献血を始めたのは20歳になってから、それまでは高校の部活とか浪人生活のためその気になれませんでした。
また、当時(1975年ころ)は輸血を受けるには献血手帳の提示を求められたりして母親から私に何かあったらどうするのと恫喝されたのも始めた理由です。
その後、就職し会社から献血手帳を供出するように言われ一回分を出したりもしました。
献血制度についてはこちらの資料をご覧ください。
https://www.mhlw.go.jp/content/11127000/000892510.pdf
私の生涯の献血回数は181回ですが、会社に出した分は合算していませんし、献血手帳を紛失したとき
銀色有功賞を提示して手帳の再発行してもらい(当時はそれすら特殊扱い)に30回以上部分は切り捨てたので本当はもう少し多いと思います。金色有功賞は大阪勤務時代にもらいました。
旧制度で銀色 (30回) 又は金色. (50回)でした。
受賞のセレモニー(大勢来場していました) は人事部勤務だったので上司も嫌な顔せずに送り出してくれました
https://www.jrc.or.jp/contribute/commendation/
最初のころは200CCで1回、400CCで2回カウントが200,400関係なしに一回になったと思います。当時200CCは1ケ月あけなければならなったので、理論値は最大年12回
実際年10回の年もありました。献血バスですると30分程度で採血が終わりましたからバスを見つければ献血していました。(400CC開始時は二ケ月あけるので年6回が最大になったと思います)
成分献血が始まると月二回が可能となりましたが献血ルームでの予約が必要なのでペースを上げての献血はしませんでした。吉祥寺の駅前のビルに献血ルーム(タキオン)が
出来てからはもっぱらそこを利用しました。(全血、成分とも)
献血後にアイスクリームは食べられるし、飲み物自由(今は飲め飲めですが)を目当てに献血する人は私以外にもいたみたいです。
最近のタキオンは女性が増えた印象で、男どもどうした。と思ったりもします。
今回送られてきた感謝状は日赤のホームページに以下の説明が記載れています。
70回以上の場合、銀色有功章、100回以上の場合、金色有功章を贈呈させていただいております。
また、献血者顕彰規定にもとづき献血回数10回、30回、50回の節目に記念品を贈呈させていただいております。
更に、200回到達者(以後100回到達ごと)、50回以上の献血者で満60歳を迎えた後に献血をした方、
および50回以上の献血者で満68歳を迎えた後に献血をした方には感謝状を贈呈させていただいております。
ということで、これを区切りに一年早いですが腕を下ろすことにしました。