鉛筆
鉛筆は書くためにあるのか
この頃 分からなくなってきた
鉛筆の芯の中に隠されているが押し出されることで文字や記号などになる鉛筆
その気持ちを
私たちは永遠に理解できないだろう
昔はこのような難しいことを考えもしなかったから書きたいときに鉛筆を持った
鉛筆は書くためにあったのだ
原発震災後から同じ鉛筆を持っても
鉛筆の芯が文字や記号になることを拒否した
しばらく気持ちが違うところにいっていたのだろう
たった一本の鉛筆でもその芯が紙の上に文字や記号として落とせば
小さいが一つの歴史ができあがる
その歴史の恥部が福島県の浜通りにあるのだ
だから気持ちを落ち着かせるようにしながら書くのだが
一Fのメルトダウンと書くときにはときどきだが真っ二つに鉛筆の芯が折れる
パソコンであれば上手に変換しながら書けるのだが
鉛筆を持つときその手が硬直するから書くことを拒否していることが分かる
鉛筆は考えている筈だ
いつまでもこの状態を続けても前には進めないと
だからこの頃は鉛筆を削るとき芯は穏やかに出てくる
鉛筆は書くためにあるのか
そうなのだと聴きとれない声が聴こえてくる
原発震災後六年が過ぎてから鉛筆の芯の気持ちが少し分かってきた
紙の上に落とした鉛筆の芯で書いた文字や記号などは
槍の穂先のような鋭さは消えている
このようにして少しずつ落ち着いて行くのだろう