いするぎ便り

歴史を求めて季節を感じて…
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廻向寺<古梵鐘のいいつたえと金属供出>

2011-12-09 | 旅行

JR石動駅前から続く商店街。その商店街に軒を並べて山門を構える寺院があります。

文明三年(1471)、明心が開基した真宗大谷派の寺院、廻向寺です。

 

 廻向寺さんの本堂をお借りし、2010/9/28 に「 いするぎ寺子屋 vol.3」<出演:桜井亜木子・太田豊> を開催しました。

立派な本堂を駆け抜ける清冽な笛の音と響き渡る弦と撥、重厚な語り。奏でられる「平家物語」の世界にタイムスリップした瞬間でした。

                こちらもご覧下さい。→平家物語 巻七 倶利伽羅落<いするぎ寺子屋 vol.3 薩摩琵琶・楽琵琶の共演>

 

境内にある梵鐘にはこんないいつたえがあるそうです。

 『梵鐘の寄進者、綾子屋清左衛門にはひとり娘がいた。長わずらいで床についていた。ある日、京都より越中へ来た旅僧が倶利伽羅峠で娘に会った。娘は自分が廻向寺の前の綾子屋の娘で、これから西に行く。家の者に言わずに来たから、それを伝えてほしいと頼みそしてその証拠に片袖をちぎって旅僧に渡した。その片袖を持って旅僧は綾子屋の家を訪ね、そのことを話した。両親はびっくりして、娘の掛布団をまくって見たら、娘は死んでおり、着物の片袖がちぎりとられていた。娘の言った旅先とは西方浄土のことだったのである。清左衛門は娘の供養のため自分が門徒である島の乗永寺に梵鐘を寄進したが、乗永寺で撞く鐘の音は遠くて聞こえないので、家のすぐ前にある廻向寺に、同じ梵鐘を寄進した。』<「ふるさとガイド おやべ」小矢部市 より>

乗永寺の鐘楼堂は、蟇股に一向一揆の旗印である鶴丸紋がついた市内最古の鐘楼堂で小矢部市指定文化財になっています。

               こちらもご覧下さい。→乗永寺鐘楼堂<一向一揆 ―鶴丸紋―>

廻向寺の梵鐘

廻向寺の梵鐘に、ペンキで書かれた「富山県西砺波郡石動町 廻向寺 供出」の文字がありました。供出とは太平洋戦争時代に行われた金属供出のことです。一説によれば日本にある梵鐘の九割以上が対象になり失われたそうです。これにより小矢部市内にある多くの寺院も梵鐘を失いましたが、運良く返還された古梵鐘がいくつかの寺院に残されているそうです。以前ブログで紹介した勝興寺石動通坊の梵鐘にも「供出」の文字がペンキで書かれてありました。

               こちらもご覧下さい。→勝興寺石動通坊<歴史に幕を閉じる古刹> 

前田利家の弟、前田秀継(今石動城主前田利秀の父)の菩提寺・永傳寺に伝わる古文書「鋳鐘化緑帳」に、梵鐘を改鋳したさいの記述として「衆生の定業は滅しべからず。唯だ鐘音を聞くときはその苦暫く息む」と残されています。<参考文献「おやべ市の歴史と文化再見」小矢部郷土史読本より>世の無常を嘆き、鐘音に安らぎを求めた当時の人々の姿がうかがわれます。梵鐘は時を知らせるばかりではなく、鎮魂のため、不浄を清めるために撞かれてきたそうです。その梵鐘を戦争の兵器の資材として差し出すことになるとは…

 永傳寺には、享保16年(1731)鋳造の梵鐘が残っています。

               こちらもご覧下さい。→永傳寺<遊歩百選に選ばれた石仏の寺>

 

本日、初雪が降りました。

朝、稲葉山の頂上付近の赤く色づいた木々に、粉砂糖をふりかけたように白く積っていました。

 



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