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お医者の生活奮闘記。

お医者生活も7年目。ちょっと疲れて、温泉と喫茶店がないと頑張れなくなってきた小児科医の奮闘記です。

きらの里

2008-02-19 22:09:43 | Weblog
16,17日の土日を利用して、伊豆高原まで1泊で温泉に行ってきました。テレビ東京的なベタな旅行でしたが、とってもいい旅になりました。

12時30分東京発の踊り子号(伊豆急行が所有しているリゾート踊り子)に乗って、座席が斜めを向いているので、目の前には外の景色が大パノラマに広がって、横浜あたりまではむしろ恥ずかしいくらい。それでも国府津を過ぎたあたりからは海を眺めることができ、車内では親子3代、子連れの家族がビールと駅弁を広げてくつろぐ様子はほのぼのした気分になりました。
15時10分に河津駅に到着。本州で一番早く桜がみられるとのことで、一足お先にお花見をしてきました。4分咲でしたが、見物客も多く、甘酒やまんじゅうなどの露店が軒を連ね、少し早い春を満喫することができました。

その後、伊豆高原に戻って、楽しみにしていた宿、きらの里に向かいました。
一言で言うと鉄腕DASHのDASH村のようなところで、6600坪の敷地に、
宿泊施設や温泉が点在しています。田んぼや畑があったり、うさぎやニワトリ小屋があったりと日本の原風景がそこにはありました。

大浴場には寝湯やかめ湯があったり、露天風呂も何カ所かあったりして、とても広く、サウナは木の香りがとても香ばしく、森にいるようでマイナスイオンをたっぷり吸い込んで、疲れも一気に吹っ飛んだのでした。
風呂上がりには、ヤクルトのサービスもあり(朝は牛乳でした)、ちょっとした心配りがにくい。

夕食も伊勢エビと金目鯛のしゃぶしゃぶがメインに懐石料理になっていて、おいしくいただきました。金目は脂がのっていてホントおいしかった。

10時過ぎからは、敷地内に赤提灯のラーメン屋台と焼き芋屋さんが出現。足湯につかりながら見知らぬおじさん達と談笑しながらいただくラーメンはなんともいえぬ至福の時でした。しかもこのラーメンと焼き芋もサービスなんです。

朝寝坊して遅めの朝食をとり、一風呂浴びてチェックアウトぎりぎりまでダラダラして家路についたのでした。

個別疾患シリーズ(5) RSウイルス感染症

2008-02-14 15:17:14 | Weblog
久々の個別疾患シリーズでは、RSウイルスを取り上げてみたいと思います。RSとは、呼吸器を傷害するという意味で、文字通り、気管支炎(細気管支炎)を起こすウイルスです。大きい子でもかかりますが、主に1才以下の子がかかると重症化しやすく、生後2,3ヶ月までは入院する子も度々みられる病気です。

鼻汁が増えてくることから始まり、徐々に咳を伴うようになり、5日間程度をかけてだんだん悪くなっていきます。その後、1週間ほど低空飛行が続き、2週間くらいかけて治ってきます。

とにかく分泌物が多く、細い気管支に貯まるため、肺胞と呼ばれる酸素と二酸化炭素を交換する場所の機能が落ちて、体に十分な酸素が運ばれなくなってしまったり、二酸化炭素が体にたまってしまい、呼吸状態が悪くなります。

あまり著効する薬もなく(もちろん抗生剤は効きません)、去痰剤や気管支拡張剤、抗アレルギー剤、ステロイド薬で治療することが多いですが、いずれも切れ味は悪く、ある程度時間が経って良くなってくるのを待つしかないというのが現状です。

昔は、小さい赤ちゃんなんかで呼吸が悪い場合は、気管内に管を入れて(挿管して)人工呼吸器を使用することが多かったようですが、最近では鼻につけるだけの簡易式の人工呼吸器が多用されているため、管理は昔に比べ格段に楽になっているようです。といっても、苦しそうにしている赤ちゃんを看病しているお母さんの姿はちょっと切なくなってしまいますが。。

そして、重要なことがもう1つ。小さいうちにRSウイルス感染を起こした子は、将来ぜんそくになるリスクが、かかっていない子に比べて非常に高くなります。現場で働いていて、それは実感できるくらい差が出ます。

兄弟がいるおうちは大変だと思いますが、極力RSウイルスにかからないように、気をつけてあげるといいと思います。

pateo ありがとう!

2008-02-11 14:09:21 | Weblog
私のペンネームでもあるpateoですが、pateoは我が家に一番長く居着いた猫の名前です。

pateoが我が家にやってきたのは、約16年前。当時、大学生だった姉が大学のキャンパスに捨てられていた生後間もない猫を拾ってきたのがきっかけでした。

我が家には代々猫がいましたが、私がいじりすぎたり、ノミがひどくて泣く泣く捨ててきてしまったりで、たいてい長く居着くことは今まであまりなかったのですが、pateoが来たときには私は高校生になっていたこともあり、あまりいじられすぎることもなく、長いこと居着いていたのでした。

神奈川で生まれ、埼玉で多くを過ごし、一時、浦安で潮風に揉まれながら、老後は再び神奈川で数年間過ごしたのでした。

昨年の後半あたりから度々けいれんを起こすようになっており、今年の正月に実家に帰った時には、いつも通り日当たりの良いいすで、丸くなって眠っていたのでした。

年も年でしたし、けいれんも起こしていたようなので、もう長くはないかなとは思っていましたので、実家に帰るたびに会えるのもこれが最期かなと思いながら、なでてやっていました。最後の頃は、やたらとかみつくことが多く、といっても本気で噛んでくるわけではなく、なんか思うようにはいかない歯がゆさをぶつけてきているようで、切なくなるばかりでした。

今年に入って、しばらくして、pateoは行方不明になりました。もう1ヶ月近く帰ってきません。いなくなった翌日、冷たい雨が降ったこともあり、おそらく、もう旅立ってしまったのだと思います。

先日、祖母の件で実家に帰った時にpateoがどこにもいなくて、ああ、もういないんだ。。。と寂しくなりました。

pateo今までありがとう。そしてお疲れさま。

不思議な1日

2008-02-10 00:18:11 | Weblog
小児科医は患者さんの最期に立ち会うことは大人の科に比べれば、格段に少ないのですが、この6年間を振り返るとやはり、それなりの回数が重なってきてしまいました。

その中でも最も不思議な日のことを書いてみようと思います。

骨髄移植を終え、3週間近くたった頃でした。移植というのは、テレビでもたまに取り上げていますが、それはそれは想像を絶する治療であり、ありとあらゆるトラブルが起こりえます。その子に起こったトラブルは、肝中心静脈閉塞症という致死率の高い副作用でした。これは、血栓(血が血管の中で異常に固まってしまったもの)が肝臓の静脈を詰まらせてしまい、肝不全などをきたす病気で、治療はこの血栓を溶かすしかありません。しかし、ただでさえ骨髄や肝臓のの機能が落ちているところに血栓溶解剤を使えば、出血のリスクが跳ね上がります。

その日は、10時頃から点滴でその薬を使い始めたのですが、いつになく饒舌で、今まで一回も言ったこともないのに、○○先生(私の名前)が担当で良かったよ、ありがとう。と繰り返し言うのです。その他にも、気持ち悪くて食べ物の話どころではなかったはずなのに、家族でよく焼き肉を食べに行っていた話しをして、治ったらまた行きたいんだ、先生も一緒に行こうね、とか、とにかく思い出ともとれるようなこれからしたいこととも取れるような発言を延々とベッドサイドに座っていた私とイヤホーン越しに母親へと話しをするのです。

そして、話が一段落ついた直後でした。突然、血栓溶解剤の影響で大量出血をきたし、その時は一命を取り留めたものの、それからしばらくして彼は逝きました。

彼にはどうやら解っていたようなのです。

私は彼が大好きでした。本当に可愛い子でした。私のことを家族のように慕ってくれて、心から信頼してくれていました。でも私は救ってあげられなかった。。。

彼に教えてもらったことは書ききれないくらい本当にたくさんあります。
そのことを忘れずに、これからも頑張って行こうと改めて思います。

患者の立場

2008-02-07 17:13:26 | Weblog
私は小児の血液を専門にしているのですが、偶然にも90才になる祖母がどうやら血液の病気らしいということで、家族もあまり病状を理解できておらず、電話で話をしていても埒があかないので、先日、上の先生に無理を言って半日休みをもらって、某大学病院まで病気の説明を聞きに行ってきました。というのも、もう1人の祖母が亡くなったとき、私は研修医の一年目で、重い白血病の子を抱え、骨髄移植中であったこともあり、彼のそばを離れることが出来ず、ほぼ病院に入り浸りで、祖母のお見舞いに行くことが出来ず、最期にも間に合わなかったこともあり、今回は、家族の有事には役に立ちたいという思いもあり行ってきたのでした。

祖母の病気はあまりいい病気ではなかったのですが、最近開発されたリツキサンという薬を使って治療することになりました。一般に化学療法(抗ガン剤治療)というと悪い細胞も良い細胞もまとめて痛めつけるため、副作用が強く出て、体力のないお年寄りなどでは非常に具合が悪くなるのですが、このリツキサンという薬は悪い細胞だけをたたくことが出来るので、副作用がとても少なくてすみます。もし、この薬が良く効けば、寿命の方が先にくるくらい生きることができるかもしれません。悪いなりにもその中では望みのある病気でした。
  
普段は同じような話を患者さんに話をする立場なわけですが、今回、家族として血液内科の先生からお話を聞くことが出来たのはとても貴重な経験になりました。
ほぼ予想通りの内容でしたが、丁寧にわかりやすく話してくださり、インフォームドコンセント(説明と同意)もある程度道を標してくださりながら話は進んだので、家族も迷うことなく、治療方針を決められたようです。もっともその後、実家までの車での帰り道、母はとんちんかんなことを言っていたので、けっこう解っていないんだろうなと思いつつ、まあ、そんなもんだろうなとは思いましたが。。


六星占術

2008-01-24 16:19:47 | Weblog
早いもので、2008年になって3週間が過ぎてしまいました。うかうかしてるとあっという間に時は過ぎてしまいますね。もっと大事に時間を使わなきゃなぁと最近年を重ねてきたせいか焦ることが多くなりました。

さて、私は小学生の頃から母の影響で細木先生の六星占術をよく読んでいました。
ちなみに火星人の(+)ですので、今年は年運が達成ととてもいい年回りになっています。

しかし、年初からの株価大暴落で昨年までインドの投資信託を中心に挙げた利益はあっという間に吹っ飛び、最近はマイナス生活です。。ちなみに今月の月運は乱気、2月から4月はいいとこ3つなので、2月から少しは持ち直すでしょうか?まあ、この安さで買い増せる(といってもそんなにお金もないんですが)と思ってしばらく我慢してみます。

細木先生は、ここ数年よくテレビに出演されていて、女子高生相手に説教をしていますが、時に少し強引な気もしますが、良い話をたくさんしていると思うのですが、私だけでしょうか。
今、怒ったり、説教してくれる大人って少ないですよね。。注意しようものなら逆ギレされて刺されたりする始末で、本当に寂しい限りです。細木先生のような怒れる大人が日本の立て直しをしてくれるといいなぁと思います。

最近の研修医も少し注意したり怒ったりすると近寄らなくなってしまう人も多いです。しかし、2年間の研修が終わろうとしている今の時点で、皮下注射(予防注射と同じ)もできない子がいるのには唖然としました。この国の医療レベルの低下は避けられそうにありません。。


ラグビー

2007-12-13 12:56:20 | Weblog
私は大学時代、何を血迷ったかラグビー部に入部し、6年間ラグビーにいそしみ、現在も県の社会人リーグでプレーしています。

先日、スクールウォーズで有名な平尾誠二さんが、私の住んでいる街に講演にいらっしゃったので、外の病院にバイトに出ていたので、帰りに話を聞きに行ってきました。

平尾さんというとラガーマンの中ではすらっとして、スマートな印象ですが、実際にお会いしてみると思っていたより全然大きくて、とてもダンディーでした。やっぱり超一流の方たちは、オーラがすごく、とても感激しました。大八木さんとかは化け物なんだろうなぁ。

ラグビーというとやはり激しいスポーツであるのは確かで、入部当時は、痛くて苦しくていつやめようかとそんなことばかり考えていました。私は172cm、68kgしかないので、やはり100kg級の人にタックルに入るのは最初はとても怖くて、よく蹂躙されていました。しかし、半年位するとラグビーの面白さが辛さを上回り、今ではすっかりとりこです。まだまだうまくなりたいという気持ちは強く、時間を見つけてはトレーニングするようにしています。

うちのチームのキャプテンは現在44才で、花園常連校で有名な大分舞鶴高校の出身で、早稲田大学にすすみ、4年間ウイングとしてけっこう活躍していたようです。平尾さんとも1つ違いで高校時代からの知り合いとのことです。

最近はラグビー人口の減少が著しく、我が県でもチーム数は減る一方ですし、白髪交じりのおじさんがけっこう試合に出ています。

うちのキャプテンの夢は地域に密着したクラブチームをつくることだそうで、家族で練習や試合に訪れて、終わった後はBBQしたり、試合のビデオを見ながら談笑したりできるようなチームを目指しています。うちのチームにも子どもがいますので、一小児科医としても、何か協力できればと思っています。

最近は、近所づきあいも希薄で、殺伐とした世の中ですから、古き良き時代の温かみのある地域社会づくりをラグビーを通してできることを私も願っておりますし、何か力になれたらなぁと思います。


個別疾患シリーズ(4) 肺炎

2007-12-06 14:39:59 | Weblog
肺炎…。やっぱり、その響きは風邪とは違った重症感のある言葉のように思います。

かくいう私も5才の時に肺炎で入院したことがあります。
忘れもしない日曜日の朝。。いつも早起きだった私は、7時前にいつもとは違っただるさと息苦しさで目が覚めました。両親は当然日曜日なので寝ています。何度も辛さを訴えたような気がしますが、そこの記憶はあいまいです。

たぶん、9時か10時頃、私は両親に連れられて、病院に向かいました。そして、そのまま入院。当時は、トンボ針と呼ばれる針に直接チューブがついたものを血管に留置し、点滴を落とします。今は、細い金属の針の回りにビニール製の外筒がついた針を使用して、血管内に外筒だけを残して内側の金属の針は抜いて点滴しています。金属の針が入っているわけですから、下手に動かすと針先が血管を傷つけて、点滴が漏れます。1週間程度の入院でしたが、3回くらいは入れ替えをした記憶があります。

その病院は入院したときは卵。2,3日して、少し元気になってくるとひよこになり、最後点滴が抜けるとにわとりの絵が枕元に飾られ、院内を散歩してもOKといった具合だったように記憶しています。

このときの主治医に憧れて、私は医者を目指すようになりました。両親は起きてくれなかったのに、この先生は苦しい僕を救ってくれた、とこども心に尊敬をしていたのだと思います。もちろん、両親のことも尊敬はしているんですけれど。

すいません、話がそれました。という訳で、こどもにとって、肺炎は苦しい病気であり、こどもにとって入院するということは、とても大きなイベントであると私は今でも思っています。

肺炎は、主に気管支の炎症が細気管支、肺胞に拡がって、分泌亢進、痰が詰まって、息苦しくなる病気です。

やはり、ウイルス性の肺炎が多いのですが、中には細菌性の肺炎、ウイルスでも細菌でもないマイコプラズマ肺炎などが代表的です。

ウイルス性の場合は、やはり抗生物質は効かないので、点滴で水分補給をしたり、鎮咳去痰剤をのんだり、気管支を拡げて痰の切れを良くする吸入をしたりします。
通常は、3,4日で解熱し、呼吸苦も徐々に取れてきます。

細菌性の場合は、点滴から抗生物質の注射をします。薬が効けば、翌日には解熱し、みるみる回復します。

マイコプラズマの場合は、クラリス、クラリシッド、エリスロマイシン、ジスロマックといった薬が良く効きます。昔は、学童以降に多く見られたようですが、最近は、2,3才の小さい子でも見られることがあります。

おそらく、開業医の先生は、肺炎であれば、どんな場合でも抗生物質を処方してしまっているのが現状ですが、勤務医の我々は、やみくもに抗生物質を使わずに原因を見極める目を絶えず養っています。とはいえ、実際は、入院している子でも予防的に抗生物質を使ってしまっている病院が多いのが現状です。
抗生剤の副作用で、腸内細菌がやられて、ものすごい下痢になる子もたまに見かけます。私もオーバー医療にならないように気をつけたいと思います。

世代交代

2007-12-01 08:12:22 | Weblog
11月21日に甥っ子が誕生しました。姉の子どもなので、自分と同じ血が流れていると思うと感慨深いものがあります。

2400gで生まれたので、少し小さめですが、顔は整っていて、なかなか凛々しくて、可愛くて、可愛くて。手前味噌ですが、自分の子どもの頃に似ているような。。。親戚の中でも20才のいとこが最年少だったので、久しぶりに親戚に子どもができました。

さて、赤ちゃんは生まれると、まず日齢5(生まれた日が日齢0)に生まれつきの病気がないかを調べる先天代謝異常症の検査(血液検査)があります。そして、退院までに聴覚スクリーニング、心雑音がないかをチェックします。この時期によく見つかるのが、心室中隔欠損症といわれる左右の心室を隔てる壁に穴があいている病気です。ここをクリアできると晴れて退院。1か月健診へと続きます。

うちの甥っ子は産まれた病院がお預かりという病院で、両親以外、ガラス越しでしか面会できません。最近は物騒な世の中ですから、仕方ないのかも知れませんが。。

もう、元気に退院したようなので、近々また会いに行こうと思います。

西陣荘

2007-11-29 15:02:18 | Weblog
せっかく京都に着たのに、普通のホテルに泊まるのでは趣がないので、町家を改造したという旅館に泊めていただきました。

雪見格子という障子の下半分が持ち上がって、ガラスの向こうに中庭の見えるなんとも素敵なお部屋でした。
翌朝のおばんざいも白味噌のお味噌がなんともやわらかい味で、普段、抜くことも多いのですが、しっかりいただきました。

2日目は、市内の市場に寄って、漬物やらおたべやらお土産を買い込んで、帰路につきました。