たかちゃん、今週、手を離して一人で歩けるようになった。初めは1歩2歩と慎重だったけど、1日、2日、3日と時間がたつにつれ歩数も増え、長時間立っていられるようになってきた。
これでいたずらっこ度アップ。登れるところどこでも登りそう。
夜中、ママとパパが寝ている間に起きて歩きだして、夢遊病のようにならないように。
たかちゃん、今週、手を離して一人で歩けるようになった。初めは1歩2歩と慎重だったけど、1日、2日、3日と時間がたつにつれ歩数も増え、長時間立っていられるようになってきた。
これでいたずらっこ度アップ。登れるところどこでも登りそう。
夜中、ママとパパが寝ている間に起きて歩きだして、夢遊病のようにならないように。
地震から1週間。
今できることって何かなと。
計画停電は当たり前。
必要のないものは買わないことも。
被災者に不要な心の負担をかけることも。
ガソリンはそろそろ需給が緩むっていう話。
GWには明るい話題が聞きたいですね。
停電、夏ってどうなるんだろう。今は、そこまでみんな考えたくないんだろう。
この夏が正念場なんだろう。水が使えるんなら、水風呂とかプール行くしかない?
被災地には、早く仮設住宅作って。神戸地震のときの教訓を生かし、仮設の建設場所が、被災地から遠くにならないとか、地域がそのまま移れるように工夫しなくては。
1週間1週間たつうちに、被災者の欲しいものが変化することを考えて支援することが必要だっていうこと、みんな知っているよね。そろそろお風呂に入りたいって、そして、温かいご飯が食べたくなるって。そして娯楽が欲しくなるって。神戸にいたとき、避難所に石田ひかるが来て歌ってくれたの覚えている。みんな順番に写真撮って、被災者の人は、その写真ができたら届けてって。避難所も、1か月、2か月って経つうちに、仮設に移りたいって。
そして仮設に住んでいるうちに、本格的な震災復興住宅とかに住みたいって。だって、仮設はプライバシーがいまいちかもしれないし。
政府、自治体は、次の次の次を見ながら救援活動しないといけない。
1年でどこまで復興するか。2年でどこまで復興するか。神戸のときは「がんばれ神戸」って合言葉だった。「がんばれ東北」、「がんばれ東日本」。
地震が起きた。起きると分っていたけど、想像を絶する大きさだと思う。被災地の方々には、「生きる」ということを合言葉にして欲しい。「生きる」と思っていれば、前向きに生きることができると思う。
私も、今まで何度か「生きる」と思ったことがあった。16年前、神戸の避難所に1カ月ボランティアで暮らしたことがあり、その後、神戸の会社に就職した。地震直後は、「生きる」が合言葉だと思った。みんな必死に「生きる」ために、食糧の配給を待ち受け、ライフラインが整うのを待った。仮設住宅ができるまで、我慢することが多いかもしれなけれど、まずは「生きる」。できれば、楽しむことも必要。笑顔がないと、心がつらくなる。
高熱がでたときもよく「生きる」と思って生きてきた。1人で海外旅行している途中、生ものにあたり、言葉も通じないなか、39度以上の熱で数日寝込んだときも、ひたすら「生きる」と唱えながら過ごしたことがあった。とにかく「生きる」こと、そして笑顔がなくなることがないように。
今、自分ができる災害対応って何だろうと考えながら仕事をしている。
今週は東大和のスケート場へ
先生からスケート教えてもらう子供たちが大勢いたね。
マキティーも先生に教えてもらう?でももっともっと一生懸命練習しないと。