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NPO法人POSSE(ポッセ) blog

ワーク・ライフ・バランス憲章

○ワーク・ライフ・バランスって何?
 12月18日、「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」と「仕事と生活の調和推進のための行動指針」が策定された。(全文はこちらから→http://www8.cao.go.jp/shoushi/w-l-b/index.html)このワーク・ライフ・バランス(以下WLB)、具体的に何を目指しているのだろうか? 私たちの「生活」を本当に豊かにしてくれるものなのか? 憲章と行動指針を分析してみた。

 憲章の冒頭部分は、以下のように述べてWLBの必要性を訴えている。

 「仕事は、暮らしを支え、生きがいや喜びをもたらす。同時に、家事・育児、近隣との付き合いなどの生活も暮らしには欠かすことはできないものであり、その充実があってこそ、人生の生きがい、喜びは倍増する。」

 「家事・育児、近隣との付き合いなどの生活」という部分に注目してほしい。ちょっと意外に思われるかもしれないが、憲章に出てくる「生活」の中身を注意深く読んでみると、家でリラックスしたり趣味でストレスを発散するような時間のことを実は指していないことが明らかになる。「生活」の指すものは、①家事・育児・介護、②地域活動、③自己啓発なのだ。これらを総合して考えると、WLBとは「仕事と生活のバランス」ではなく「賃金をもらって働くシゴトと、賃金をもらわないで働くシゴトとのバランス」であることがわかる。では、なぜ2つの「シゴト」のバランスが今注目されているのだろうか?
 憲章の指す「生活」の持つ3つの側面を通して、考えてみよう。


○「生活」=家事・育児・介護

 例えば介護士が介護を行えば賃金が支払われるが、保護者が行う育児には賃金が支払われない。後者の場合、育児は「アンペイド・ワーク(賃金を支払われないシゴトのこと。)」と呼ばれるシゴトの一種である。
 したがってWLBの第一の側面は、言い換えると仕事とアンペイド・ワークとのバランスである。なぜ仕事とアンペイド・ワークのバランスが重要になるのだろう? まず、アンペイド・ワークの担い手が誰なのか考えてみよう。アンペイド・ワークは、女性が家庭内で行うことが多い。定年を迎えた高齢者が元気なうちは彼ら/彼女らもアンペイド・ワークに携わるだろう。このことを確認して、以下の引用文を読んでほしい。

 「人口減少時代にあっては、社会全体として女性や高齢者の就業参加が不可欠であるが、働き方や生き方の選択肢が限られている現状では、多様な人材を活かすことができない。」

 新しく女性や高齢者を労働市場に組み込もうとしている意図が読み取れる。人口減少時代にどれだけの労働力を確保するかがWLBの関心事だ。しかも今は昔のような大量生産・大量消費の時代が終わり、多品種適量生産が主になっている。したがって、当然生産にあわせて働き方も多様になってくる。短時間のフレキシブルな労働力になる女性や高齢者は、まさに恰好のターゲットなのだ。だから、「テレワーカー比率」や「第1子出産前後の女性の継続就業率」の上昇が具体的な課題になっている。
 この、「新しい労働力としての女性・高齢者の活用」という必然的な要請が、WLBの議論を生みだしている。つまり、女性や高齢者は新しく労働力として使うとしても、依然として女性・高齢者はアンペイド・ワークの担い手でなければならないのである。このことは「行動指針」の数値目標が端的に示している。「男女の育児休暇取得率」は、現在(女性72.3%、男性0.50%)に対して10年後の目標が女性80%、男性10%である。このような格差がある状況を10年後の「目標」として掲げているようでは、「男女の固定的な役割分担意識」に拘泥しているという非難を免れまい。

 1つ目の側面を咀嚼(そしゃく)して言えば、①どれだけフレキシブルな労働力を増やすか、②フレキシブルな労働力を増やしながらいかにアンペイド・ワークを確保するか、という2つの「シゴト」のバランスが課題になっていることがわかる。そしてアンペイド・ワークは、今まで通り「当然のように」女性がするものとなっている。(下写真はWLB推進官民トップ会議の様子)


○「生活」=地域活動

 2つ目の側面は、地域活動への参加である。「地域の中での自らの役割を認識し、積極的な役割を果たす」よう「行動指針」には明記されている。ここでは、ボランティア、つまり無償で働くことが求められているのだ。「憲章」に具体的な活動は明示されていないが、いま実際に行われているものを考えてみると、公園の清掃や育児支援、単身生活者の介護など数え上げるときりがない。
 問題は、なぜこれらのボランティアを私たちがするよう求められているのか、という点にある。このように問題提起したからといって、相互扶助の精神を批判したり、ボランティアの功罪について語ろうとしているわけではない。問題なのは、行政が取り組んでいない領野の福祉の埋め合わせとして私たちのボランティアが機能している点である。
 日本は元々、国家が十分に福祉を行わない特殊な体制をとっていたと言われる。かわりに企業が社員の面倒を見ていた。だが、企業はいまそのような余裕を失っている。より人々のアンペイド・ワークやボランティア活動に福祉機能を期待するようになっているのだ。
 だから、私たちのボランティア活動などで「地域の中での自らの役割」を果たせば果たすほど、公園の清掃にしろ育児支援にしろ単身生活者の介護にしろ、政府が何故きちんと取り組んでいないのか、という根底的な問題を見えにくくしてしまうのである。実際、「憲章」では私たちが安心して働けるために必要な生活保障をできるような制度設計に国が取り組むか、というような議論は一切ない。むしろ「憲章」策定に並行して行われていたのは、生活保護基準切り下げについての議論であった。


○「生活」=自己啓発

 自己啓発とは、「労働者が職業生活を継続するために行う、職業に関する能力を自発的に開発し、向上させるための活動」を指すらしい。したがって、職業に関係ない趣味、娯楽、スポーツ、健康増進等のためのものは自己啓発ではない。職業能力の向上に関して、終身雇用制が確立していた時期は、社員は一つの会社に勤め続けるなかで仕事を覚えていた。だが、いまそのような基盤はほとんど無くなっている。そこで出てくるのが、自己啓発なのである。もちろん、企業内で職業訓練する場が無くなったのであれば、政府が職場以外で職業訓練をできるような制度(オフ・ザ・ジョブ・トレーニング)をつくる道もあった。しかし、日本では自分でやれ、となってしまう。
 しかも皮肉なことに、いくら自己啓発をしたところで賃金が上がるわけではない。なぜなら、日本には自己啓発の結果を評価するような賃金体系が整備されていないからだ。そのことを示すために、先日厚生労働省が発表したフリーター等の「経験能力評価基準」を見てみよう。基準項目には、「責任感」、「ビジネスマナー」、「チャレンジ意欲」など、勤怠に関する評価基準ばかりが並んでいる。全9項目のうち、労働者の専門的技能を測る基準はⅨ「専門性」のみである。正社員についても事態はあまり変わらない。従来の人事考査は、一言で言うと「その人がどれだけ企業に忠実に働いているか」という観点で賃金が決定されるシステムだった。
 結局、この自己啓発という言葉は、啓発活動を政府も会社も行わないということの裏返しである。この点については3つの側面とも共通している。「生産性アップ」の大儀の下にボランティア労働に駆り出されるだけでなく、もっと効率よく働くよう努力することも求められてもいるのである。(ちなみに下写真は、WLBが企業のビジネス戦略となっていることを示している。)


○「私たちのためのWLB」にするために
 
 このように、WLBは、実は私たちの生活改善に何か役に立つようなものではない。職場の外だろうがお構いなしに、「もっと働け! もっと努力しろ!」と私たちをせき立てるものなのである。
シゴトと生活の調和という問題を私たちの視点で立て直したときに、WLBはもっと国や企業に要求する内容に変わるはずである。たとえば、育児や介護、社会福祉に関して言えば、政府にお金を要求したり、男性の育児休暇取得を制度化するよう企業に訴えたりすることになるだろう。そもそも、生活費が足り無ければ「多様な生き方」はなんのリアリティも持たない。したがって、政府には生活保護を、企業には十分な賃金を支払うように求める動きになっていく。
 この点に関して、「憲章」ではフリーターを少なくすることによって経済的自立を達成させようとしている。しかし、これは問題解決にはつながらない。なぜなら、フリーターを一定数確保することは規定路線だからだ。ゆえにフリーターはいなくならないし、そもそもそんなに減らない。「憲章」では多少言及されているのみだが、フリーターの待遇を改善していくことこそが解決への道である。具体的な内容に関しては、POSSEの政策提言「style3」を見てほしい。(こちら→http://www.npoposse.jp/style3/
 WLBの理念自体は、参照すべき内容を多く含んでいる。しかし、国や企業に任せていてはダメだということが「憲章」を見ていくとよくわかった。私たちの生活は、もっと多様で、もっと自由であっていいはずであるし、政治においては最も考慮されるべきものである。とは言え、国は国の、企業は企業の利益・権益を最優先させるのも当然のことと言える。私たち自身の頭でシゴトと生活の調和をどうしていくべきか考えることが求められているのだ。(ing)

コメント一覧

yakan
後半が・・・
前半の議論はかなり整理されていますね。

残念なのは後半が尻すぼみになってしまっていること。特に「なぜなら、フリーターを一定数確保することは規定路線だからだ」の辺りはきっちりと説明が欲しいところです。

財界の文章や、労働市場の構造を踏まえれば、ある程度説得力のある叙述をすることはそうむずかしくないとおもいます。
POCO
難しいですね
ホントに、人が生きていくのが大変で、難しい世の中になってますね。

ブログでいわれているように、政策レベルで不安定雇用の人数を維持しよう(あわよくば増加させよう)としているのに、フリーターのような働き方をしている人には「自己責任」という言葉が投げかけられたり、問題がその人の資質や性格などに起因するものと未だにとらえられていることにやりきれなさを感じます。

ボランティアはその精神は素晴らしいものだと思いますが、記述されてるように利用されてしまうとダメですね。NPOもボランティア精神に根差しているという意味では、記述されているような論理に乗っかっているんでしょうが、その辺自覚してやっていきたいですね!
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