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kaokaoつれづれ日記

コーチングの紹介とコーチング的な日々をつづる

香川Good Job教室 ファシリ体験

2008-02-21 16:12:44 | つれづれ話
19、20日と香川県坂出市でWSを行ってきました。

「しごと総研」というプロジェクトに昨年夏から参加していて、
そこで頂いたお仕事です。
((株)バンタン・未来のしごと研究所と提携しています。)

NHK高松の“香川のGood Job教室”という企画の一環。
(夕方のニュースで放映されました!)
坂出市の小学校の5,6年生約100名が対象です。

コーチ12名プラスマネージャー1名、総勢13名の大編成。

子供たちはとにかく先生でも親でもない大人たちが大
勢で何かをしに来るということで興味津々。

私も総勢100名。しかも子供たちが対象のWSは初めての経験。

一生懸命考えたり、ひらめいたときの嬉しそうな様子や、もじもじとしている様子とか、全部可愛くって、
ひとりひとりの頭を撫でたい衝動に駆られていました。


親でも先生でもなく、コーチである私が子供たちに提供できることってなんだろうと考えました。

 決め付けない

 発想を広げる

 枠をはずす

何より、自分の可能性を信じてほしいし、
自分の人生が素晴らしいものであることを知ってほしい


もしかしたら、子供たちにはコーチである私たちを
いつも接している大人とは違って感じたかも知れません。

10年後、20年後、ふと思い出す何かを残せたら大成功。

そんなWSでした。

楽しかった・・



★昨日、当番でした~
 こちらのブログもよろしくお願いします。
 メンバーの梅ちゃんが素敵なことを書いてくれたので、
 私もコメントしています。読んでね~
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  ~produce by Joy★Free~
 毎週木曜日17-21時 @Ben's cafe 
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古いストーリーからの脱却

2008-02-04 09:35:24 | つれづれ話
土日、米国CTIリーダー、パトリックライアンさんのWSに参加しました。

テーマは「アウェイクンド・ライフ」(目覚めた生き方)。


私は日々を成長したいと思って生きている「つもり」だけど、
本当にそうしていたかなあ

常に前を向いて歩きたいと思っているのにそうしていたかなあ


パトリックさんは「神聖な自己」と「歪曲した自己」という概念を使って目覚めていくときに必ず出てくる自分の中の障害について説明してくれました。

生まれたばかりの赤ちゃんは自分がこれだけのものなんてこれっぽっちも思っていないし、そんな考えもありません。

育てられいてくうちに回りのに影響されながら歪曲した自己を作り上げていくのです。

「歪曲した自分」で生きてきたことにずっと気づいていませんでした。
コーチングの世界に入ってから、たまねぎの皮をむくように自分の声を聴いてきました。

本当はどうなの、本当はどうしたいの、本当の自分って何か


WSの中で一番響いていたのが「古いストーリーは捨てる」ということば。


自分が綴ってきた古いストーリーはもう飽きてきました。

そろそろ新しいストーリーを書いていきたいのです。

しばらくは「歪曲した自己」との戦いになるんだろうなあ。

書きながらすでにささやき声が聞こえています。

でも、一番ほしいのは、私の芯から聞こえてくる真実の声。誰の人生でもなく自分の人生。

そのための一歩として、毎朝私に関わってくれてきた人たちに10分間の感謝の時間を取ることにしました。

やってみたら、
生まれてからこんなに大勢の人が私に関わってくれたんだなあという事実が見えてきました。

でもね、なかなか「心から」というのができない・・
いろんな複雑な気持ちが湧き上がってきます。

それでも「やり続けなさい」という声は心地良く私に響いています。

「幸福感を持って」やり続けてみたいと思います。


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今年のありよう

2008-01-10 14:17:35 | つれづれ話
新年も早10日。
あちこちで、今年の自分について語る機会がありました。

今年の自分のありようは「わがまま」

自分が心底やりたいと思えることだけをして、その結果望むものだけを手に入れる

そんな一年にしようと思います。

役割はもう沢山こなしてきたのでこの辺で「自分」に戻ってもいいかなと思えてきたのです。

「それをしたら周囲の人にどう影響するのかな」
とコーチ仲間からの質問。

漠然といい影響が起こるだろうなと思っていましたが、
口をついて出たのが、「フェロモン、振りまいてるかも」!

こういうのって、ワクワクします。

自然体になって何をしたいとか、目標を定めるより、自然体になると何が起こるのか自分自身を楽しみたいという感じ。

さあ、今日も好きなことをしようっと!









DIALOG IN THE DARK

2007-12-07 21:16:47 | つれづれ話
どこまでも続く漆黒の闇。

目を閉じても開いても目の前の世界は同じ。

頼りになるのは、残された感覚。

人の声が暖かい。

時折頬をなでる風の冷たさ。

枯葉のカサッという乾いた感触。

やわらかい土の香り。

闇の中は豊かだ。



ダイアログインザダークを経験してきました。



アテンドをしてくれるのは視覚障害者の方たち。

闇の中では彼らは自由なんだということを知りました。

「きゃあ、こわーい」「これ、何!」「何かにぶつかった!」
と、興奮気味のわがグループの体験をさりげなくサポートして安心を手渡してくれる。
白状の使い方もままならない私たちには頼りになる存在です。

真っ暗闇の用務員室でのお茶のサービスもいい。
おしぼりやジュースを配り、熱いコーヒーも淹れてくれたりする。


思えばコーチングも暗闇の中を二人で探索するのに似ています。
そこに何があるのかわからない。
手で探り、感触を確かめ、少しずつ歩みを進めていく。

コーチはクライアントより少しだけ闇に慣れているから、大丈夫だと励ますことができる。

そういえば電話でのセッションでは目を閉じて聞いていることも多いなあ。

闇の世界はとても優しかったです。
気持ちと気持ちが触れ合いやすい。
見ず知らずの7人グループは終了したころはすっかり仲良しになって、
今経験してきたことを熱く語っていました。


ゲシュタルトの祈り

2007-11-14 15:50:32 | つれづれ話
  
  わたしはわたしのことをやり

   あなたはあなたのことをする。

  わたしはあなたの期待にこたえるために

   この世にいるのではない。

  あなたはわたしの期待にこたえるために

   この世にいるのではない。

  あなたはあなた、わたしはわたし。

  もし偶然出会えば、それは素晴らしいこと。

  もし出会わなければ、

   それはいた仕方のないこと。

                F・パールズ


昨日聞いた※諸富義彦先生の講演で、先生が朗読してくれた詩。
目を閉じて、ゆっくりと2回繰り返す先生の声を聞きながら、
胸から肩にかけて震えるような感覚が広がった。
私が感動するといつも感じる感覚。

期待にこたえなくてもいい。
自分は自分。ただそれだけでいい。
そこにとどまれる安心感と安らぎ感。

私はそんなものを受け取って震えとともに軽くなった。




※諸富義彦先生の講演
慶応丸の内シティキャンパス 『夕学五十講』
 「ひとりの時間が自分らしさを作る 孤独のためのレッスン」


ICF報告

2007-11-12 21:22:13 | つれづれ話
といいながら、すでに帰国して一週間がたってしまった・・・
なんと、遅い反応よと思いながら、それでも起こっていたことがようやく整理がついてきたところだ。

さて、ICF。
行ってよかった。単純にそう思える。

1500人。
各国から集まってるコーチがこれだけこの場所にいると言うことは世界のコーチ人口はどのくらいなんだろう。
このエネルギーを感じただけで元はとれた。
私もそこでエネルギーを発している一人なのだ。

今回の目的は、コーチとしての自分を腹の底から感じてくること。
達成度は70%くらいかなあ。
残りの30はやっぱりコミュニケーション。
次回行くなら、やっぱり英語勉強しなきゃねー

もう一つ、ICFで私の身に起こったこと。
こちらはかなりハードだった。
今、私がここにいることが全部解明されてしまうような体験。
ちくちく傷口にはりを刺されるような、あるいはえぐられるような、痛みを伴う経験だった。
ただいま消化期間中。







今日からICF~♪

2007-10-31 12:35:34 | つれづれ話
アメリカ行ってきます!
ICF(国際コーチ連盟)の世界大会に参加するためです。

お金もかかるしなあ、英語もできないしなあ、家一週間もあけられないしなあ・・・なーんて半年前まで思っていたのに、いざ行くと決めたら早い早い。

あっという間に今日が来ました。
何とかなるもの、ですね。

あ、英語だけはなんともならないけど~
自慢じゃないけど、まったくできません。
ニンテンドーDS“英語漬け”も買っては見たけど、本の下敷きとなってるし・・

これで、英語のカンファレンスに参加するというのだから、まったく私って。

コミュニケーションは言葉じゃないところで通じる、というのをひたすら信じてがんばってきますね~

カラダで感じるものは全て吸収してきます~

帰国すると、いよいよCPCC試験が待っています。

存分に楽しむぞ~

行ってきます♪






認知のチカラ

2007-09-26 23:53:41 | つれづれ話
「愛語」という言葉を最近知りました。

仏教用語らしく、Yahoo!辞書で調べたら
『菩薩が他者に対して心のこもった優しい言葉をかけること。
人々を救いに導く実践行である四摂事(ししょうじ)の一。』
とありました。

道元の『正法眼蔵』に

       愛語はよく回天の力あり

という言葉がある、そうです。(実物は読んだことがな~い)

回天とは同じく
『1 《天をめぐらす意》時勢を一変させること。衰えた勢いを盛り返すこと。』
の意。

つまり、『心から慈しみ、褒め称える言葉は状況を一変させる力を持っている』、ということ。

コーチングに「認知のスキル」というのがあります。
ただ単に、相手をほめるのではなく、その人の本当に輝く部分を心から認めて言葉にするというスキルです。

なかなかこれがむずかしいんです。
相手の心に届くものは心から出る言葉しかないから。
どんなに美辞麗句だとしても表面を飾ったものはそれだけのものでしかないから。

「認知」という言葉が、今まで受け取りにくかったのですが、
「愛語」という言葉を知って、ああ、なるほどなあと腑に落ちました。
「認知」とはそのまま「愛の言葉」なんだと。

本当の本当のその人のよさを見つけて言葉にすることは、
心からの贈り物、愛情。



最近、人間ってその認知すら本当は必要としないほど
すでに認知されている存在なのだと気づく体験をしました。

コーチ仲間いっちゃんのワークショップでの出来事。

よく晴れた休日。
若い千葉大生と入り混じってのワークショップ。
それだけで、ワクワク心躍ることだけど、ワークをし合いながら、
お互いに認知し合った言葉を白いテープに書いて、
お互いの体に貼り付けていくのはもっと楽しいことでした。
最後は、全員、さながら包帯マンの呈。

そのまま、インプロやダンス、からだを思い切り使ったワークをしていきました。
息も上がって、心地よい汗もかき、室内に戻ろうとしたとき、
貼ってもらったテープが名前以外はすべて剥がれ落ちていることに気づきました。
他の人を見ると、みんなまだ包帯マンのままです。

ただそれだけのこと、なのですが、
その瞬間、私に降りてきたこと。

   私には認知の言葉は必要はない・・なぜなら
   「私」は「私」というだけですでに認知された存在だから。

本当は名前さえも要らないのかも知れません。

   ここに私がいるということだけで、すでに認められている。

理屈じゃなくてその瞬間そう思うことができたのです。


ああ、人間ってすでに認知されているからここにいるんだなあ・・・


ならば、

深い愛情を持って、もっと大きな相手を見よう・・・
言葉にできないほどの素晴らしい存在を体験しよう・・・

「認知のスキル」って、すでに認知されているということを言葉にして伝えてあげればいいこと。

ただそれだけ。ただそれをしていくだけ。

だんだん取り留めなくなってきました。

それだけ私には感動的な出来事だったのですが・・・

いっちゃん、しんのすけさん、素敵な経験をさせてくれてありがとね!
感謝です。


Joy★Free コーチング@Cafeプロジェクト
私の10月の当番日は4日と25日です。
遊びに来てね~

コーチング@Cafeプロジェクト
お申込み:
下記のフォームから、予約を承っております。
http://my.formman.com/form/pc/qNSsMrVSC4K391Z5/

Joy★Free所属コーチのプロフィール:
http://plaza.rakuten.co.jp/CCF2007/diary/200707200001/

完了 ― ハチドリのひとしずく ―

2007-09-17 22:42:39 | つれづれ話
先ほど、完了しました。
何がって?

CTI上級コース、すべてのカリキュラムです。
半年間、2週間に一回ずつのグループコール(チームメイト9人とリーダーが電話でつながります)。
その間に挟む3人一組のスキルドリルという練習会、宿題のレポート提出。

振り返ったら、よくぞやったなーという感じ。
宿題がままならず、苦しい思いもしたっけ。

半年間を喩えるとすると、コーチングっていう軽くはない荷物を乗せた荷車を
ゆっくりゆっくり引いてきたという感覚。

え、それじゃあ、あたしは牛かい? 


モォ~



でも、この荷車、まだまだ引いていく覚悟だ。

カリキュラムは完了したけど、私の中のコーチングは完了していない。



上級コースのチームにはそれぞれ動物の名前がついています。
私のチームは「はちどり」。

はちどりには「ハチドリのひとしずく」という、南米アンデス地方に伝わるお話があります。


     『ハチドリのひとしずく』

 
      森が燃えていました


      森の生きものたちは

      われ先にと
 
      逃げて

      いきました


      でもクリキンディという名の

      ハチドリだけは

      いったりきたり

      くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは

      火の上におとしていきます


      動物たちがそれを見て

      「そんなことをして

       いったいなんになるんだ」

      といって笑います


      クリキンディは

      こう答えました



      「私は、私にできることをしているだけ」



     (光文社 ハチドリのひとしずく いま、わたしにできること)   


半年のコースを終えて今私に残っているもの。

それは

コーチングで人の心に落とす「ひとしずく」は決して『焼け石に水』ではないと信じることができていること。

そう、私は私にできることをこれからもやっていくのだ。

荷車を引く牛のように

ひとしずくを運ぶハチドリのように。


 コールの完了とともに、これからも人々の心に「ひとしずく」を落とし続けることを誓います。


         





ふと思い出したこと

2007-09-03 16:14:33 | つれづれ話
私って、けっこう怒ってる人。

自分の感情をよく見ていると、
かすかな怒りを感じていることがよくあります。

怒りは悪いものではなくて、私の行動の源にもなっているものでもあるので、
わりと好意的に受け止めています。

と、怒りについて書きたいんじゃなかった・・・

ふとあることを思い出して、それについて怒ってるってことに
気づいたのでメモしておこうと思ったのでした。

5,6年前になりますが、空き巣に入られたことがあります。
家の中がひっくりまわされたということもなく、
見落としてしまいそうになるくらい、いつもと同じ家の中でした。
ただ、いつも出しそうにない書類の箱が何気に机の上に置かれていたのです。

何かおかしいと感じ、それから、大切なものを保管している引き出しや、
現金などを確認しました。
案の定、預金通帳、健康保険証などの入っている書類ケースがありません。
現金はいつも置いておかない主義なので、1万円ほどでしたでしょうか。

深夜でしたが、警察に電話し、現場検証してもらい、
その後も書類等をつくるために何度も警察署に足を運ぶことに。

ほどなく、犯人は捕まりました。
私の住んでいるところから車で30分くらいのところに住んでいる主婦でした。

弁護人という方から連絡をもらい、現金1万円が返還されました。
でも、本人はもとよりその方の夫からも謝罪の言葉はありませんでした。

盗難そのものに関しては、その方の事情なども聞いたので、
もう何のわだかまりもありません。
とっくに過ぎ去ったこととして認知しています。

なのに、なぜ、今頃怒りとなって思い出してるんだろう。

実は預金通帳、健康保険証とともに子供たちの母子手帳も保管していました。
私の体重の増加の記録、超音波でとった子宮内の子供の姿、生まれたときの記録、
予防接種の記録、その後の成長・・・など、かけがえのないものが記録されています。

私自身、子供のころに母に母子手帳を見せてもらうのがとても好きでした。
生まれてきたんだなあ、って実感があったように思います。
それを通して母親の愛情を感じていたのかもしれません。

盗まれた預金通帳等は返ってきました。でも母子手帳がありません。
返してほしいと、申し入れましたが、
盗んだ時点で捨ててしまったとのことを警察を通じて知らされました。

犯人にとっては、値打ちのないものだったのでしょうか。

ですが、犯人が母親であることから、どうして無神経に
そういうものを捨てられるのか私にはわかりませんでした。

いまだに私の中に残っている怒りは、母親としての彼女を許せないという気持ち。
何の感情もなく、ゴミ箱に投げ入れたのだとしたら、とても悲しくて、情けないのです。

願わくば、捨てるときに若干の罪悪感を感じてほしかったという、ささやかな怒りです。

その後、玄関のカギを取り替え、ピッキング対策も施しました。

もう過ぎ去ったことなのに、ときどき思い出すモヤモヤ。

彼女の子供たちが幸せであることを祈るばかりです。