冥土院日本(MADE IN NIPPON)

日本人の山に対する特別な想い

信仰の発見 「日本人はなぜ手を合わせるのか」 水曜社刊
いのちの営みから生まれる穏やかな宗教心 立松和平(作家)より抜粋紹介

■日本人の山に対する特別な想い

ある雑誌で「日本一〇〇霊峰巡礼」という企画を連載し、毎月、山に登っている。修験の道でもあった山というものを、見つめ直してみようという主旨で始めたものだ。昔から日本は山岳宗教が非常に盛んで、山中に霊場を求めたガ霊場をつくって人が入るという信仰の形があった。いまでもほそぼそと続いているとはいうものの、現代日本人の山に対する感覚は、ヨーロッパのスポーツ登山のように征服と被征服の関係になってしまった。長いあいだ山に抱いてきたおごそかな想いや畏敬の念が消えてしまったように見える。雑誌の企画は、昔の日本人がもっていた山に対する感覚を取り戻そうという試みだが、実際に山を歩いて見ると、やっぱり山には他界観というか、神仏や人間ではないものの存在という、日本人がつくってきた信仰の原型のようなものの存在を強く感じることができる。

昔は日常生活のなかで、毎日遠くに見上げる山に神仏を感じた。なかには魔物もいたりしたわけだが、霊性を求めて人々が山に登った人々の気持ちが非常によくわかるような気がする。日常生活というのは見える存在、範囲でしかない。だから、主観が届く範囲以外の別の世界があるということを、山に登ったり仰いだりすることで確認していたのだと思える。たとえば、日本の象徴である富士山はもちろんのこと、茨城県の筑波山、僕の田舎の栃木県なら男体山というような、地域の代表的な山は必ず霊場になっている。だから、霊山に入るということが特別な意味をもっていたことは容易に想像できる。おそらく、そこで日常生活を見直すという感覚があったとも考えられる。

いまでもそういう感覚はあるようだ。たとえば、筑波山は『古事記」や『日本書紀』よりももっと古い時代から開けていた山で、ヤマトタケル伝説より古く、天孫降臨の伝承もあるが、それは大和朝廷に制圧される以前から信仰の山として存在した証だと考えられ、実際信仰の対象にしたと思われる岩や岩場がたくさんある。そこはカミのよる「ヨリシロ」である。

また、男体山はその昔、観音浄土の補陀落(ほだらく)とされていた。山そのものが二荒山神社のご神体で、山頂には奥宮がある。法華経の一節に「是の処は即ち是れ道場なり」とあるが、男体山は自分白身を高めるための上求菩提(じょうぐぼだい)の修行道場でもあったのである。

男体山に最初に登ろうとしたのは、奈良時代に生まれた僧勝道である。彼は十六年の歳月をかけて初めて山頂に立つのだが、その道は長く険しい修験の修行の過程でもあった。その時の様子が、いまでも日光の輸王寺に残り、空海の『性霊集』にも載っている。これを読むと、男体山に限らず、人が生きてい場所はどこでも道場という、法華経の一節が納得できるのだ。

続く


信仰の発見―日本人はなぜ手を合わせるのか
瀬戸内寂聴 ほか
水曜社

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