野口英世の妻に関する書物を二冊借りて読んだ。(1992年と2004年刊行)著者(山本厚子)は彼女(メリー・ロレッタ・ダージス)のルーツまで辿り丹念に素顔を探り当てようとする。
だが、夫婦の生活ぶりも、寡婦となってからのメリーの様子も期待するほどは明らかにはならない。彼女と直接面識がある人はほぼ鬼籍に入っている。弟たちの消息も明らかではなかった。いかんせん時間が経ちすぎた。やむを得ないところだ。
だが、著者の労苦も報われたといえるだろう。というのも、一冊目の書物刊行後、メリーの名が刻まれた墓石が建立された。英世の隣に眠っていることが誰の目にもわかるようになったのだ。そこまでには様々な背景や経緯はあったのだろう。しかし時間はかかったが、何だかうれしいかった。
一般的な日本人の感覚からすると「悪妻」ともいえるメリーだが、英世のごとく型破りな人間にとっては、決して悪くない伴侶だったのではなかろうか。
終焉の地である西アフリカから英世はメリーに対して、26通の電報を打ち、手紙も出している。以前のラテンアメリカへの幾多の旅の時とはうって変わった筆まめさだ。
彼女への最後の手紙は野口英世記念館で公開されていた。便箋に書かれた文字はきれいな筆記体だ。
l did not any letters from you for many weeks とあるのが読める。
上記の手紙は英世の客死1月前のもの。英世のアフリカ滞在は7か月だ。文意からすると、メリーからの返信も何通かあったと読むべきだろう。
メリーからの返信は、電報が一通、ロックフェラー財団に保管されているだけだという。英世は保管していなかったのだろうか、そんなはずはない。きっと遺品とはみなされなかっただけなのだと思いたい。とても残念だ。
「墓碑銘(エピタフ)に刻まるる業(わざ)ゆめ英世ひとりのみにて成されざりしも(新作)」
だが、夫婦の生活ぶりも、寡婦となってからのメリーの様子も期待するほどは明らかにはならない。彼女と直接面識がある人はほぼ鬼籍に入っている。弟たちの消息も明らかではなかった。いかんせん時間が経ちすぎた。やむを得ないところだ。
だが、著者の労苦も報われたといえるだろう。というのも、一冊目の書物刊行後、メリーの名が刻まれた墓石が建立された。英世の隣に眠っていることが誰の目にもわかるようになったのだ。そこまでには様々な背景や経緯はあったのだろう。しかし時間はかかったが、何だかうれしいかった。
一般的な日本人の感覚からすると「悪妻」ともいえるメリーだが、英世のごとく型破りな人間にとっては、決して悪くない伴侶だったのではなかろうか。
終焉の地である西アフリカから英世はメリーに対して、26通の電報を打ち、手紙も出している。以前のラテンアメリカへの幾多の旅の時とはうって変わった筆まめさだ。
彼女への最後の手紙は野口英世記念館で公開されていた。便箋に書かれた文字はきれいな筆記体だ。
l did not any letters from you for many weeks とあるのが読める。
上記の手紙は英世の客死1月前のもの。英世のアフリカ滞在は7か月だ。文意からすると、メリーからの返信も何通かあったと読むべきだろう。
メリーからの返信は、電報が一通、ロックフェラー財団に保管されているだけだという。英世は保管していなかったのだろうか、そんなはずはない。きっと遺品とはみなされなかっただけなのだと思いたい。とても残念だ。
「墓碑銘(エピタフ)に刻まるる業(わざ)ゆめ英世ひとりのみにて成されざりしも(新作)」
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