☆つる姫の星の燈火☆

祈り

4年前のこの日のあの時、あなたは何をしていましたか?

 

私はこたつでうとうとしてしまい、

そろそろ夕方からのお出かけのために支度を・・と天井を見ていました。

こたつの上には飲みかけのコーヒー。

ロッキーは自分のお布団で丸くなって寝ていました。

 

ん?

地震だ。。

前の週にゆらゆらと長い地震があったのを思い出し、またか、と思いました。

しかし、揺れはどんどん大きくなり、かつて経験した事のない強い揺れに。

家を組み立てる鉄骨がきしむ音。上の階の物が倒れる音。

ちょうど階段の所に積み上げていた整理する予定の書籍たちが

階段から落ちる音が聞こえました。

私はロッキーを抱きしめて腰が抜けたように動けませんでした。

こたつの上に置かれていたコーヒーカップが倒れ、

茶色い水溜りが広がっていました。

揺れが尋常ではないと感じた時に、私は携帯で友達と渋谷辺りにいるはずの娘に電話しました。

繋がりません。

主人や息子にメールしましたが返信はありません。

揺れが収まり、何が起こったかわからない状態のまま家の中を確認に回ると

ロックされていなかった3階の窓が5センチほど開いていました。

この方向に横揺れしたのだな、と怖ろしくなりました。

そのうち家族からのメールなどが一気に入ってきました。

どうやらみんな無事なようで、それぞれがとるべき行動を確認し合って

私はロッキーの散歩に出ました。

町は何事もなかったように、いつもの夕暮を迎えていました。

しかし帰宅してからテレビをつけて、事の重大さを知りました。

 

奇しくもその日の明け方、

大地震が起こって最後に息子の無事を確認した夢を見ていました。

現実にも息子と連絡が取れたのは娘と主人の後でした。

その息子が出かけるときに、大地震の夢を見たと話していたのです。

まさか本当に巨大地震が起こるとは。

 

東陽町にいた主人と銀座にいた息子は合流して徒歩で品川の自宅に帰ってきました。

渋谷にいた娘は、テレビで銀座線が復旧したと知った私の連絡を受け

すぐに銀座線で友人の自宅に向かいました。

その後すぐに銀座線はパンクして不通になりましたから

携帯があってよかったと、文明の利器を心から有り難いと思いました。

娘はもう高校生でしたが周りの大人、お巡りさんは

少しも娘たちを助けるような言動をとってくれなかった、と聞きました。

仕方のない事だと、若い娘が言っていましたが、確かにそうですが悲しい事です。

よい話も聞きますが、現実です。

 

翌朝娘が帰宅して家族が揃い、その日の夜はリビングに布団を運んで

家族4人で眠りました。

大学生の息子と高校生の娘でしたから、そこまでする必要はなかったのですが

幼い頃、台風や停電の時に家族が同じ部屋に集まってロウソクを付けた時の

あの時の不思議な気持ちを思い出しました。

怖いけど・・・父や母がいつもよりそばにいる。

 

あれから4年。

家族が揃う事は滅多になくなり、あの日の事も機会がなければ思い出しません。

それはある意味幸せな事なのかも知れません。

私が心臓の鼓動を意識しないで暮らせるようになるようなものかも知れません。

当事者でなければ分からない事があり

当事者でないものは、事実を知り、そこから想像することしかできません。

 

だから私は今日もあの時間に黙とうを捧げます。

役目を果たして天に昇った命とこの国の未来そして自分自身のために。

 

今朝の東京の上には、久々の輝く青空が広がっています。

そのさらに上に果てしない宇宙があり、その宇宙はすべての人の心とつながっている。

だから祈りというものはすべてに通じて、自分自身の心にも安寧をもたらすのだと思います。

 

 

ご訪問ありがとうございます。

感謝をこめて

つる姫

 

 

去年の3.11福島にて

福島在住の友人が丸太をチェーンソーで刻んで創ったものです。

友人は今日と明日金沢でチャリティー活動をされています。

そんな方を友人と呼ばせていただくにはおこがましいですが

私は背伸びしないで自分のできる事をしようと思います。


私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。

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