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チャーリーブラウンによろしく

2年ほど放置していたブログですが、ヤプログから引っ越してきました。
更に数年を経て、ようやく再開しました。

叫風一過 8

2015年11月05日 | 小説
「明幸、俺のこと、怖いみたいやしな」
 夫は、どこか誇らしげに言い添えた。
(前回ここまで)
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 若い二人には、ことによれば酷なのかもしれないが、自分たちの信ずる善を急ぐため、洋子は間を置かず明幸を訪ねたのだった。
 靴を脱いですぐの、こたつ机の前の座布団に、洋子は座った。安物のマシンが、ポコポコと音を立てコーヒーを淹れ始めた。蒸れた豆が匂う。ここでも彼女は、いきなり核心を突いた。
「佳乃、ゆうべ帰って来てから様子がおかしいんやけど、明幸君、昨日、何かあったの?」
 気圧されながらも、明幸は、自分の不注意な行為が原因で事故が起こり、それなのに、とっさにその場から逃げてしまったことを、はっきり告げ、その後の二人のコインランドリーでのいきさつを詳しく語った。そこで、やおら明幸は座りなおし、
「色々とご迷惑をおかけして申し訳ありません」
と、深々と詫びた。もう少し口下手だったはずだが、と洋子は思っていた。そうとも知らず明幸は、自分が事故の賠償をすることになったら、結婚なんてできなくなると佳乃がひどく落ち込み、夕食を食べずに帰ったのだと、洋子への回答を終えた。
 そう、と答えた洋子に明幸は、当分の演奏の仕事を整理したので、今日、佳乃からの電話を待って、出来れば彼女に同意してもらい、警察に出頭するつもりであることを打ち明けた。その最後に、彼は、
「俺、事故に遭われた方全員に謝ります」
と、一晩かけて固く決めた思いを語った。
つとめて穏やかに、洋子は尋ねた。
「そしたら、婚約はどうするの?」
「佳乃さんやご両親には、とても…その、とても申し訳ないのですが、こうなった以上、婚約は、無かったことに…」
 明幸は口下手に戻った。最後まで言えなかった。
「明幸君。はっきり言いなさい。婚約は無かったことに?」
 洋子は、静かにただした。
「させてください」
 重く湿った返事が、机に落ちた。
「ね、コーヒー、出来たみたいやね。飲も」
 唐突に、洋子はわざと空気を壊した。
「え、あ、はい」
 明幸は、あたふたと流しに立ち、コーヒーを注いだ二つのカップを両の手に持ったが、思い直して小さな盆にそれらを載せ、そろそろと運んだ。そのペアのカップを見て、洋子は思わず微笑んだ。一口飲んで、彼女は毅然と言った。
「許しません」









叫風一過 7

2015年11月04日 | 小説
前回までのあらすじ
バイクが小学生の列に突っ込む原因となったのは、明幸が車道の帽子を取りに歩道の柵を飛び超えたたからであった。話を聞いた婚約者の佳乃は、二人の将来のために、警察には出頭しないで二人だけの秘密にしようと言った。

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 昌弘が阪神の逆転勝利の慶びに浸りながら、睡眠薬代わりの新書を持って寝室に行ったのを機に、洋子は立ち上がったが、やがて思い直し、佳乃に、居間から電話をかけた。呼び出し音が途切れ、
「はい」
という娘の鼻声に、やっぱり泣いていたかと得心しつつ、
「佳乃。あんた、ひょっとして妊娠した?」
 母親は、単刀直入に、自らの勘が自らに告げた推測をそのまま口にして、核心に踏み込んだ。
「え、なんて?お母さん、妊娠って私が?まさか。してへんよ」
 うろたえる佳乃に、洋子は、ならば、何があったのかを話すよう促した。その落ち着いた声は、娘が容易ならざる事態に直面していることを見抜いていると告げるとともに、隠し事をするなと命じてもいた。
「そっちに行く」
 佳乃が電話を切り、しばらくして居間に着くと、チリのビオワインがグラス二つを従えて、テーブルの中央に立っていた。
「自白剤。しかも、ピノ・ノワール。どう?ええやろ」
と、洋子が顎でボトルを示して、笑い、バケットを手早く切った。
「ありがと」
―やっぱり、ただごとじゃない―佳乃のしんみりとした声に、洋子の気持ちは、再び引き締まった。二人はテーブルを挟んだ。グラスに暗赤色の芳香が開いた。
「で、妊娠してへんということは、浮気?」
 ワインを飲み、小さくちぎったパンをオイルにちょいと浸けて口に放り込み、洋子は照準を娘の顔にピタリと合わせた。
「そんなことやったら、どんなにいいか」
 一生懸命笑おうとする娘の目元には、もう泪が溢れていた。―昌弘がここにいたら、この時点でもう平静を失いかねない。とりあえずは夫を「のけ者」にして正解だった―と洋子は思い、ティッシュの箱を娘にあてがった。
「まぁ、ゆっくり飲んで、どっしり構えて、じっくり話そう」
 母は自分にも言い聞かせ、口の端を無理に持ち上げた。


 あちこち水滴が眩しい、爽やかな週末の朝だった。台風は、夜半に豪雨を降らせた後、紀伊半島をかすめ、黒潮に沿って足早に北へ去った。午前九時過ぎ。呼び鈴が鳴った。こんな日時に明幸を訪ねる友などいない。宅配便だと決めつけ、彼は一晩中苦悩したためぼやけた顔のまま、物憂い返事をしてドアを開けた。
「あっ、お義母さん」
 洋子が立っていた。
「おはよう」
「お、おはようございます」
 今朝、早くにたたき起こされた「のけ者」は、妻に佳乃のことで話があると告げられた瞬間に、父親の顔になった。目覚ましのコーヒーをすすりながら話を聴き、答えを求められた夫は、「そら、お前」と口火を切った。彼の答えは、洋子の思いと同じだった。安心したと告られげた夫は、それならばと、後を彼女に託した。
「明幸、俺のこと、怖いみたいやしな」
 夫は、どこか誇らしげに言い添えた。









叫風一過 6

2015年11月03日 | 小説
「ごめん。ごめんな。こんなことしてしもうて。けど、俺、行かなあかんやろ。きちんと謝らなあかんし、償わなあかんやろ」
と言った。
(前回ここ迄)
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「『やろ』って、私に訊かんといてよ。訊きたいのは私やん。私はどうなるん?明幸のこと、この先どんだけ待ったらええの?」
 時間と気を使って双方の親を説得したことは勿論、ここ数カ月かけて二人で作った生活設計は何だったのか。将来、子供が出来た時のことまで話し合い、それぞれのキャリアの妥協についてまで確かめ合ったではないか。佳乃は、目指す将来だけでなく、そういう二人の積み重ねまでもが、これきりふいになると非難をぶつけた。
 明幸は、不甲斐なく、またもおし黙るしかなかった。すると、恋人は急に、奇妙に明るい低い声で、
「なぁ、明幸。そうやん。そうやって黙っててよ」
と、独り言のようにこぼし、続けて、たとえバイクの男が警察に事情を話したとしても、名乗り出ない限り、明幸が特定される可能性は無いではないかと囁いた。
 明幸は「そんなこと」と言ったきり、答えられなかった。佳乃も自分の考えに沈み込んだ。
 突然、乾燥機が電子音をけたたましく鳴らし、ふんわりと仕上げるには、もう十分ほどかかることを告げた。
「洗濯物持って、先に帰ってて。私、買い物して、頭冷やしてから戻るから。とにかく、今日は警察には行かんといて」
 暮らしの役割分担に、当座の足止めを絡ませたのは、無意識の佳乃の知恵だったのかもしれない。立ち上がった二人の間で、女から男にランドリーバッグが押しつけられた。
 突然、佳乃が嗚咽を漏らし肩を震わせた。押しつけられた小さな手を明幸が両手で包んだ瞬間だった。
「なぁ明幸。結婚か警察かの、どっちかやんか。そういうことやん。違う?明幸が選ぶしかないねん。私の運命もかかってるのに、私、選ぶことも出来ないんやで」
 包み込んだ手を引き抜き、抱きしめようとする腕を振り払い、こんなことを言いたくはなかったのだと、佳乃は外へ飛び出した。明幸は、その手に残されたバッグを覗いた。葛藤が詰まっていた。
 のろのろと独り部屋に帰ると、置いて出たスマート・フォンが規則的に光っている。開けば、そこには、
「ごめん。やっぱり帰る。明日電話する」
と、したためられていた。


 広げた新聞をずらして顔を出し、昌弘は、
「えっ?そうやったかぁ。俺は、気ぃ付かんかったけどなぁ」
と答えた。妻の洋子が、
「あの子、なんかあったんかな。ちょっと『変』やったと思わへん?」
と、戻った娘、佳乃の様子について尋ねたときだった。夫に見えないように、尋ねるべき相手ではなかったと、彼女は苦笑した。
 今日は帰らないだろうと、洋子は思っていた。「ひょっとしたらメグの家に泊まるかも」という、いつもの、佳乃なりの「外泊許可願」が出されていたからだ。戻ってきたのは「変」だ。明幸と喧嘩でもしたか。だとしたら喧嘩の理由は…。ただならぬものを感じたのは、あるいは洋子の母親の勘だったのかもしれない。









叫風一過 5

2015年11月02日 | 小説
 請われるままに、彼は、演奏が上手くできたことから順を追って、突風が帽子を飛ばしたところまでを一気に話した。
 それが、どうしてこれほど気分をふさぐことになるのだと問いたげに、佳乃は再び相づちを打ち、「で?」と顔を覗き込んだ。
(前回ここ迄)
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 明幸は、深呼吸をして傷口に触れた。
「…俺、帽子を取ろうと、酔った勢いで柵、飛び越えて…」
 直後、道路に飛び出た自分を避けたバイクが転倒し、子供たちの列にバイクが突っ込んだのだと、よろめく声で打ち明けた。
「そんな…」
 佳乃は絶句した。傍らで、しばらくこらえ切れず嗚咽を漏らしていた明幸は、息を整え、ゆっくりと自分の罪を告白した。
「ものすごい事故やった。そやのに、俺、逃げてしもうた」
 彼は、次いで、ウェブで見た事故の報道について語り、併せて、まとまらぬままに不安を口にした。自分の軽率で人が亡くなるかもしれない。或いは、障害が残るかもしれない。さぞ、恨まれるだろう。警察で取り調べを受けるかも知れない。賠償の責を負うに違いない。悲観が呼び水になり、更に彼は嘆いた。
「佳乃のお父さんとお母さんに、俺、なんて言うたらええか…」
 この小心な「挙げ句の果て」を持て余し、二人は、乾燥機の丸窓の中、上がっては落ちる洗濯物をじっと見つめていた。
「佳乃。俺、大変なことしてしもうた」
 明幸はうなだれた。佳乃は応えられない。それでも罪の告白は、明幸に少しのゆとりを与え、次の行動をぼんやりと決めさせた。
「やっぱり、これ終わったら、俺、警察へ行く」
 乾燥機を指さし、彼はそう告げ、佳乃に、だから今日のところは帰るよう求めた。不明瞭な決意が明幸の上体を折り、同時に佳乃のため息がこぼれた。二人はまたしても、無言の中に沈み込んだ。乾燥機は淡々と衣類を持ち上げては落としている。やがて、
「明幸。二人が重体で、他にも怪我した人がいたはるんやろ?そしたら治療費だけでも、幾らかかるかわからんやん。怪我の具合によったら、どうなるかもわからんやん。わからんのに、わからんけど、行くんやな、警察。…ねぇ、私ら婚約したばっかりやねんで?」
 思いつめた佳乃の声が、明幸を問い詰めた。
 将来を約束したばかりの恋人を苦しめているという事実が、明幸の決意を砕いた。自分のことしか考えていないと、恋人は、言外にそう嘆いている。それは事実だった。自分のこと以外考えられなかった。言われてみれば、すがりたくて、一人で抱えきれなくて、重荷を預けるような告白だった。聞かされる佳乃を思いやるべきだという考えが、抜け落ちていた。佳乃に謝らなければならないことに、彼はやっと気が付いた。明幸は自分の影を見た思いだった。暗く、小さく、うろたえる影。彼は、かすれた声で、
「ごめん。ごめんな。こんなことしてしもうて。けど、俺、行かなあかんやろ。きちんと謝らなあかんし、償わなあかんやろ」
と言った。









叫風一過 4

2015年11月01日 | 小説
したり顔で語尾を伸ばすレポーターに向かって、毒づく。窓枠を揺らしながら、風がまた歌った。それは、ヌンクの「叫び」を、明幸に思い出させた。今にも、自分があの絵と同じように何かを恐れ、怯えて叫び声を上げそうだと、彼は感じた。恐れ、怯えているのは、事故の悲惨とその責めを負うことだった。そしてもう一つ。逃げ出してしまった自分。
 力を込めて窓を閉めた。悲鳴は断たれた。テレビを消した。
(前回ここ迄)
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 スマート・フォンが震えながら着信のメロディを奏でた。液晶に、「15:27 佳乃」と浮かび上がる。そう言えば、今夜、佳乃と会う約束だった。待ち合わせをどうするかの電話だろう。明幸はためらう。普段通りに話せる自信が無い。小さな画面を見つめたまま、大変なことをしてしまったと、彼は今更ながら考え始める。出たものかどうか迷っている内に、鳴動は止まった。
 しばらくして、スマート・フォンが、今度は手紙を受け取ったと知らせた。画面を指先でこすり、それを読んだ。
「マスターほめてたよ。よかったな。今日、そっち行くね。ダイエタリーにモツ鍋しようぜ。暑いけど」
 佳乃の絵飾りをふんだんに使ったメッセージだった。
 一時間ほど経っただろうか。鍵が明るく鳴る音がして、ドアノブが回り、扉が開いた。佳乃だった。はじける笑顔がのぞき、照れくさいのか男っぽく「よぉ」と言うと、ずかずかと部屋に入り、恋する女だけがまとう自信を、ミニリュックと一緒に脱いだ。
「なんや。もうちょっと歓迎してよ。飲み過ぎて二日酔いか知らんけど、佳乃さんが気を利かせて、掃除とかしに来たんやで」
 佳乃は、「おう」という元気の無い反応しかできなかった明幸に不平を言うと、散らかった衣類をかき集め、洗濯機へと直行した。
「夜、降水確率百パーやから、後でコインランドリーで乾かそな」
佳乃は快活に動き回った。しばらくして掃除を終えるや、明幸の背を押すようにして夕食の買い物に引っ張り出し、途中、コインランドリーに立ち寄った。バッグの洗濯物を乾燥機にぐいぐいと入れながら、佳乃は、かねてからの疑問を、さりげなく口にした。
「今日、迷惑やった?」
「え、なんで」
「暗いもん。…いいや。『そんなことない』ことないねんて。暗いし元気ないもん。なぁ、なんでやの。なんかあったん?」
 明幸の反論を鼻先で遮り、佳乃は陽気に疑問の真ん中を割った。
 顔を見なければ、話せるかもしれない。乾燥機の前、佳乃が横に並んで座ったのを機に、明幸は話を切り出した。
「昨日の他のメンバー、偶然、まっちゃんとコウスケで、久しぶりに三人が揃うたねん」
 各々のスケジュールのやりくりで、当初予定していたメンバーが変わることはジャズのライヴではよくある。
「うん…。で?」
 佳乃は、珍しくもないだろうという顔で頷き、先を促した。
 請われるままに、彼は、演奏が上手くできたことから順を追って、突風が帽子を飛ばしたところまでを一気に話した。
 それが、どうしてこれほど気分をふさぐことになるのだと問いたげに、佳乃は再び相づちを打ち、「で?」と顔を覗き込んだ。