外国のコロナ関連のニュースが盛んに報道され、イタリアの美しいショッピング街「ガレリア」とその地で一番大きな教会、大聖堂がたびたび映されていた。
陽気なイタリア人の悲惨な様子に心が痛んだ。
10年以上前になるが、フィレンツェから電車でミラノ駅に向かい、駅から外に出た瞬間の強烈な印象が蘇ってくる。
タバコの吸い殻である。
敷き詰められたようにあるその様に驚いた。
掃除をする役目の人がサボっていたのか他の事情があったのか分からないがとにかくその数に驚いた。
ビジネス街で颯爽とスーツ姿のカッコいい男たちが歩いている街、ミラノでの旅がそこからスタートした。
それで直感であったが高齢者の多いイタリアと、コロナとタバコの関連性はないのだろうかと検索に走った。
女性の喫煙も他国と比べとても高い結果に納得した。
しかし、そう短絡的に考えることはできないと思いながらも一月が過ぎた。
ある大きな日本の死亡者のニュースから、喫煙はやはり関係がないとは言えないとの思いを強くした。
高齢者で喫煙ありはリスクが高い。
私は生まれた時からの受動喫煙者である。
父も夫もヘビースモーカーであり、父は許せても夫の喫煙とお酒に対しては、差別だろうが戦ってきた。
戦うも、勝ち目は全くなく、私の敵とすら思う相手が「タバコとお酒」であった。
タバコやお酒に浸る人たちの理由はわからないではない。
戦後の貧しさや辛さをお酒やタバコはどんなに人々を慰めただろう。
どんなに笑いを生み出して睦み合う喜びを与えてくれただろう。
現在なら美味しいお料理をより美味しくしてくれるお酒。
ストレスの多い世の中で気持ちを立て直してくれであろう喫煙。
しかし我が夫や家族に対し、そんな思いやりの気持ちは吹っ飛び、ただただ嫌という理屈なしの思い。
そんな時、夫は悪性リンパ腫という血液の癌にかかってしまった。
それ以降、タバコはやめ、お酒は上手に飲めるようになり、私の意識にも平穏を得た。
しかしそこまでの道のりは長く、リスクが大きすぎるのである。
病気は普通の人であれば生活習慣を一つ変えることでだいぶ良くなるものだと自分の経験から言える。
男性にコロナ感染者が多いこと、長年の喫煙で心臓や肺が弱ることともう一つは清潔の習慣かなと思う。
女性は手を洗う意識や機会は男性より大きいような気がする。
喫煙だけは、身体に良くないと皆分かっていてもやめられなくなる。
そんなもので税収を得るこの国さえ呪ってしまう。
この福島、度重なる想定外の出来事に遭遇している。
今、地方の知事の力が試される気がする。
統計や情報を深く読み取り、どれだけ地方として主体性が持てるか英断できるかがかかってくると思う。
人間性に関わる決断である。
コロナが戦争であるとすれば命より大事なものはないはずである。
理屈なしに優先順位は命であるべき、今、この時、優先順位は経済ではない。
切羽詰まれば命である。