a green hand

海浜幕張での花火に招待された。




隣組にご不幸があり、告別式の日取りによっては、ご招待の花火に行く事はできないと覚悟していた。
しかし、まさかの月曜日が葬儀となった。

隣組といっても、昔のように、夫婦同伴がすっかりなくなり、殆ど葬儀屋さんが何もかも取り仕切る時代になって久しい。

その時の班長さんが葬儀委員長を務めるのは変わりないが、葬儀委員長としての意識も権威も、形骸化された。

皆、その役目に当たらない1年である事を願うが、そればかりは何とも予測がつかない事である。
無事何事もなく過ぎてくれることを祈るのみの班長1年の拘束期間である。


土曜日、お土産を買うため、予定より1時間早く家を出た。

朝採り桃と福島のお酒を花火会場でのお土産にした。

花火会場である海浜幕張にホテルが取れず、快速で3駅ほど先、千葉みなと駅からタクシーで数分の距離にあるのが我々3家族がとまるホテルである。

アーリーチェックインをしてもらい、花火の時間まで広いホテルの室内でゆっくりした。
私は室内のお風呂で、夫は屋上露天風呂に行き、湯ったり。

娘は友達と4人で、お花見弁当ならぬ「花火弁当」作りをして会場に直行し、席取りをするという。

パートナーのご両親と我々を、パートナーの風ちゃんが迎えに来てくれて花火会場へと案内してもらう。
風ちゃんは手に折りたたみ用テーブルを下げて現れた。

海浜幕張駅より、大変な人混みの中、ゾロゾロと海辺を目指し歩いた。
大勢と一緒に同じ場所に向かう事が、距離が長いのに気にならない不思議さを感じた。
これが目的を同じくしない人々と歩いたなら結構な距離感だろうなと思いながら。

福島の暑さとは比べようのない夕方の海浜幕張の風が伝ってきて涼しかった。

風ちゃんのご両親は、気さくないい方たちで娘が気軽にお付き合いでき、親しくできる訳がわかった気がした。

会場に着くとチケット確認とそのチケットのエリアで有効な赤のリストバンドを渡された。

海辺で娘たちが待っていた。
見ると我々を含む9人のためのお弁当を囲み我々を待っていてくれた。

料理好きな娘が、前日から会社を休み、準備してくれたお弁当。

感動と食べたいのが先であったのと、薄暗い海浜のせいもあり、お弁当の写真を撮り忘れたのが悔やまれてならない。

手作りシュウマイは、風ちゃんと作ったらしい。
風ちゃんのお父様も褒めてくれていた。
波の音と潮風が肌にはりつくベタベタ感を味わった。

花火がスタートした。
最初の数発で、涙が滲んだ。

印象に残る花火といえば子供の頃に父に連れられて行った花火以来である。

お祭りが苦手な私は、ご招待が無かったなら一生出会わなかったかもしれない大きな花火である。

水平線に灯りのついた船が並び、時々旅客機が飛び、ヘリコプターも飛んでいた東京湾上空。

遠くに隅田川の花火が見える。

ふと、又吉直樹の「火花」を思い出した。

大会社が協賛する凄い花火の中、個人協賛の花火があった。
火花のような小さな花火に会場は呆気にとられ一瞬静まりかえった。
しかし会場の人々は女性に贈った男の小さな花火に万雷の拍手を送ったのだ。
その本で1番私が感動した部分である。
花火で誓う好きな人への思い。
こういう中でのことだったのかと花火を見てしみじみした。


会社の花火協賛に関する話題で盛り上がる若いメンバーの1人が「誰々さんが個人協賛で相手の女性に花火を送ったけど別れちゃったよ」

そんなことを言って笑いあっている。

花火の季節になると楽しかった青春時代の苦さも合わせて思い出すんだろうなと複雑な気分でいる私であった。

帰り道、パートナーのお母さんと話しながら歩いた。
お酒が好きなお母さんは、行く時よりとても上機嫌だった。

子供たちとは関係なくお付き合いしましょうよの言葉に、私も共感する思いで
「2人とも、ずっと仲良く長続きするといいですね」などと口走っていた。
アルコールも飲んでいないのに。
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