新 ナローファンの隣の部屋

だんだん走れなくなってきたナローゲージャー

犬と暮らす

2021年07月02日 12時44分00秒 | Weblog
 1995年3月に家族が大阪千里丘の社宅から今の家に戻った時(私は単身赴任の身になり今里のワンルームマンション暮らしを半年続けました)、最初にした事は新しい家族を迎える事でした。当時妻の実家は日本橋でケンネルショップを営んでいたので、娘が義父におねだりしてチャンピョン犬の子どもをもらってきました。犬種はシーズー名前はピンキー(ハンドルネームで使っていますが)
 この子は一頭子どもを産んだのですが家族が他所には行かせられないと、我が家で生活する事に、名前はチェリー



 近所に子犬が生まれたのでと張り紙があり、私が家庭教師のバイトをやっていた家という縁もあって増えた家族がミュー






 ピンキーが亡くなったのが2008年12月6日
 2頭いれば十分かもしれませんが犬に囲まれて(妻の実家は浜田山でブリーダーもしていました)




育った妻は保護犬のシュナウザーの混血種を見つけ新しい家族に。名前はテテ






これで三頭での生活になりました。



チェリー 2014年5月23日
ミュー 2019年1月8日
テテ  2021年4月29日
と亡くなり、誰もいなくなってしまいました。
 妻が(私も倅もですが)ペットロスになるかと心配したのですが、妻は悲しい事を忘れようと保護犬を預かる事でネットを検索、目に止まったのがメスのシーズーでした。
 ブリーダーで繁殖犬として子供を産む事が役目だった子ですから家に来ても食事はしない、警戒心が強い。どうかなあと思っていたら、妻がこの子のうちの家族だね、って言われた時色々な意味で犬に育ててもらった妻の強い思いがあるのだろうと保護犬の団体に譲り受けをお願いしました。
名前は倅がパイン🍍と命名、倅のことを知っている人はさもありなん、らしいです。




家に来て2か月、散歩は嫌いですが随分と慣れて来てくれました。歯がほとんど抜けているのとアレルギー体質なので妻は食事に気を使っていますが、たくさん食べてくれる姿を見ると夫婦で癒されています。



ピンキーとパインはそっくりです。
(スマホの中にピンキーの写真ありませんでした)
パインが慣れてきたらもう一頭保護犬、って言われるのは覚悟しています。

 

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