今日はまず訃報から。
カープの黄金時代を築いた一人である衣笠祥雄さんがご逝去されました。
私が地元を離れて東京に出てきた年1975年にカープが初のリーグ優勝を果たしました。
それまでプロ野球にはまったく興味のなかった私が「広島」と名のつく物に郷愁を感じるようになった頃です。
野球の分からない私も山本浩二さんと衣笠祥雄さんの活躍に、勇気や元気をいただいたものです。
数年前衣笠さんの特集をテレビで観て、その為人の素晴らしさに感銘を受け、自分の属していたチームを贔屓しない解説にも好感を持っていましたし、野球の分からない私はその解説で野球というものを学んだような気もします。
人の人生の終わりに「まだ早い」とか「これからだ」という言葉を私は使いたくないのですが。
素晴らしい記録を残されただけでなく、人としても尊敬に値する衣笠さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
さて、タイ行記5日目は、絶対はずせなかったアユタヤ遺跡です。
アユタヤ王朝は14~18世紀に王都として繁栄した世界遺産の古都で、バンコクの北約80キロの所にあります。
この日は車で移動しました。
空から見ても思ったのですが、バンコク周辺の大地はまっ平ら。
どこまで走っても丘のようなものすら見えません。
車が停まると、花売りの人が近づいてきます。
そう言えばアメリカでも信号待ちの時に物売りが寄ってきて怖かったのを思い出す。
あの頃、車の窓を開けたら、いきなり銃で撃たれて亡くなった日本人のニュースを聞いたような気がします。
ここはそんな事はないでしょうが、これだけで生計を立てておられるのでしょうか。
アユタヤに入ってふと窓ガラスを触ると、何だかめっちゃ熱い。
きっと外は死ぬほど暑いんだろうなあと思いつつ、外に出ると、まあ半端ない暑さです。どうやらここは盆地?のようです。
1767年4月7日、ビルマ軍の総攻撃で一夜にして破壊され、滅亡してしまったというアユタヤ王朝。
最初に訪れたのはワット・ヤイチャイモンコン。
はしゃいでおりますが、暑いです。汗がぼたぼた流れますが、ハンカチで汗をぬぐうような事をしているのは私だけ。
みんなどんな汗腺をしているのでしょうか。
暑さでバテそう。次の寺院へ移動です。
という事で、ワット・プラマハタートへ。
ここにはビルマ軍によって首から上などを無残に切り落とされた仏像たちが並んでいます。
どんなもので切ったのか、スパッと切れています。むごいことをするものです。
因みにこの派手なシャツが、タイの新年にみんなが着ているのを見て買った100バーツの花柄のシャツです。
なんとなくこの旅はオレンジな気持ちでした。本当はもっと派手なのが欲しかったのですが。
日本では着る時がないと思い、主人にあげました(笑)
太陽は真上ですね。影が超短い。
そんなここには有名なものが。
切り落とされた仏頭を長年をかけて菩提樹の根が覆っているのです。
想像していたより小さい物でしたが、奇跡的な光景です。
この仏様の頭を誰かが切り落としたわけでしょうが、それを恨む風でもなく、穏やかで慈悲深いお顔です。
この方赤いシャツに金髪。いい感じで風景の一部になってますね。
とにかく暑くて暑くて、本当ならもっとじっくりまわりたいところですが、ざっくりまわりました。
塔はほとんど傾いて建っています。なぜなのかちょっと調べたけど分かりませんでした。
またこれらの小さな塔には入り口はあるのですが、居住のためのものではなさそうで、一体何に使われていたのかそれもよくわかりませんでしたが、どちらかというと地下室があるのかも知れないです。
さて、しつこいようですが、ほんっとに暑い。
木陰で一休みして、次のイベントです。
並んで待って、象に乗りましたぞう。
こんな感じです。思いのほか長い時間乗りますし、結構な揺れです。
道行く車の中から、私たちの乗った象を撮影している人が何人かいたので、世界のどこかに私たちの映像があるはずですぞう。
アユタヤはもっと良い季節に行った方がいいです、なんちゃって、この国は3シーズンという話は昨日しましたね。
いつ行っても暑いと思いますが、雨が降ったら最悪のようなので、雨じゃなくてよかったという事にしましょう。
ここはもっと沢山の見所がありますが、この日は先日船から見た、川のほとりに立つワットアルンの夕景を見るつもりなので、
暑い暑いアユタヤを出て、まっ平らの道をバンコク方面へ引き返します。
つづく
現在東京地方、大雨と強風です。
お出かけの皆さんお気をつけて。
感謝をこめて
つる姫