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豪農・斉藤家

2012-02-25 10:16:17 | 日記
斉藤家住宅

 斉藤家は秋田県大仙市の池田家、山形県酒田市の本間家と並び東北三大地主と称され、仙台藩領内屈指の富豪。
 現在の建物(木造平屋、寄棟、萱葺)は天保年間(1830~44)に建てられた。
 内部は宝ヶ峯縄文記念館として改修。
 庭園(齋藤家九代善右衛門が明治後期に造成した庭園)は2005年5月に国名勝に指定。
 入母屋に構えた厩中門の屋根や、書院造り風の座敷などから、格式の高さを知ることができる。
 JR石巻線前谷地駅から徒歩10分。

 (地元の話)
 斉藤家から仙台まで(約50キロ)、どこまで歩き続けても斉藤家の領地から出ることはなかったという。


▼ 石巻

 石巻は江戸時代、南部藩・伊達藩・一関藩・八戸藩の米の積出港として旧北上川の河口に開けた港町である。
 石巻から江戸まで千石船が米を運んだ。
 河口をみおろす小高い丘は、鎌倉・室町時代の葛西氏が城を構えた石巻城址で、現在は日和山公園となっている。
 山上には鹿島御子神社(かしまみこじんじゃ)のほか、公園内には奥の細道ゆかりの地として芭蕉のほか、
斉藤茂吉、宮沢賢治、石川啄木など多くの文人の碑がある。

 石巻小学校前の交差点にもどり、宿場の中心地と思われる通りを北に進んでいくと住吉公園にいたる。
 住吉地区は藩政時代に、各藩の米蔵が建ち並び、大いに賑わったところである。今も往時をしのばせる情緒ある
たたずまいを見ることが出来る。志賀直哉の生家がこの地区にあった。

 公園内にある石碑の一つに「袖の渡」と刻まれている。このあたりに北上川の対岸とを結ぶ渡しがあった。
 源義経が藤原秀衡を頼って平泉へ向かう途中、ここから船に乗って一関に向かう時、船賃の替わりに自分の片袖を
船頭に与えたという。
 
 公園の岸辺から朱色の小橋が架かる雄島に渡ると、「石巻」の地名の由来を記す説明板が立っている。
 傍の川中に一つの岩があり、干満の差によってこの岩のまわりを水が巻くことから、この岩が「巻石」と呼ばれる
ようになった。
 芭蕉はここから北に向かった。


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