
絶壁のギリギリの所で座っていたので、後ろに体重をかけた途端、雪の壁が崩れて・・・・・・。
僕たちは慌てて岩山を降りて、落ちたであろうその場所を探しながら、腰まで埋まる雪の中をラッセルした。
「いたっ!」リーダーは深い雪の中で細かく痙攣していた。
「生きている!!」 とにかく息をしていることに、僕たちはまずは一安心した。
でも、怪我の程度はわからない。
誰が指示を出したのか忘れてしまったが、現場で残る者、助けを呼ぶ者に別れた。
(あとでわかったが、リーダーは約30m落下したらしい)
僕たちは、カチンコチンに凍ったクロカンの靴に足をねじ込み、下山にかかった。
ここでも、どうやって下山したのか記憶はないが、状況を警察に報告したのは憶えている。
小さなウトロの町は、大騒ぎになっていたらしい。
その後の僕の記憶は、停車しているタクシーの中で、無線連絡係をしている場面になる
。
無事発見され、病院に搬送される頃には、夕刻が迫っていた。
夜にスタッフの方から、入院はしたけれど命に別状はないとの報告を聞いて、一安心した。
その後、リーダーやその時一緒やったメンバーとは連絡は取れずにいる。
4月になり社会人となった僕は、仕事に追われる忙しい日々を過ごしていた。
でも、この時の出来事は、何故か僕の記憶の片隅で消えそうになっては、しぶとく残っていた。
何かの拍子にふつふつと浮かんできて、記憶が焼きなおされていた。
ある時、ホームページに北海道の旅の記録を残そうと当時泊まったYHを検索していた。
そんな中でヒットしたのが、知床YHの当時のスタッフや連泊者達が集うHPだった。
その中心となっている方が、僕が遭遇した事故の当事者というのが最近判った。
いてもたっても居られず、掲示板に書き込みをさせていただいた。
すぐにその方から、返信の書き込みがあった。
昭和59年3月8日に、その現場にご一緒した方が現れるのを、その方(リーダー)は待っていたのだという。
その時の状況を知りたかったという。
その日が、その方にとっていかに重要な日かというのは、結婚記念日や子供の誕生日を忘れても3月8日だけは忘れないという返信の書き込みからよく判った。
偶然に驚くとともに、私のちっぽけな記憶が、人様の役に立てたことが嬉しかった。
そして、いつの日かまた、ウトロのその場所を訪れたいと思っている。
僕たちは慌てて岩山を降りて、落ちたであろうその場所を探しながら、腰まで埋まる雪の中をラッセルした。
「いたっ!」リーダーは深い雪の中で細かく痙攣していた。
「生きている!!」 とにかく息をしていることに、僕たちはまずは一安心した。
でも、怪我の程度はわからない。
誰が指示を出したのか忘れてしまったが、現場で残る者、助けを呼ぶ者に別れた。
(あとでわかったが、リーダーは約30m落下したらしい)
僕たちは、カチンコチンに凍ったクロカンの靴に足をねじ込み、下山にかかった。
ここでも、どうやって下山したのか記憶はないが、状況を警察に報告したのは憶えている。
小さなウトロの町は、大騒ぎになっていたらしい。
その後の僕の記憶は、停車しているタクシーの中で、無線連絡係をしている場面になる
。
無事発見され、病院に搬送される頃には、夕刻が迫っていた。
夜にスタッフの方から、入院はしたけれど命に別状はないとの報告を聞いて、一安心した。
その後、リーダーやその時一緒やったメンバーとは連絡は取れずにいる。
4月になり社会人となった僕は、仕事に追われる忙しい日々を過ごしていた。
でも、この時の出来事は、何故か僕の記憶の片隅で消えそうになっては、しぶとく残っていた。
何かの拍子にふつふつと浮かんできて、記憶が焼きなおされていた。
ある時、ホームページに北海道の旅の記録を残そうと当時泊まったYHを検索していた。
そんな中でヒットしたのが、知床YHの当時のスタッフや連泊者達が集うHPだった。
その中心となっている方が、僕が遭遇した事故の当事者というのが最近判った。
いてもたっても居られず、掲示板に書き込みをさせていただいた。
すぐにその方から、返信の書き込みがあった。
昭和59年3月8日に、その現場にご一緒した方が現れるのを、その方(リーダー)は待っていたのだという。
その時の状況を知りたかったという。
その日が、その方にとっていかに重要な日かというのは、結婚記念日や子供の誕生日を忘れても3月8日だけは忘れないという返信の書き込みからよく判った。
偶然に驚くとともに、私のちっぽけな記憶が、人様の役に立てたことが嬉しかった。
そして、いつの日かまた、ウトロのその場所を訪れたいと思っている。

思い出の糸を手繰り寄せても、それが何になるというわけではないけれど、自分がその時生きていた証をもう一度実感したい・・というか・・
何が変わったんでしょうかね~
ココロは数十年経た今でもちっとも変わっていないと思うのですが・・・
擦り切れさせたレコード「青葉城恋歌」をラジオで初めて聞いたのが、ウトロの民宿でした。
ウトロに、三角岩ってありましたよね。
あの手前の土産物屋で、鎖につながれまるで子犬のようなに人懐こい小熊がいましたっけ。
大雪の山旅、引き続きザックテントを担いでの北海道ひとり旅。
ラジオから流れてくる「青葉城恋歌」を聞きながら、そろそろ旅を終える時かな・・と思いました。
遠い思い出です。
(久しぶりにほろ酔いですので、ちょっと意味不明?)
ルネさん
どうもです。
酒豪のルネさんが、ほろ酔いということは、一升瓶を開けたくらでしょうか?
>思い出の糸を手繰り寄せても、それが何になるというわけではないけれど、
>自分がその時生きていた証をもう一度実感したい・・というか・・
うん、うん、そうですよね
あ、こんな時もあったんや~、っていうぐらいの感じで、アルバムを見ています
確かにココロは何にも変わっていないと思いますが、昔よりも成長しているぞ と思いたいです(笑
>ウトロに、三角岩ってありましたよね。
リクエストにお応えして、写真を追加しました
数年前に職場の旅行でウトロを訪れたのすが、大きな駐車場ができたりして、昔と様変わりしていました
土産物屋さんは、ユーカラ民芸っていう店かな
その土産物屋さんには、ウトロに泊まっていた5日間は、入り浸っていました
おかあんが優しい方で、お昼ごはんに北海道名物(?)の牛乳鍋を頂いたのが記憶に残っています
>青葉城恋歌
どんな歌かなぁってさきほど検索したら、1978年レコード大賞新人賞を受賞されていました
私が幼稚園に入る前なので、記憶にないのも当然ですね(笑
その人にとっても、おやじさんにとっても
大きな想い出だったのが、今こうして
ネットで交差するって、不思議ですね
お互い、驚きとともに何か胸がスッとしたのでは
ないでしょうか?
そう言えば私も、そんな(つっかえた)想い出
ありますが、ネットで偶然なんて、まず
無いでしょうね
ちょっと(つっかえた)想い出をアテに
一杯やりたい気分になりました
叶えられるといいですね。
私も今夜は付き合いますよ♪