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「226事件を覚えている 機関銃の音が聞えて怖かった」
1925年大正14年生まれ当時11歳だった家族(存命)の証言です。
写真右上黄枠 わが家が暮らした浅草橋(当時:向柳原町)です。
当時、向柳原町において花孝という花屋を営んでおりました。
226事件のひとつの地点、警視庁までは直線距離で約4キロ。
皇居が白色なのは、軍の統制によるものです。
当時の世相は、
鳥越バー おかず横丁 鳥越キネマ 5厘でおでん、きな粉団子が買えた。
父親(神田、ケンカの金太の一の子分)と蔵前に相撲を見物に行った。
柳橋で芸者を見た。
意外にも社会は明るく、貧しいながらも楽しい毎日だったそうです。