コンセントの差し口の形状が各国で変わることをすっかり忘れていて、忘れないようにと持っていったiPhoneの充電器はまったく役に立たなかった。
代わりに友人が持っていたiPodのUSBケーブルを借りて、仮死状態のiPhoneをホテルのロビーにあるPCでひたすらにパワーチャージしていた。
帰りに気付いたが、飛行機の座席のテレビ画面のところにUSBポートがあってそこでも充電は可能であった。
携帯電話がなくて、連絡が取れなくて困る、ということはさほど問題ではない。
花の写真が撮れないことが一番の問題である。
あとは、ブログを書けないというのも少しの残念ではあるが、短い旅で予定が詰まっていたし、乗り物に乗ってはすぐに寝ていたので、実質ブログを書いている暇はなかった。
備忘録的に今回のパース行きを振り返っておく。
日記というのは、当日、翌日内に書くのは、やはり記憶の新鮮さや気持ちの高揚度の生々しさがあるので意味がある。
後日談では事実の羅列になりがちだ。
しかしそれでも書き留めておきたいし、まだ湿っている記憶のうちに書いておこう。
時系列に書こうと思っているが、そうすると長くなるだろうか。
地元に住んでいる友人は早朝の新幹線ではフライトに間に合わないので、前日の夜遅くに私の家に泊まりに来た。
私よりも1泊長い旅になるわけで、いくらまあまあ気心が知れた友人とは言え、彼女はこの時点で既に旅のストレスは始まっていただろう。
ちなみに私は、旅は「ストレス」だと思っている。
ここでいう「ストレス」というのは「日常ではない刺激がある状態」であり、必ずしも負の意味だけではない。
そして正でも負でも、ストレスを受けると疲労する。
私は夜には眠れないので、彼女にはシャワーを浴びてもらってベッドを貸し、私は荷造りを始めた。
もっとも、比較的長旅の経験もあるので、荷造りに大した時間を要せず、ピンクのスーツケース半分くらいにあっけなく荷造りは終わってしまった。
朝の5時半に家を出る予定だったので、私はそのまま起きていて、借りた哲学書の2冊のうち、もう1冊を読む。
こちらは東洋哲学ではなく、西洋哲学。
東洋哲学の方がグッとくる。
朝、彼女が起きて、コーヒーを淹れて、洗濯機を回す。
家を空けるときは、掃除と洗濯をしていきたい。
疲労を抱えて帰ったときに、やらなければならないことがどんと溜まっているのはとても嫌である。
こういう機会に、なかなか乾かない分厚いクッションカバーも洗っていく。
私も彼女も焦るのが嫌いな小心者なので、予定通りに出発して、早めに成田空港に到着する。
諸々の手続きを済ませ、お腹が空いたと空港をうろうろして「空海」のラーメンを食べる。
あっさり塩味で美味しいのだけれど、生理後だったのでもう少し塩辛さを抜いて欲しかった。
香港で乗り継ぐ際、世界各国、さまざまな都市への行き先の飛行機が止まっていたのを見て、あぁどこにでも行けるんだな、としみじみ思う。
誰も彼も、自分の都合でどこかに行くんだな、と。
誰かは、私が死ぬまで知り得ない世界の果てまで行くし、その誰かが知り得ない世界の果てに私はいるかもしれない。
世界は分からないことだらけとも言えるし、世界は私しかいないとも言える。
読んだ哲学書の影響を多分に受けているが、哲学書は私の考えていたそのことをうまく説明してくれただけのような気もする。
香港まで5時間、そこからパースまで7時間。
乗り継ぎも合わせればヨーロッパにも行けるフライト時間である。
パースはオーストラリアの南西部、香港からは地図上ではほぼ真南あたりに位置する。
家畜のように徹するしかない機内で、パンはおいしいね、と言いながら機内食はそこそこに、「ターミネーター」と「ダークナイト」を観る。
といっても上映途中に何度も寝てしまって、2本とも巻き戻しながら3回くらいに分けて、行きと帰りのフライトをかけて観る。
ようやくパースに着いて、しかし入国審査で捕まる。
後で聞いたが、パースはオーストラリアの中でもとても検閲が厳しいらしく、ハチミツなどを持って入国することもできないらしい。
アジア人はほぼ荷物を全部開けさせられ、かなりくまなくチェックを受ける。
荷物を漁られ、そこで彼女の化粧ポーチから出てきた、透明の小さなジップロックのようなチャック袋に入った「星の砂」
どう見ても、怪しい“アレ”にしか見えないではないか。
“アレ”が現実的にどんな色なのか、形状なのか、私はよく知らないが「粉もの」であるイメージから、“アレ”と間違われることは必至だった。
しかも星の砂なのにも関わらず、お土産にありがちな可愛らしい瓶に入っているわけでもなく、簡易的なチャック袋に入っている。
まあ大麻などだったら逆にこんな簡易的に持ってはいないだろうけれど。
こんな「粉もの」が出てきて、私たちがあまりに英語が拙いのも怪しかったらしく、厳しい検査がさらに厳しくなった。
携帯電話も色々と操作されるまで見られたし、財布の中も、下着の入った袋の中も見られた。
不法なものが入っていることはないのでいいのだが、自分でも忘れている恥ずかしい何か、とか出てきたらどうしようと友人と笑いながら狼狽えた。
「英語のできないただの悪気のない日本人」とようやく認めてもらえたのは、深夜12時着のフライトの1時間後、1時を過ぎていた。
気温13℃ほどのパースの街は寒くて、しかし私たちは薄手のロングTシャツしか着ていなかった。
急いでタクシー乗り場を見つけて、ホテルのバウチャーを出しながら指さし英語でタクシーに乗る。
海外に行くと、まずぼったくられることを危惧するのだが、ここはそんな心配をしなくてもよさそうである。
ホテルのあるパース市内までは約30分ほど。
広々としたオーストラリアの大地を見やることもなく、私たちは「ホテルに着いたらまず星の砂を捨てよう」と話していた。
長くなりそうなので、続編へ。
写真はワイルドフラワーのひとつ、西オーストラリア州の花でもある「レッドカンガルーポー」

代わりに友人が持っていたiPodのUSBケーブルを借りて、仮死状態のiPhoneをホテルのロビーにあるPCでひたすらにパワーチャージしていた。
帰りに気付いたが、飛行機の座席のテレビ画面のところにUSBポートがあってそこでも充電は可能であった。
携帯電話がなくて、連絡が取れなくて困る、ということはさほど問題ではない。
花の写真が撮れないことが一番の問題である。
あとは、ブログを書けないというのも少しの残念ではあるが、短い旅で予定が詰まっていたし、乗り物に乗ってはすぐに寝ていたので、実質ブログを書いている暇はなかった。
備忘録的に今回のパース行きを振り返っておく。
日記というのは、当日、翌日内に書くのは、やはり記憶の新鮮さや気持ちの高揚度の生々しさがあるので意味がある。
後日談では事実の羅列になりがちだ。
しかしそれでも書き留めておきたいし、まだ湿っている記憶のうちに書いておこう。
時系列に書こうと思っているが、そうすると長くなるだろうか。
地元に住んでいる友人は早朝の新幹線ではフライトに間に合わないので、前日の夜遅くに私の家に泊まりに来た。
私よりも1泊長い旅になるわけで、いくらまあまあ気心が知れた友人とは言え、彼女はこの時点で既に旅のストレスは始まっていただろう。
ちなみに私は、旅は「ストレス」だと思っている。
ここでいう「ストレス」というのは「日常ではない刺激がある状態」であり、必ずしも負の意味だけではない。
そして正でも負でも、ストレスを受けると疲労する。
私は夜には眠れないので、彼女にはシャワーを浴びてもらってベッドを貸し、私は荷造りを始めた。
もっとも、比較的長旅の経験もあるので、荷造りに大した時間を要せず、ピンクのスーツケース半分くらいにあっけなく荷造りは終わってしまった。
朝の5時半に家を出る予定だったので、私はそのまま起きていて、借りた哲学書の2冊のうち、もう1冊を読む。
こちらは東洋哲学ではなく、西洋哲学。
東洋哲学の方がグッとくる。
朝、彼女が起きて、コーヒーを淹れて、洗濯機を回す。
家を空けるときは、掃除と洗濯をしていきたい。
疲労を抱えて帰ったときに、やらなければならないことがどんと溜まっているのはとても嫌である。
こういう機会に、なかなか乾かない分厚いクッションカバーも洗っていく。
私も彼女も焦るのが嫌いな小心者なので、予定通りに出発して、早めに成田空港に到着する。
諸々の手続きを済ませ、お腹が空いたと空港をうろうろして「空海」のラーメンを食べる。
あっさり塩味で美味しいのだけれど、生理後だったのでもう少し塩辛さを抜いて欲しかった。
香港で乗り継ぐ際、世界各国、さまざまな都市への行き先の飛行機が止まっていたのを見て、あぁどこにでも行けるんだな、としみじみ思う。
誰も彼も、自分の都合でどこかに行くんだな、と。
誰かは、私が死ぬまで知り得ない世界の果てまで行くし、その誰かが知り得ない世界の果てに私はいるかもしれない。
世界は分からないことだらけとも言えるし、世界は私しかいないとも言える。
読んだ哲学書の影響を多分に受けているが、哲学書は私の考えていたそのことをうまく説明してくれただけのような気もする。
香港まで5時間、そこからパースまで7時間。
乗り継ぎも合わせればヨーロッパにも行けるフライト時間である。
パースはオーストラリアの南西部、香港からは地図上ではほぼ真南あたりに位置する。
家畜のように徹するしかない機内で、パンはおいしいね、と言いながら機内食はそこそこに、「ターミネーター」と「ダークナイト」を観る。
といっても上映途中に何度も寝てしまって、2本とも巻き戻しながら3回くらいに分けて、行きと帰りのフライトをかけて観る。
ようやくパースに着いて、しかし入国審査で捕まる。
後で聞いたが、パースはオーストラリアの中でもとても検閲が厳しいらしく、ハチミツなどを持って入国することもできないらしい。
アジア人はほぼ荷物を全部開けさせられ、かなりくまなくチェックを受ける。
荷物を漁られ、そこで彼女の化粧ポーチから出てきた、透明の小さなジップロックのようなチャック袋に入った「星の砂」
どう見ても、怪しい“アレ”にしか見えないではないか。
“アレ”が現実的にどんな色なのか、形状なのか、私はよく知らないが「粉もの」であるイメージから、“アレ”と間違われることは必至だった。
しかも星の砂なのにも関わらず、お土産にありがちな可愛らしい瓶に入っているわけでもなく、簡易的なチャック袋に入っている。
まあ大麻などだったら逆にこんな簡易的に持ってはいないだろうけれど。
こんな「粉もの」が出てきて、私たちがあまりに英語が拙いのも怪しかったらしく、厳しい検査がさらに厳しくなった。
携帯電話も色々と操作されるまで見られたし、財布の中も、下着の入った袋の中も見られた。
不法なものが入っていることはないのでいいのだが、自分でも忘れている恥ずかしい何か、とか出てきたらどうしようと友人と笑いながら狼狽えた。
「英語のできないただの悪気のない日本人」とようやく認めてもらえたのは、深夜12時着のフライトの1時間後、1時を過ぎていた。
気温13℃ほどのパースの街は寒くて、しかし私たちは薄手のロングTシャツしか着ていなかった。
急いでタクシー乗り場を見つけて、ホテルのバウチャーを出しながら指さし英語でタクシーに乗る。
海外に行くと、まずぼったくられることを危惧するのだが、ここはそんな心配をしなくてもよさそうである。
ホテルのあるパース市内までは約30分ほど。
広々としたオーストラリアの大地を見やることもなく、私たちは「ホテルに着いたらまず星の砂を捨てよう」と話していた。
長くなりそうなので、続編へ。
写真はワイルドフラワーのひとつ、西オーストラリア州の花でもある「レッドカンガルーポー」

