goo blog サービス終了のお知らせ 

チャーリーブラウンによろしく

2年ほど放置していたブログですが、ヤプログから引っ越してきました。
更に数年を経て、ようやく再開しました。

些細なこと

2017年09月14日 | 暮らし
昨日のことだ。
ヒロコさんを天王寺の駅に迎えにナナと行く道すがら、守衛のおじさんに挨拶して、公園を縦断する道へと入ったら、西の空の鮮やかさに気が付いた。公園に向かうべく逢坂を50メートルほど駆け上がったたときも、東に向かっていたからか、気づかなかった。

僕は、市立美術館への急階段を目指して左に折れ、ナナにがんばれと一声かけてそれを駆け上がった。息を乱したまま振り返ると、秋の夕暮れが眼前に広がっていた。時代は移ろえど清少納言の言う通り、や、と独り言ちた。

どうやっても縦になってしまいます。記事を書く画面ではちゃんと横になっているのに。あ、ちゃんと横になりました(10/16)

ポケットをまさぐって、おもちゃのようなPHSを取り出し、写真を撮って、ヒロコさんに送った。
しばらくすると、電車の窓からも見えていて、見入っていたと返事が来た。誰かの歌ではないが、同じ空を見て、同じことを考えていたことが、楽しかった。

朝起きて、ご飯を食べて、働いて、お昼ご飯を食べて、働いて、晩御飯を食べて、本を読んで眠る。隙を縫ってギターを弾きながら、これを繰り返す。単調な毎日。
単調を繰り返していると、心は些細なことに反応するものだと思った。













「熱い」夏

2017年08月24日 | 暮らし
表向きは11日から先日16日まで夏季休業であったが、12日を除いて、ほぼ全期間働いた。
一件の電話もなかったことが、何ともありがたかった。
ADHDの僕は、電話で集中を途切れさせられることが、大変なストレスである。同時に、ややもすると、電話の前にやっていた仕事を放置してしまったりして効率を大きく損なう。そのストレスと実害ががなかった。
幾つかの案件は消化したが、なおも複数の案件を抱えて、期日をにらんでいる。

ヒロコさんも、もうずいぶん、まとめて休むということをしていない。
彼女は、昨年の11月に乗馬のインストラクターコースに入って以来、正月も黄金週間も盆休みも他人事で、週休二日を保っているものの通学する五日の内、三日は朝6時過ぎには、残る二日も8時には学校に居て、帰宅は常に18時過ぎという暮らしを続けている。
競技に出たいと、彼女は願っている。10月にコースが終わると、指導員のアルバイトをしながら、更に上の選手養成の学校に進むつもりだ。そのためのもう一段上の級を取るべく、奮闘している。

次女は一昨年来、資格取得に挑んでおり、二年目の今年はずっと休みには縁遠い暮らしを続けている。長く、日曜日は終日、貴重な通学日であった。
間もなく試験に臨む。
不安にさいなまれながらも、最後の追い込みに余念がない。

図らずも、三者三様、勝負の夏になっている。
だから、依然として毎日暑いのだが、今年は特に、熱い夏でもある。















「いずこか」へ行きたしと思へども

2017年08月02日 | 暮らし
今日、お昼過ぎ、お客様のオフィスで、昼までに終えられたはずの仕事の目途が、少し遅れつつも立った時だった。最後、更新ソフトをインストールした。が、肝心のソフトの動作が安定しない。

アンインストールとリインストールをしても解決しない。PCの問題のようだ。
昼食をとらずにこのトラブルに対応することにした。午後の仕事は諦めることにして、久々のパソコン屋稼業だ。

と、面前のPCは忙しく働いているが、手待ち時間がふと訪れた。職員の食後の歓談の声が遠く聞こえる。間隙をついて、この記事の下書きを書いた。

多忙を理由にしたくないが、長く書けずににいた。年度変わりの辺りからずっと多忙に過ごしている。
こんな時代に、オファーがひきも切らないのは、本当にありがたい。

先々月の半ばより次女が僕の事務所の職員となった。もし彼女がいなかったらと思うとぞっとする。入力業務が片付いていることがとても有難い。健康を、とりわけ心的なそれを損ねずに済んでいる。

事業主に労働法規は関係ないが、今年の残業時間を仮に算定すると、毎月、過労死ラインを超えている。
自分でこの状況を作り出して働いているから、文句は無い。不平もない。出来なければ、その仕事を失うだけである。命に別状は、もちろん、無い。
とにかく、必要とされることをよろこんでいる。

よく武勇伝のように、かつてそれ相当の過重労働を経たことを語り、長時間労働で健康を損ねる方々に批判的な意見をする人がいるが、自ら望んで飛び込むことと、無理やりやらされることの違いに思いをいたしてほしい。経験上、こういう人は、ことに経営者に多い。

「俺はもっと働いた」というのは、当を得ない。「働かされた」経験ではないから。
その当を得ない経営者が多いことを思うと、チャップリンの「モダンタイムス」は、その先見性も含めて、やっぱり普遍を獲得した芸術作品だと、今更ながら思う。

閑話休題。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。

少し前の記事でも引いた朔太郎先生の、この「旅上」は、数少ない愛唱する詩だ。何故か、すんなりと憶えられたからである。
先生は、お金と時間があれば、必ずや彼の地に行っただろう。どちらかが、或いはどちらも無かったか。
そして、当時、朔太郎先生はきっと忙しかったに違いないと思う。

多忙は、倦怠と同じくらいに、旅の動機になる。現実逃避というか息を抜くのに、現在地を離れたくなる。

ヒロコさんの誕生月の七月に旅行できればと、五月ごろから思っていた。

波のフーガの聞こえる宿、星降る夜に散策できる郷、もやのたゆたう早朝の草原、湧き水の冷たい雑木林。
自然の中、ゆっくりできる所。だから、移動時間の短い所ならいずこでも。
お金は、近い分不足ないだろうが、あいにく、二人とも時間が無かった。

せめて。
3月に買ったチャップリンの「街の灯り」を今月中に見られたら、とても嬉しい。














しんちゃんあそぼ!

2017年02月28日 | 暮らし
先日、ジャズギターのレッスンを受けた。月に三度教室に通う。
いつものことだが、21時半からのレッスンなど、一般には考えられないが、二つ返事で引き受けてくださる師に感謝しつつ一緒に教室を後にした。
さよならを言って時計を見ると23時半。前後に多少談笑したが、みっちり100分は弾いた。これもいつものことだが、良心と熱心に感謝しかない。
礼を言うと、これもまたいつものことだが、笑顔で手を振ってくださった。胸のあたりがあったまる。

うらはらに引き締まる冷気の中、あれこれ考えながら、最近買った買い物用の小径自転車をゆっくり進めたので、帰宅すると日付が変わっていた。この日は、朝5時過ぎから活動を始めた。時期もあるがとても多忙だった。

遊んでいるつもりはないが、仕事ではないという意味で、ギターを遊びに含めて考えた。
多忙の故にやりたいことが出来なかった、とは自分に言いたくない。
せめて、多忙を理由にやらなかっただけだ、と言いたい。
何より、多忙だろうが何だろうがやりたいことはやった、と言いたい。

遊びをせんとや生まれけむ、と古の人が謡っている。
もっともだと思う。


しん 拝


以下、レッスン日誌です。万一、初級ジャズ理論に興味がありましたら、どうぞ。
===============================================
レッスンは例によって、まず、メトロノームを裏で聞きながら運指練習。馴れると反転。脳をリフレッシュして、また反転。
このトレーニングは体調が作用するなと昨夜は感じた。不調。
メトロノームを少し落としてもらって感覚を取り戻した。

この日から、Blue Bossa を題材の講義が始まった。
師曰く、「厳密なBossa Novaのリズムで演っていない録音が多いが、がっちりこのリズムでやる」ことになった。
従って、バッキングの太鼓が2-3や3-2のソンクラーベで鳴る。
これだけが鳴る状況を初めて味わう。小節の頭を失わない様集中した。いくつかの休符のうち、とりわけ一拍目の4分休符を聴くイメージか。

Duoでアドリブの練習。
前回、単音ばかり、或いはオクターブを含む二声を混ぜるだけではなく、ところどころコード弾きを混ぜて弾くよう考えてこいとの宿題だったが、業務多忙につき、予習不足で臨む。

マイナーのⅡ-Ⅴ-Ⅰ、課題曲の場合、Dm7♭5→G7→Cm7の進行の際、最初の1小節のDm7♭5が、Ddimと似ている(一音しか違わない)から、Ddimのコードを1拍ずつ、ウエスなどが演っているように短三度ずつ上げ下げして弾いた。耳障りな感じではなかった故。で、考え方が合っているかを尋ねた。

誤り、とのこと。
正しくは、Dm7♭5からG7までの二小節全体をドミナント7と解釈して、G7の代理コードがG♯dimで、これを短3度上げてBdim、更に単3度上げるとDdimとなる。つまり、G♯dim=Bdim=Ddim。
で、これを短3度上げ下げすればドミナントが鳴っている間は、きれいに響く、という理屈。
音としては合っているが考え方は誤り。
納得というよりも感心した。
================================================










時の流れは「みえ」である

2017年02月10日 | 暮らし
昔、パソコンの画面がブラウン管だった当時、スクリーンセイバーというものがあった。画面の焼付を防止するため、一定時間動かない画面が続くと、勝手に画面が切り替わり、いろんな動きをする、それだけのソフトのようなものだった。
そのソフトの機能の中に、自分の好きな言葉を好きな背景色の上を好きな速度で流せるものがあった。

シラーの言葉が好きで、スクリーンセイバーに書き込んで流していた。

時の流れは三重である。
      未来はためらいつつ近づき、
            現在は矢のように速く飛び去り、
                    過去は永久に静かに立っている。

というものだった。こんな風に流れてくれた。

当時、小学生だった次女がその流れている文字を見て、声に出して読んだ。
それが今日のブログのタイトルだ。

いや、「みえ」とちごおて、「さんじゅう」やねん、と笑いながら直したことと合わせて覚えている。静かに立つ過去の一つである。

年末から1月末日までの、毎年の給与所得者の年税額の確定とその報告に忙殺された後、気が付けば、もう2月で、今度は給与所得以外の所得を得た方たちの年税額の確定の仕事が始まる。正確にはもう始まっている。

そんなさ中に、もう一つの就業規則を作ったり、社内規程を作ったりする方の仕事もいくつかをいただいて、かなり心的にはゆとりのない日々を、今日も気づけば愛犬を散歩に連れ出してやる時間になったとぼやきながら、暮らしている。
ノートに記し始めて数か月の日記も「週記」のありさまで、ため息が出るが、日々の昼食を、週の半分は仕事をしながら取っているような始末で、どうにも時間が足りない。

相変わらずのADHDは、地下鉄の入り口まで来て財布を持っていないことに気づいたり、資料を持参せずに訪問してしまい、仕切り直したりと、更に状況を追い込んでくれるのに役立っている。

それでも、仕事でへまをやらかさないで済んでいるのが、唯一の救いである。

「矢のように飛び去る」って、シラーさん、ちょっと表現がオーヴァーフロー気味やで、とかつてよく思っていたが、そんなこともないのだなと、だから、最近は思う。

今、僕のパソコンのスタート画面の写真は、去年の5月に28年ぶりに還った故郷の、朝の浜の写真だ。一泊二日の旅で、車に自転車を積んで帰り、あちこち走り回った。
それでも飽き足らず、というよりも朝日見たさに同窓会の次の日の早朝、いそいそと出かけて撮った。


五月の朝の東雲
うら若草のもえ出づる心まかせに

朔太郎のこの詩の冒頭を「ふらんす」ではなく「ふるさと」に置き換えて声に出してなぞった。寝そべって柔らかな海風を胸いっぱいに吸い込み、昔の僕は、違いもわからぬままに、こんないい空気を吸っていたんだな、と思った。

夜半、仕事を終え、パソコンの業務ソフトを落とすと、過去を見に行った旅が、もう過去になってたたずみ、僕の目を慰める。
シラーの言葉が沁みる。