HITO-OMOI(ひとおもい)

ひとを、ひととき、ひとへに想ふ短歌がメインのブログです。作歌歴約二十年、かつては相聞(恋歌)、現在は専ら雜詠です。

千鳥ヶ淵墓苑

2007-07-30 17:33:00 | 日記
ここは、以前から行きたいと考えていた場所でした。ウイークデイの熱い熱い昼下がり。仕事で都内に出かけたついでに立ち寄りました。内堀通りから少し入ったお濠端にある千鳥ヶ淵墓苑。

(皇族が立ち寄り安いように?)皇居の近くにあるのは何となくわかるけれど、靖国神社と近すぎる、あまりにも。色々と思惑を感じさせる距離ではないですか。(とはいえ、私は、まだ靖国神社には行ったことがないのです、いずれ一度は行きたいと考えてはいるものの、です。)

ここ、千鳥が淵墓苑は、想像以上に狭いところ。これでは国家的なイベントはなかなかやりずらいだろうな(と、余計な心配をしたりしてしまいます。)


海外地域の戦場で戦没した人々の遺骨のうち、遺族に渡せなかったものを、収めてある墓苑。いわば「無名戦士の墓」であり、現在、約35万柱の遺骨が納められているとか。

でも、この墓苑を「無名戦士の墓」的なものと性格づけすることは多くの人達からその必要性を認められながらも、諸般の事情から明確な形での『合意』に至らず、今日に及んでいる、とか。

それはさておき、蝉の鳴き声以外は、物音はほとんどしません。静謐。余計な玉砂利もないので、ほこりも立たない・・。うっすらと車の音が微かに彼方から聞こえてきます。でも、どちらからとはわからない・・。あげは蝶がゆっくり視界をよぎります。


猛暑の九段坂のだらだらを上ってきたあとだと、諸々の落差で、一瞬くらくらしてしてしまいました。

無宗教だからでしょうか、シンプルな建物の六角堂には、献花台があります。白の菊が9割、黄色の菊が1割備えてあって・・・やはり白の菊を手に取り、深々と一礼、黙祷。

といっても、格別なにかを具体的に祈ってるわけでもないのです。こうして生きていられることのありがたみを感じれば、自然と頭が下がるというのかな。

靖国にまつわる不毛にも思える論争や外圧を考えるだけで、たいていの国民はうんざりなのでしょう。事態を打開するには、議論で、政治的に解決すべきことが数多あるのでしょう。

でも、個人的には、ここ千鳥が淵で、鎮魂ができると感じます。

とはいえ、遺族は必ずしもそうではないのでしょう。靖国でなければならないと。それもわかる。

でも、神社で祀られることに異議を唱える遺族がいる。それもわかる。

むしろ、恐れるのは、戦争を経験している人々が日本の国からただひとりもいなくなって、そんな論争自体ができにくくなること。

必ずやってくるそんな時代に『開戦』の抑止力は如何に働くのだろうか、と父親が死んでから時々考えることがあります。


私の父は、マレーシア、タイに従軍していました。何年行っていたのでしょうか。晩年戦友達と共同して何冊かの戦記を同人誌的に発行しましたが、私はまだ読んだことがありません。彼らなりの鎮魂の方法であったのでしょう、それは反戦という以前の行為だと考えています。(決して貶めているのではありません。)


とまあ、思想的な言辞はこのサイトに似合わないので、もう辞めますかね。


敷地内には、昭和天皇と今上天皇が詠んだ歌碑がたっています、
昭和天皇「國のため命ささげし人々のことを思えば胸せまり来る」
今上天皇「戦なき世を歩みきて思ひ出ずかの難き日を生きし人々」

歌碑の横には解説文を付した碑が置いてありますが、ここの文字は全部ひらがなです。ひらがなだと、やさしすぎて、きれいごとに思えてしかたがなかったです。誰でも読めるようにとの配慮でしょうが・・

歌の評価はかるがるしくできないし、その能力もないのですが、あえていえば、「難き」は「かたき」であってはならないと感じました。


千鳥ヶ淵墓苑に漂ふアゲハチョウ羽根焦がしつつめざすは何処(いずこ)  ひでよ







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