写真屋さんだった父は、出来上がった写真の配達に行くときなど、私を連れて行くことが多かった。
記憶にはないが、私の方から連れていってくれ、と頼んだのかもしれない。
当時の田舎では、まだ車を持っている人は少なく、幼心にも優越感のようなものがあったように思う。
その頃の写真館は、いわゆるバブルだった。
車もテレビもステレオも、父が誰よりも早く購入した。
年に数回ではあったが、大きな町に連れていってもらえる時は、特にワクワクだった。
まだ道も悪くて、車で2時間ほどもかかる町に行き、父が用事をしている間、車の中で待つ。
幼い私は、クラクションを鳴らしてみたい衝動にかられるのを、必死で我慢した。
父が戻って来るのを気にしながら、運転席に移り、そうっとハンドルを握ってみたこともあった。
計画性のない父だった。
用事が終わって帰る頃には、日が沈んでしまう事もあった。
ある日、とっぷりと暮れてしまった山道を、自宅に向かって車を走らせていた父が、街灯もない山道の途中で、急に車を停めた。
「なんじゃろう。おしっこかな?」
いぶかる私。
「つる、そとにでてみんさい」。
父に促されて、私は、暗闇を恐れながらも、おそるおそる車を降りた。
あ・・・・
私たちの周りには、夥しい数の蛍が舞っていた。
足元さえ見えない暗闇の中、まるで宇宙の中に立っているようだった。
聞こえて来るのは、カエルの声だけだった。
何を思ったか、父が、車の座席に敷いていた小さな座布団を取り出して、空に向かって放りあげた。
「おとうちゃん、なにしょうるん?」
再び、いぶかる私。
落ちてきた座布団の下に、数匹の蛍がいた。
それほど密集して、蛍が飛んでいたのだ。
記憶にはないが、アイディアマンの父は、何かを利用して、蛍を自宅に持ち帰った。
買ってもらった、今川焼き(私たちは、ふくふくまんじゅうと呼んでいた)の紙袋だったかもしれない。
すっかり遅くなって帰宅した私たちを、母は少し咎めたように記憶している。
しかし、父が居間のあかりを消して、持ち帰った蛍を部屋に放った時に、
母の怒りは収まったはずだ。
幼い弟は寝てしまって、一緒に蛍を見ることはできなかった。
翌朝には死んでしまった蛍を、優しいお姉ちゃんの私は、弟に見せないように、そっと庭の隅に埋めた。
山で育った私の見た蛍の風景は、真っ暗な空と、さらに黒い山のシルエット。
蛍の光で、たまに見える、たんぼの稲。
ひとつき以上ぶりの絵は、記憶だけで描いた蛍の光景。
昭和30年代に、山の田舎で育ち、このような記憶があることに、感謝。
ちなみに、蛍は、臭いです。
(笑)
文章力が落ちて、うまく書けませんでした。
本を読もう。。。
今日もつつがなく過ぎますように
感謝をこめて
つる姫
私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。
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