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~オーラソーマと出会い、夢だったプラクティショナーを通り抜け、今また新たな扉へと突き進む★pinoco★の心の記録~

『海辺のカフカ』再読終了

2014-06-26 20:59:17 | I LOVE 本・映画・ドラマ・音楽




2度目の『海辺のカフカ』を読み終えた。


「これは、まだまだ読み取りきれそうにないな・・」と深く息を吐きつつ
「いったい前回読んだときはどんなふうな読み方(?)をしてたんだ?」
と4年前の自分のブログを読み返して、唖然とした気持ちになる。

「とっっっても面白かったです」とか言ってるポップな自分が遠い。


まぁ、あの頃は村上春樹作品に出会ったばかりで
その「深さ」を追い求めるよりも、文体や構成の面白さに
初体験ならではの衝撃を受けていたのだろうけど。


作品を読み続けてくるとその手法にはすっかりと慣れ、
心は強烈にストーリーに惹き込まれながらも
頭の片隅では常に“今の自分でいったいどこまで
この作品の深部に迫れているのだろう・・”
“私は読み取れているか? 追いつけているか?”
と難解な試験問題を前に途方に暮れる学生のような気分で
作品と向き合わされる(?)こととなる。

「頭」と「心」、「意識」と「無意識」、「右脳」と「左脳」、
よくわからないけど同時に2つ別々のものを
器用に使い分けながら読み進める技術が
勝手に鍛えられていくような?


それはちょうど
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の主人公が
右手と左手で同時に左右のポケットの中の小銭を計算するような?


そう、この『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を
読んでいるのといないのとでは、その後の彼の作品への
理解度?受信力?は相当違ってくるのだろうと今回感じた。

以前の私は、これを読まぬまま『海辺のカフカ』を旅し、
今の私は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を体験し
再び『海辺のカフカ』の世界を訪れたわけなのだ。




「森の奥に潜む世界」
今回は勝手にイメージが膨らんでいった。
私はもうはっきりと(視覚的に)その世界を知っている
(果たしてそうだろうか?書きながら“知ってる感”は崩れつつあるが)
そう思いながら読んだ。では前回は?
まっさらな状態で、私はどんなふうに読み取ったのだろう?
あの世界をどうイメージしたのだろう?
まったく覚えてない。

そして、「図書館」が象徴するもの・・




もっともっといろんなことが隠されているだろうことを
心は感じているのだけれど、それを言葉にできない
この歯痒さよ。

言葉にしたり、理解した気になって分析したりする必要なんて
ないのだとわかっていても、この歯痒さは消えない。


そう、もっともっと知りたいのだ。

奥深くまで、物語の中枢まで行きたいのだ。





『ことばで説明してもそこにあるものを
正しく伝えることはできないから。
本当の答えというのはことばにはできないものだから』


『ことばで説明しても正しく伝わらないものは、
まったく説明しないのがいちばんいい。たとえ自分に対しても』





この先も何度も何度も新作のような気分で読むのだろうな。

今の私じゃきっと、まだまだ追いつけてない。

だからこそ何度も読みたくなるのだろう。



もっと心の感度を高めよう。頭の中もクリアにしていこう。
健やかな肉体を意識して、タフに、
この現実を生き抜いた先で、また出会いたい。


この「私」で、どこまで味わい尽くせるようになるものか・・



「物語」の素晴らしいところは、
いつだって待っていてくれるところ。

入口は、誰にでもひらかれている。




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