井の中の蛙 大海を知る

日常生活の奇特な人と事柄のあれこれ
~蛙のぼやき🐸~

2005年10月04日 | 家族
15年程前の我が家は七人家族の大所帯だった。田舎から従姉弟が二人高校の期間だけ暮らしていたからだ。
その数年の為だけに母は畑のあった庭を潰して増築を行った。家庭が複雑だった従姉弟たちの母親代わりのつもりだったのだろう。
父は車を七人乗りに替えさせられた。実際七人全員で外出することは一度もなく、弟のハンドボール部の遠征で活躍しただけだった。
とは言え決して裕福な家庭だった訳ではない。母は家計を助ける為に内職しかせず、絶対に外で働くことはしなかった。
その代わり節約、節約の切り詰める生活の毎日。
その頃社会人となったばかりのあたしは初任給で黒電話を留守番電話に替え、念願のビデオデッキを購入した。

その従姉弟も社会人となると直ぐ、その家を出て行った。今は二人とも所帯を持っている。妹も二十歳で嫁ぎあたしも弟も出て行った今、父と母二人だけの城となっている。孫の別宅も兼ねてはいるものの、あたしには無用の長物でしかならない。あれだけ節約した結果がこれだ。
いくら広い家を建て外見を固めても中身が伴わなければ意味が無い。
母は皆が巣立ったら下宿屋をするなどと時代錯誤も甚だしいことを言っていたっけ。。。
母はあたしを浪費家だと言うが、あたしから見ればそれ程まで節約して家を建てる必要があったのか疑問でならない。そりゃ自分の部屋も持て良かったとは思うがその為の犠牲の方が遥かに大きい。ギスギスした嫌な空気が漂った家の中は気が滅入る。その為か父は毎晩(懐が許す限り)飲みに行って家にはいない。父の稼ぎで建てられた家、その稼ぎを遣り繰りをしたのはあたしやと言う母。

あたしが出て行かなければならなくなった根源である邪魔な訳は、田舎で年老いた祖父母と病気の叔父さんをこの家に住ませようとする母の陰謀に他ならない。母は相談と言うことを知らない。自分の考えが一番だから誰にも聞くことをしない。だから衝突する。しかもその母の考えを覆すことしか言わないあたしが一番我慢ならなかったのだろう。
あたしが家を出た翌月に田舎で白飯とらっきょうしか与えられず、排泄物も垂れ流しで紙おむつは洗って使わされていた祖父が入院した。母は'お婆は金の要るようなことは一切せん'と、介護保険の話にも耳を傾けなかった。結局異臭に堪りかねた祖母が入院という手段に出たのだった。
先日田舎へ行った時、祖父のところへも寄って来た。ヘルパーさんにロビーに居ると聞き覗いたが一瞬判らなかった。あのお調子者の祖父の面影は全くなく痩せ細りつなぎを着て車椅子に座ってボケッと相撲を観ていた。あたしが声を掛けると首を傾げなんとなく孫であることが分かったらしく、'イクんとこのメグじゃ'と呟いた。あたしの顔を見ては渋そうな顔をする。左手は動きが鈍い。夕食の介助をしその場を後にした。

母は子供の頃実母から満足に食事を与えられなかったらしい。そのトラウマからか我が子にはそんな思いはさせたくないと食事にはうるさい。友達が遊びに来ようとも食事の時間は食事と友達にまでご飯が出てくる始末。極端だ。

とはそこに集う者=家族の生活の空間。ゆっくり寛げ皆が集う場であってこそ意味を成し、そういった空間創りをするのが家を預かっている妻=母親の使命じゃないかと思う。所さんが言っていた。奥さんにはいつも笑っていてほしいそうすれば家が暗くならないでしょうと。。。


田舎から帰って来たあたしにU-sanは'金庫は?'そうドケチの祖母の寝床の奥にウン千万もが眠る金庫があるらしいのだ。母が憎きトラウマでもあるはずの実親と実弟の三人の面倒を見ると言い出したのには企みあってのことなのだったくわばらくわばら