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a green hand

7年ぶりの再会




昨日、趣味の仲間だったAさんとTさんが来てくれた。

Tさんに外でのランチを誘われたが我が家へ来てくれるように話すと、快諾。
Aさんも来てくれることになった。

私の青春時代は「群れ」に無縁であった。

ダムのある場所に生まれ育った私は山と川に包まれ、学校の行き帰りも学校までの道のりを1人で歩いた。




全くの自然人w

群れる環境にいない私は、学校からの帰り道をあちこちと遊んで帰っては、母を心配させた。
町の同級生や上級生はダムのある公園内に住んでいる我が家(社宅)を珍しがり遊びにきた。

遊びにきたからといって私は遊んでいない。
大抵母が相手をして遊んであげていたように記憶している。

今、考えてみても何を思って生きていた子どもだったのか、不思議な私の幼少期である。


その後も山から町へと引っ越す15歳になるまでを一人通学を楽しんでいた。

町ではなく、自然の中で過ごせた事に今ではとても感謝している。

さてそんな私が「群れ」を楽しんだのが、早めの退職をし、趣味の習い事で出会った仲間たちである。

学生と一緒の空間で学食ランチをした。
正規の学生たちは学食ランチを卒業していっても我々趣味仲間は常に先輩だった。

そして年に数回、県内はもちろん、隣県となると、仙台や米沢までの日帰りの旅を楽しんだ。

群れない、慣れない、頼らないの堀文子さんの言葉がよぎる。

群れて遊ぶ事に慣れて来なかった私は、年甲斐もなく群れる事がとても楽しかった。

思春期と異なり、5〜60代の大人の群れは懸命に生きてきた分の豊かさがプラスされていてそれぞれにおもしろい仲間たちであった。

老い、家族の介護やお墓の心配まで話題沸騰であった頃、それはまだ未来の話であった。

長い期間の習い事が終了し、コロナがあり、リーダー格の仲間が体調不良で以前の群れも解散状態となった。

途絶えていた交流が最近、ポツリポツリと復活の兆しはあるが、以前の活力も若さも失われ、話題沸騰だった内容も未来の話ではなく、渦中の現実となっていた。

そのような中に、Tさんからのお誘いはとても懐かしかった。(つづく)


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