JuJuつなぎ

真珠(うさぎ)と36週6日で天使になった愛娘、珠央とパパ&ママの日記

翠波高原

2009-10-12 21:14:07 | 日記
今日は『出産予定日』でした。
予定日だからと言って…その日に必ず産まれるという訳ではないのですが〓
きっとこの頃に産まれる!と期待して待っていたのでこの日を迎えて複雑な心境です。

家にいるのも、辛かったので…パパに無理を言ってドライブに連れて行ってもらいました。
珠央が産まれて歩けるようになったら連れて行ってあげたいと思っていた『翠波高原』へ行ってきました。
私も子供の頃、両親に秋になると連れて行ってもらっていた思い出の場所です。コスモス畑が一面に広がる高原はいつ来ても美しかったのですが、今年は来るのが遅かったようで〓
第1花園は既に、コスモスを撤去してしまった後でした〓
来年に向けて整地していました。
第2花園に僅かにコスモスが咲いていましたが、花も終わりかけのようで少し元気がないように見えました。
まるで今の私と同じですね〓
私も新たな命を宿せる日を迎える為にも、ゆっくりと静養し、珠央を悼み、生かされている事の意味を考えながら過ごしていこうと思います。

時間はかかるかも知れませんが…私はやっぱり赤ちゃんがほしいです。

コスモス

2009-10-08 15:32:12 | 日記
今年も綺麗にコスモスが咲きました。

私の誕生日は10月13日なのでちょうどコスモスの花が咲いている頃に産まれました。
珠央も予定日が10月12日だったのでコスモスの花が綺麗に咲いている頃に産まれるのね!と楽しみにしていました。

…私の誕生日と珠央の予定日が1日違いということは私を妊娠していた頃の母と同じ頃に授かり、同じようにツワリを経験して、同じようにお腹が大きくなり、同じようにコスモスの花を待ちわびていたのかもしれませんね。

私の中では計画(野望?)があり、来年のお誕生日には珠央を連れてコスモス畑へお出かけして、大きなケーキで1歳のお誕生日をお祝いするつもりでした。
残念ながら叶えられませんでしたが。



珠央は、お空の上から見てるかな?3人で手を繋いで見たかったけど…
珠央の背中には羽が生えちゃったから、高い高いお空からコスモス畑を見下ろしてるかな?
じぃじとばぁばのお家にも綺麗にコスモス咲いてるの見えるかな?
ママも大好きなお花だから珠央も好きになってくれると嬉しいな。

生かされて

2009-10-06 14:27:42 | 日記
妊娠に気づいたのは今年の2月のはじめでした。
初めての通院は2月14日バレンタイでした。
1cm程の胎芽を確認して、新しい命が宿った事を知りました。
しかし、卵巣が異常に腫れている事も分かり、リスクの伴う出産になるかもしれない事、赤ちゃんを諦めなければいけなくなるかもしれない事を告げられました。
初め宿った命を諦める事は私には出来ませんでした。出来るだけ安静に過ごし、身体に負担をかけないように心がけました。
1ヶ月後、卵巣も収縮し始め体調も良くなり、経過順調と言われ、予定日も分かりました。
10月12日、私と1日違い。運命かな?
更にお腹を愛しく思いました。

そのまま、経過良好で過ごし、パパの誕生日の8月22日の健診日にお腹の赤ちゃんが『女の子』だと分かりました。
パパは最高の誕生日プレゼントだと喜びました。
私達は胎児ネームを『姫』と付けてお腹に『姫』と呼び掛けました。
姫はパパっ子でパパが話しかけると必ず元気良く、お腹を蹴ったりパンチしたり大暴れしていました。
そんな姫がますます愛しくなりました。

そして…9月18日の健診日朝からお腹に動きがなく、妙な違和感を覚えながら病院へ向かいました。妊娠してから病院の近くへ引っ越していたので病院までは5分とかからない距離でした。
診察が始まり、いつも通りエコーを撮る為、診察台に横になりエコー画像を見た瞬間、先生が凍りつきました。
私も画面を見て…何となくですが良くない状況である事は理解出来ました。
36週4日目でした。
『赤ちゃんの心臓が動いてないんだよ…。』
そこからは記憶が曖昧ですが…気がつくと、母と叔母に連れられ大学病院へと向かっていました。
大学病院での診察も
『子宮内で赤ちゃんが亡くなってしまっています。』結果は覆りませんでした。その後も先生からの説明が続いていましたが、何も聞こえませんでした。
入院しなくてはいけない事だけは理解し、病棟へと移動しました。
移動後、これからの処置について先生が用紙をもって説明に来られました。
用紙には『子宮内胎児死亡』と書かれていました。
目がそこから離せず…ただ呆然としていました。
赤ちゃん助からないの?
赤ちゃん死んじゃったの?
突然パパに肩を持たれ我に返りました。
説明を聞かなきゃ…。

まずは子宮口を広げる処置の為、器具を入れる
時間を置き器具を増やし経過を見る
陣痛誘発剤を使用して分娩を行う
と説明を受けましたが、正直意味が分かりませんでした。
姫は亡くなってしまっているのに?分娩?出産?
何を言っているの???

数十分後、早速処置が開始されました。
私は抗う気力もなく処置台へ上がりましたが、想像を絶する痛みで現実へ一気に引き戻されました。
涙が溢れました。
我が子を失ったばかりなのに、こんな苦痛も味あわなくちゃいけないの?
子宮口を広げる処置は回を重ねる毎に痛みも増していきました。
姫の為とただ耐えました。
2日後、陣痛誘発剤を開始しました。陣痛は息つく暇もない程の間隔で起こり、夕方には破水し、珠央を出産しました。
珠央が産まれた瞬間、私は産声を聞けないと分かっていても、とても嬉しかった、必死で我が子を見つめました。
背中しか見えませんでしたが愛しくて涙がでました。
その時、自力で産めて良かったと思いました。
私以外誰にも出来ない事なのだから、珠央を産めるのは私だけだ!良かった。と心の中で何度も思いました。
痛みも苦しさもどこか遠くへ遠退いていくようでした。

その日の夜、珠央と対面した感動は今も昨日の事のように覚えています。
可愛くて、小さくて、柔らかくて亡くなってるなんて嘘だろう、眠っているだけじゃないの?と思うほど
珠央は穏やかな顔をしていました。
我が子を抱きしめ、母になったんだ!私の赤ちゃんだと喜びました。

翌日、診察を受け
反対する先生もいましたが出血も少なく、子宮の戻りも良かったので出産後24時間たっていませんでしたが気力で立ち上がり珠央と家へ帰りました。
早く、珠央を連れて帰りたい一心でした。

家に着くと皆が珠央を取り囲み『可愛い』と見つめました。
一晩中、珠央に触れては愛しいと思いました。

22日…家族のみの密葬をしませ、小さな小さな珠央はさらに小さな遺骨箱に納まり帰宅しました。
辛かったです。
たった2日…時間にしたら1日にも満たない時間しか一緒に過ごせなかったのに
珠央は骨になってしまいました。
身体中の力が抜けていくのがわかりました。
涙が渇れてしまう程、泣きました。

それでも生きている、生かされている私。
何か意味があるのでしょうか?
最初はただ、こんな運命を憎みました。
でも、生かされている以上私が生きていなければいけない『理由』があるんだと思うようになりました。
きっと…生かされている『理由』がある。
珠央は亡くなってしまったけど、私達の大切な娘に変わりありません。

大好きだよ、珠央。
いつかまた、私のお腹に宿ってくれる日を待っているよ。ありがとう。
ママもパパも今日も生かされているよ。

プリン

2009-10-03 12:53:52 | 日記
この前…母が朝、私の所に来て突然
『珠央はプリンを食べたいのかな?プリンをストローで食べる夢を見たんよ』
と…。
その後、珠央にお線香をあげながら
『ばぁばがプリン買ってきてあげるからね♪』
母はいそいそ買い物へ出掛けていきました。
ママに似てプリン好きなのかな?

今日は、弟が
『赤ちゃんが中指を握って離さないんよ。痛いぐらい握っていた。』
と。地震があっても起きないような弟が^_^;赤ちゃんに起こされたと自分で起きてきました。
珠央は家族の所へ行ってはイタズラしているのかな?私やパパの所にもイタズラしにきてね(^^)
可愛い珠央のイタズラなら誰も怒らないよ(^-^)

夢でもいいから珠央に会いたいなぁ。
一緒にプリン食べたいね♪

誓い

2009-10-01 09:39:43 | Weblog
私は珠央が天使になったと知った時に
『珠央に恥じないよう母として生きよう』
と誓ったのに…すぐ気持ちが折れてしまいそうになります。

私は、強くなんかないんですよ。
きっと強くなんてなれない
…だからせめて
たくましくて優しい母親になりたいと思います。

何度、心が折れても立ち上がるたくましさを持ち、
無限の愛で包める人になれるように。

珠央、お空から見守っていてね。
ママ頑張るよ!!


今は珠央と実家にお世話になっているのですが
どんなに仕事が終わるのが遅くても珠央と私の所へ来てくれるパパ
感謝しています。
入院してから今日まで、まともに眠れた日はなかっただろうに…。
私の身体を気遣い、いつも手を握ってくれていました。
口数がすくないパパ、言葉はなくても握ってくれた手から優しさが伝わってきました。
パパも辛いのに涙を見せずいつも側にいてくれました。
パパの子供で珠央も幸せだね。
ありがとう。