ポンタの菜園日記

千草台園芸サークルの萩台農園で、気ままな野菜作りの日々をつづった日記です。

ポンタの東北紀行 第一回 (気仙沼 1)

2012年01月27日 | 東北紀行

1月22日~25日にわたって、東北方面に一人旅に行ってきました。

気仙沼、仙台、松島、塩釜、浦戸諸島と昨年の震災で大きな被害を受けた地域や、新たに世界遺産認定を受けた平泉・中尊寺まで足を延ばしての旅になりました。

大震災の被災地の現状やこれから東北旅行に行かれる方の参考になればと、簡単な紀行文と写真を気の向くまま3~4回に分けて掲載したいと思います。

<ポンタの東北紀行 第一回(気仙沼 1)>

1月22日(日)小雨の千葉を出発。新幹線で宇都宮を過ぎると、雪景色が徐々に濃さを増していく。岩手県一ノ関駅で新幹線を降り2両編成の大船渡線に乗換て約1時間半、手前の新月(にいつき)駅まであった雪がいつの間にか消えて気仙沼駅に到着。

大船渡線と言っても、気仙沼から大船渡間は震災の被害で線路はまだ寸断されており、気仙沼が終着駅となっている。

 

 

 

 [駅付近は高台にあるため津波の直接被害はないようだった。]  

 

 

 

 

気仙沼港を見降ろす高台にある気仙沼プラザホテルに入る。このホテルは高台に位置しているため津波の被害にあわず、震災直後は避難所として提供された。5月に一部一般営業を再開しているが、その後も主に復興業務の作業員やボランティアの人達の宿泊所となっているようだ。部屋の窓から気仙沼港が一望出来た。

 

 

 

 [カーフェリーが航行して平和な港の日常風景に見えるが…真ん中の島のような神社の右手奥は、建物が津波で流されて空き地が目立つ。]

 

 

 

夕暮れまで少し時間があったので、窓から見えた気仙沼港に足を運ぶことにした。

ホテルを出て歩き始めるとそこには震災の爪痕がいたるところに残っていた。道路に溜まった砂、折れた街灯、波打つ敷石、曲がりくねったガードレール…港についても桟橋はほとんど水没したままだった。

 

 

 

 [地盤沈下で、水面が岸壁と同じ高さだ。こんなに危険な場所なのに、立ち入り禁止の表示やロープは一切張られていない…これは市街地に入っても同じだった…そう、ロープを張るなら町中に張らないといけないからだ…。]  

 

 

 

 

 

 [以前の桟橋はすべて水没したまま。被害のひどかった南気仙沼地区から移設された急造のフェリー桟橋だけが稼働しているようだった。]  

 

 

 

 

 

 

 [気仙沼港の象徴であったであろう「港町ブルース」のステンレススチールと石でできた碑も無残な姿に。]  

 

 

 

港の前に広がる商店街や繁華街に足を踏み入れると、さらに悲惨な光景が目に飛び込んでくる。遠目で見たときは津波に耐えた街並みが残っているいように見えたが、近くで見る限り人の住めるような建物はほとんど無いようだった。

 

 

  

 [気仙沼港の市街地…]  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 [地盤沈下で町全体が沈んでしまったため、元の道路の上に砕石を盛って50㎝~1mほど高くし、車が通れるようにしてあった。]  

 

 

 

写真はせいぜい90度程度の範囲しか写らないが、人の目は150度位までの広い範囲が一気に目に飛び込んでくる。「ゴーストタウン」という言葉で更迭された復興相がいたが、その言葉以外の言葉が見つからない…

ただ、街中は悲惨な風景ばかりではなかった。飲食店が集まった気仙沼復興市場や昨年年末にオープンしたいろいろな商店が集まった復興商店街など、港町の復興が一歩一歩始まっていた。

 

 

 

 [復興の象徴として地元の飲食店の人達が集まって真っ先に作られた復興市場。何も無くなってしまった港町で、地元の人はもちろん、工事関係者や旅行者の憩いの場になっている。]  

 

 

 

 

 

 [復興商店街には、床屋さんや肉屋さん、ピアノ教室などいろいろなお店が50件ほど参加しているという。ポンタもコロッケ屋さんでお勧めのカボチャコロッケを揚げてもらい、コーヒーと一緒にいただいた。美味しかったです。]  

 

 

夕暮れが迫りあたりが徐々に暗くなってきた時、町中で一か所明りが灯ったところがあった。明りに引き寄せられるように歩いて行くと、営業中の旗がたなびく一軒の食堂が目に入った。ここにも頑張っている人がいる…少しだけホッとした気持ちになり食堂に入る。

 

 

 [ 「食堂 やまと」 さんは、周囲のビルのおかげで比較的被害が少なかったため急いで改築し、町の復興を願って営業を再開したという。気仙沼名物のふかひれラーメンがとても美味しく、心まで温かくなった。]  

 

 

 

ホテルへの帰り道に再び港を通ると、ほとんど街灯が無い中でカーフェリーの明りだけが眩しいほどに輝いていた。

 

 

 

 [一瞬きれいな夜景写真だが、手前の折れ曲がった手すりが痛々しい。]  

 

 

 

明日は地元の知人が気仙沼市内でも被害の大きかった南気仙沼や北側の浜町方面を案内してくれる予定だが、この1~2時間でもうポンタの胸はいっぱいになってしまっている。果たしてどこまで正視できるか…



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