a green hand

だいぶ過ぎてる








うれしいことがたくさんあった。
誕生日前日、息子とMちゃんが来てくれた。

お正月以来である。
それからずいぶん過ぎてしまった。

21Lessons を、気になる部分と後ろから読み、教育と瞑想の部分は何度も読んだ。
気になるのは、我々が生きていないだろう未来のこと。
未知なる未来に想いを馳せてるおかしな私がいる。

生きてる間に起こるだろう不安もある。

それはあらゆることに対する格差?かも知れない。
目に見える所の格差はそう不安ではない。
それは私にも解る格差だと思うから。

しかし、IT、情報処理、AI、アルゴリズム、ハッキングとなるこの種の格差は老いたものにとり格差というか混乱の何者でもない事を知る。

アルゴリズムを検索し、すでに私はその中にいる事を実感した。
夫にいうと既に分かってらっしゃる。

幸いかな?生まれた時からネット社会にいたわけではなく、今の子供たちからしたら桃太郎や浦島太郎やかぐや姫時代に近いのではないだろうか。(いや、それらもコマーシャルなどで見るからには湾曲されて現代に近い。w)

これからの時代、偽物と本物の区別はあらゆるところで困難になってきそうに思う。
そして偽物も本物も区別することさえ問題外になるかも知れない。
実際、私の目が年をとったせいもあるが、植物を見た目で区別することができなくなった。

生花でさえ人工的な色に感じる。
我々が大事にしてきたホンモノ文化への価値はどんどん変化していきそうである。

以前の翻訳機で不満だったはずの英訳が、違和感を感じない日本語になっている。
こういうことがどんどん発達し、人工知能の出番は想像を絶するほどで決して「失業」はしないだろう。
人工知能様に抗った所で誰も勝ち目はないのだから。

昔が良いとか昔に戻りたいとかいうわけでは決してない。
これからの子供に必要な教育って何だろうと思う。

ネット社会に生まれ育ち情報に溢れ、価値観も激変する中で生きていく未来に生きる今の子供たち。
新しいものはすぐに古いものと化す。

変わらない教育って何かと自分に問うている真っ最中である。
どうできるわけでもないのに、強いて言えばMちゃんが可愛い、ただそれだけかも知れない。













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