力、11月とか、年明けでも2月以降にやるようにするなど振り分けて、年末年始はなるべく用事を入れないようにしてちょうどいいのかもしれない。まあでも後の祭りで、始まってしまったものはそのつど対処していくしかない。しかしそういう時に限って要らん用事ができてしまったりして、そうするとただでさえやることがたくさんあるのに・・・となる。

 年末年始で、せめてこれだけは別の時にやっておくべき、ということとしては、①1年の計画②大掃除。最低でもこれだけはもっと事前に調整して、考え、作業を分割して、別の時にやる、というふうにしたいと思った。あとは、僕の場合は料理をちょくちょく作ったりするので、作るレシピをかなり早い時期に用意しておくとか。せめて11月が終わるまでにそうしておきたい。いつもいつも後の祭りだが、1年のうちで、この月はこういう月、というテーマを定めて、意識して散らしたい。まあ一言で言うと、年末年始は忙しいからしょうがない、ということにもなろうが、そのしょうがないは全部僕自身に降りかかってくるから、誰かに言いわけすれば済むというものではない。他ならぬ自分のために、この作業軽減をやりたい。ほんと「もう1日も待てない。今日じゅうに何とかせねば」みたいなことがしばしば起こる、これを何とかしなければ、ということだ。


アセアンの将来

2022-01-24 12:31:01 | 日記

 一般に、中国の失速とともにそれに代わってアセアンが経済的に台頭するという見方があると思う。たとえば長谷川慶太郎は日本は中国から撤退し、代わりに安い人件費でモノを作る場所としてミャンマーを挙げた。しかし昨年からミャンマーはクーデターが起こり混乱している。タイの街並みをみると、発展著しく、もう少しで日本と変わらなくなる印象も受けるが、一方でやはり政変でゴタゴタしていたりもする。昔からフィリピンは米国のバックアップでしっかりした民主主義が根付いているとも言われるが、あまり国としての力がついているとも思われない。80年代には、アメリカがフィリピンは民主主義のショウケースだと言ったのに対し、石原慎太郎は、アメリカはとんでもない勘違いをしている、中身が空っぽのショウケースだと批判した。

 ベトナムについても、あれだけ戦争で国がゴタゴタしていても、国民は勤勉で教育を重視する伝統があり、手先が器用で、もし経済的に離陸すれば既に先行している隣国のタイなどは既に追い抜いたも同様、みたいな声が昔からあった。近年は日本ともいろんなレベルで交流がすすみ、日本に留学する人も増え、コンビニの店員などでもベトナム人が増えた。ベトナムの将来は明るいのか?

 ベトナムはしかし一方で、日本で問題を起こしつつあるようで、日本人のヤクザ組織が暴対法などで絶滅の方向に向かっているのに対し、外国勢力の組織がそれに代わり、たとえばベトナム人の暴力団組織なども既に一部で問題視されているという。

 ある国が発展する時、何が重要か?何があれば発展するか?ということに関しては昔から色々言われてきた。教育と、発展の原資となるカネ、なんだかこれだけあれば経済的発展なんて起こるだろうとか。昔はそれに加えて、ウェーバーが言った、資本主義の精神を支えるプロテスタンティズムの倫理だなんて言われたけれど、日本が、非キリスト教国であるにも関わらず経済発展したので、きっと仏教などがその代わりとして機能してるのか?なんて言われて世界的に議論になったこともあるが最近ではそういうことも言わない。しかしイラクとかアフガニスタンが、アメリカのバックアップを受けているにも関わらず、全然発展しない。フィリピンで機能しなかったのと同じで。昨年、バイデン大統領はアフガニスタンを見捨てた。

 僕はつい先ほど、ベトナム人民軍から日本の自衛隊に留学しているベトナム人がパスポートを第三者に使わせて、それがけっきょく詐欺グループへの携帯電話の提供に悪評され、逮捕されたというニュースを聞いた。彼が特別な人なのかどうか知らないが、なんだか今まで聞いてきたベトナム人の評判に鑑み、決して特別なケースではないんじゃないかという印象を持つ。つまり、ベトナムの評判は、頭がよくて教育熱心で手先が器用で勤勉で、と良いものが非常に多いにも関わらず、今まで経済発展の軌道に乗らなかったのは、単にアメリカと対立していて経済制裁を受け続けてきたから、というだけではないのではないか。それは、人々が、その社会の発展、幸せのために働く、という公共的な心を持っているかどうか、ということが、カネとか教育とか勤勉というもの以上に大事ではないか。

 コンゴという国というか地域は、地面を掘れば金、銀、ダイヤモンドなどが出る。掘れば出てくるから豊かになってもおかしくないのに、あのあたりは世界最貧の地域である。彼らはそれを掘って、自分たちが豊かになるのに使うのではなく、それで外国から地雷とか武器を買い、近隣の対立する人たちを殺傷するために使っている。お互いにそうしているから、カネができたらできたぶんだけそういうことに使うから、これではいつまでたっても豊かにはなれない。

 聞けば、ミャンマーでもアフガニスタンでも、国内で、中央政府の統治が及んでいないような地帯があるという。これでは国内的な一体感は生まれてこない。ミャンマーでは、あのアウン・サン・スー・チーですら、国内のロヒンギャ族に対して排他的な措置をした。あれだけの人でも、国内の統一という視野がない。これは、もし安定した国の発展のために、国内の心情的統一が前提になると考えるなら、絶望的状況と言わざるを得ない。同じことは、怖ろしく多様なインドネシアなどにも言えるし、地域の希望の星のようなベトナムについても同様かもしれない。比較的小ぶりで国内的な一体感が強そうにみえるマレーシアでもプミプトラ政策という、国の一体感のためには遠心的な方向性の政策をしている。

 アセアンは多様性があり、それは強みでもあるが、しかし国の一体感という観点から、好ましくない結果を生んでいるのではないか。アセアンでこれからうまくいく場所としてはシンガポールなど、非常に小規模で一体性を作りやすい地域に限られるのではないか?という気もしてくる。あのあたりは地続きなのでこのての多様性は不可避だとしたら、台湾という地域の重要性がますます目立ってくる。特に中国でこれから起こるだろう不安定や混乱を思う時、日本がこの近隣地域で、少しでも安定要因を作っておくことは極めて重要だと思われる。今は津波は中国国内でうねっているだけだが、それが日本に押し寄せる日が、数年後ぐらいに来るのではないか。


僕というシステム

2022-01-18 00:32:34 | 日記

人間というのは複雑なもので、僕はその複雑な関係性の中でいつかはモンブランを作らなくてはいけない運命を抱えていた。それはいつか?年末のはずだった。しかし年末年始は忙しい。年末に新たな用事を付け加えに来る奴とは絶交したくなる。この時期には用事がとても多いから、よっぽど前もって周到にする事をその前後に振って分散することをもっと真剣に考えておくべきだった。つまり年末は12月からではなく11月から師走だぐらいの気合で臨むべきだった。

 そういうわけで年末にモンブランを作ることができず、生クリームも当時、なるべく賞味期限の長いものを買ったつもりだがその賞味期限もついに来た。今日だった。それで、モンブランは数時間を要するので、それはもう少し冷凍庫の中で待機して頂いて、今日のところは生クリームを使った白菜のスープあたりを作ってお茶を濁そうかと思ったらそれも叶わず、では明日、きのこのシチューか何か作ってごまかそうかと思ったりもしてレシピも用意した。しかし逃げていては何事も展望が見えてこない。それで今日思い切ってモンブランを作った。
 それは過去に作った記憶からもっと大変なものだと思っていたが、そうでもなかった。要するに栗を茹で崩している間にスポンジケーキの材料を集め、掻き雑ぜ、ホイップし、オーブンで焼く。そこまでしたら鍋の中の栗に砂糖や生クリームを入れる。残った生クリームはホイップする。それらをあとは組み合わせてケーキは完成する。わりと工程自体はシンプルなものだ。一つ一つもそれほど時間がかかるわけではない。ただしその3工程が合わさるとわりと時間が長くかかる。
 今回は台所の新顔、ブレンダーがいたのでその腕前を確かめるという興味もあって、色々使おうと思った。刃が3種類あり、そのうち一つは生クリームをホイップできるというし。今まではもっとごつい掻き雑ぜ器を使っていたが、モンブランを作る時に、卵白のホイップ、生クリームのホイップ、そして茹で栗を細かくする作業、この3つのうちいくつ使えるだろう?なんて思って使ってみた。結果は、生クリームのホイップには向いてないと思った。あまり直径の大きな器でやるとホイップできないとか、制約が多すぎる。どれぐらいホイップできているか確認するのもしにくいし、どの程度のホイップにするかというコントロールもしにくい。だからゆるいクリームしかできなくて、おかげで今年のモンブランはグシュグシュになってしまった。但し、栗を細かくするのには力を発揮して、そのあとの裏ごし作業が非常に簡単だった。これぞブレンダーの役目と存在意義なのだ、と思った。数年かかって定着させてきたレシピをちょっとずつマイナーチェンジしてきたものを見て作ったが、スポンジケーキに少し塩を入れるというのの分量をもっと少なくすべき、というところ以外はわりとまともなレシピに育ってきたなあと思った。それで来年以降にまたモンブランを作るはめになった時の注意として、裏ごし前にブレンダーで栗を砕く。このことで裏ごし作業がおそろしく楽になる。今日はもう搾り袋は使わず、そのままケーキに塗りたくってしまったが、このぐらいなめらかに裏ごしができるなら、店で出しているもののように、搾り袋できれいな模様に仕上げられるかもしれない。そして生クリームのホイップはブレンダーでしてはいけない。今まで使ってきたごっつい音のする攪拌器械でしなくてはいけない。卵白のホイップも。

 そして、僕の年末年始はまだ終わっていない。つまり忙しさからなされていないことがまだたまっていて、そのうち最も大きかったものがこのモンブラン作りだった。それを今日、数時間かかって今日片付けた。これでかなり精神的に楽になると思う。まあ今週末も来週も色々と用事があるので気は抜けないが。しかしやらなあかんことのうちでかいのを今日片付けた。まだ僕にはこういう作業をするだけの力があったんだ、という充実感。