ITネット社会の様相

オフィスヴォイスのコラムブログⅡです。

011 ネットは、リアルなコミュニケーションツール

2008年04月30日 | Weblog
 ネットワークの社会となると、見知らぬ人とも楽しく話せる能力が必要となる。それは単にスピーチをする力よりも、共にいることを楽しむ力が問われる。踊ったり音楽をすることでもよい。異なる人種、文化間でのコミュニケーションの場がいろんなところにできるからだ。
 ネットという新しい技術は、究極のところ、リアルなコミュニケーションツールである。これがビジネス社会に大きな影響を与えるというのは、これまで企業が見知らぬ人に商品を売るためにやってきた多くの方法の延長上に使えるからである。広告や販売促進をよりストレートに行なえるからである。人々が豊かになり、文化的なものを求めるにつれ、企業の活動はアーティックなものとなり、芸術活動と似てきた。
 世界中のどこの子供でも、コンピュータゲームを受け入れたということは、やはり昔、はじめてラジオやテレビがもちこまれたときと同じくらいの感動に値するのだと思う。だから、世の中が変わる。感動が変えるのである。
 子供たちがこういったツールを与えられることによって、おとぎ話の聴き手から、小さな芸術家もしくは、番組制作者になっていくだろう。昔、若者がエレキギター一本で文化をつくり出したように。そして、少し大きくなると、雑誌からビデオ番組まで、大人顔負けのレベルのものをどんどん、つくり出すようになろう。
 ゲーム制作でも、実際、若い人が全てをやっている。高校生でも相当なものをつくっている。これからは彼らのエネルギー、パワーがネットを媒介に爆発するだろう。

010 ネットは、人にやさしい

2008年04月28日 | Weblog
 入力方法も、キーボードやマウスから、指や鉛筆などを使えるように、人間に話しかけるのと同じように、ネットへ話しかけるようになるだろう。
 キーボードからの命令は、頭を必要とするのに対し、マウスで指さす方法は、二歳の子供でもできる。これが、ネットの優れた点である。思考は、具体的なものに触ったり動かすところから生まれる。道具を与えることだ。思考に散歩がよいのも、足と土(地面)との接触、そして、そのリズムに負うところが大きい。そこから、推論、思考、論理が出てくる。
 これからのネットを使った情報化社会では、私たちが考えているよりも、はるかに早くものごとが成し遂げられていく。今までのように、ものやサービスを扱うつもりで、タイムスケジュールを組んでいると確実に遅れをとる。サービスは、人と人が出会わなくてはできないし、ものは動かすのには相応の時間がかかる。リアルタイムでコミュニケーションできるのは、情報の交換つまり情報売買だけである。しかし、ネットにより、ものもサービスも限りなくリアルタイムに近く動かせるようになる。この新たなるネット情報感覚とでもいうべきものを、少しでも早く身につけておくことである。
 さらに、情報は不定形であり、その人によっていかなる形にも加工できる。ここにネット技術が加わることが大きな意義をもつことになる。情報はその人によって、宝にもゴミにもなる。この自由度の大きさはものやサービスの比ではない。これを突き詰めて考えていくと、ネット社会の本質が見えてくるのである。

009 ネットは新しい道具とルールをもたらす

2008年04月25日 | Weblog
 情報へのアクセスは、早く安くなれば、当然普及する。単にアクセスだけでなく、その他にも価値が生じるからだ。
 絵(画)を書くプログラムとともに描き方を教えることも同時に与えられる。
 映画、テレビ、雑誌、それぞれのメディアが形態によって、仕様ソフトのルールをつくってきた。映画の出てくる前の人は、今の映画をみて、すぐに意味が理解できない。これは、ルールがわからないからである。ネットにも新たなルールが定まってこよう。ハードでは、標準化、規格、ネットワークではマナー、権利に関しての見解が求められる。
 ネットは、新しい話題に関心をもたせ、方向づけして紹介するのに適している。ネットに触れることで、味わい、学び、創り出したくなる。創り出したくなれば、そのツールもある。そこが大切である。デジタル化され、ネット的操作環境が整ったことと、ユーザーがオーサリングソフトで、タイトルをつくり出せるようになったことに意味がある。ネットも劇場化(TVでいうと東芝日曜劇場)が必要である。そこに芸術、人文系の知見を導入することだ。
 従来のコンピュータは、平面的2次元的に処理しており、時間軸をもたないものだった。このデータとしての処理と、立体的に3次元に表現の領域に高めることとは次元が違う。
 たとえば、ストーリーボードは、視覚的に見せることができ、時間で展開していく。ネットも同じように、時間の操作が必要である。コンピュータがデータの保存量を問われるのに対して、ネットは、情報を見つけるのに使うともいえる。

008 実況中継のように世界中の人と語り合える

2008年04月23日 | Weblog
 ネットで何でも実況中継できるようになる。他のところで行なわれているイベントをどこの場所からも引き出せるようになる。サッカーの実況をみせるモニターがあり、サッカーファンが集まる店があるが、同じようなことが全てのイベントで行なわれ、それを見たい人の集まるサロンができてくるだろう。
 映像に限らず、メディアが生活を変えた例は多い。これは、街頭TVのプロレス中継、さらに日本人の家庭、茶の間に入っていた相撲や野球(プロ野球、高校野球)を考えてみれば、歴然であろう。その頃、テレビは最もホットなメディアであった。
 今までは、放映の権利、つまり番組にするものの選択や時間帯を決める権利をテレビ局が握っていた。しかし、これからは、多くの人が少数のファンに対しても情報を発信できるようになる。
 地球の裏側で行なわれた小さなライブを日本で見ることもできるだろう。しかも、自らカメラを通じて、そこへ参加できるようになる。すると、旅行やパーティも、実際に行かなくとも、そこに行っている人が実況中継のようにその模様を伝えることもできるようになろう。これまで出かけないとできなかったことが、どこでもいつでもできるようになる。
 世界各地にあるカフェ(映画館でもよいが)がネットワークでつながって、お互いにコーヒーを飲みながら語り合うこともできよう。世界のミュージシャンのセッションや、詩人などの朗読会などもできるだろう。東西夢の対決(対談、勝負)も多く行なわれ、もしかすると昔の人も映像でよみがえらせ、古今夢の対決も可能となろう。

007 ネットは時空の限りない旅となる

2008年04月21日 | Weblog
 活字メディアは空間的なもので制限されてきた。これがITと結びつくことで、好きなところから好きな順に自由に位置を変えて、接することができるようになる。今までは媒体という器で制限されたが、時間や空間で切られなくなるから、ネットへのアクセスは、果てのない旅のようになる。
 ファミコンソフト一つで何十時間も、この旅を楽しみ慣れてきた者が育っている。小説の大作さえあまり見たり読めなくなった私たちには、ネットは案外ときつい旅かもしれない。そこに旅のセットややり方を売るビジネスもでてくるだろう。添乗員付などというツアーもあろう。
 ネットでは、五感、さらにアーティストの作品のように、その奥にあるもの(六感、超能力、無意識など)にアプローチしていく。そこから人間に内在している深いものが表出してくるに違いない。人間の集合的無意識があり、これは極めて文化的なものだが、それを踏まえずに企画もビジネスも成り立たなくなっていくのかもしれない。
 発想や企画へのネットの利用は、天啓、インスピレーションを引き出す手段として多大な効果を期待できそうである。話したり、見たりする情報は、活字を介して伝えられていたが、ネットによって、再び、実体に近く伝わるようになり、五感が働くようになる。論理から感覚の世界へ回帰していく。左脳から右脳へ重点がうつる。ネットのもつ人間の感覚、知覚、情感への訴求力が、支配的となっていくだろう。

006 アナログからデジタル、そしてネットを感じなくなる

2008年04月18日 | Weblog
 音楽をつくるのに、すでにシンセサイザーやシーケンサーなどデジタルを使いつつあったが、CD、DAT、MDの登場で、制作からメディアまでデジタルになった。
 パソコンは、パンチカードから、ディスプレイがつき、数字、そしてアルファベットの表示となり、日本語にも対応するようになった。声もつき動画、三次元映像と、まさにマルチ化してきた。
 語り部の伝承が文字と紙の発明で記録化されるようになり、活版印刷の発明で、内容を大量に配布できるようになった。産業がシステム化されるために、紙というどこへでも届く媒体でのネットワーク化の実現が必要であったわけだ。
 そして、通信、映像、音響、さらに放送となり、アナログ全盛となった。それが今、ワープロとCDからデジタル化して一気にデジタル社会へ入ろうとしている。
 デジタルのなかでも、二次元から三次元の変化が行なわれている。これは奥行きを出すことでバーチャルリアリティとなる。大画面では、現実感が増大し、感情移入しやすくなる。人の働きかける力も大きい。
 私たちは、モニターでなく、情報の中味、番組をみている。画像と文字の伝達量は全く違う。どんな手紙よりも、一枚の写真、さらに数秒のビデオの方が早く正しく詳しくわかる。
 ネットが本当に役立つには、メディアや端末の壁をとることだ。人の意識と意識がダイレクトに結びつくようになることである。これに成功したから、電話、テレビは普及した。パソコンも、タイプからキーボードさらに、マウス画面タッチ、音声入力へ進んでいく。技術が間に見えなくなったとき、本当に新しいIT社会、そしてネット感覚が生じるだろう。

005 メディアを通して、バーチャルな空間ができる

2008年04月16日 | Weblog
 パソコンは映像、音がつき、テレビとも一体化し、インテリジェント化していく。ゲームは迫力ある大型化となる。これらは、統合されていく。映画も参加型、ボタンでストーリーをつくるようになるものも出てこよう。この融合化の動きはメーカーが過当競争して自らの首を占めるようになりかねない。映像、音楽のリソースは、ほとんどがアメリカにあるのも心配だ。
 360度の視野をもつと、打席のバッターや競馬のジョッキーと同じことを実感できる。ドラマの主人公を自分の顔と変えることもできるだろう。臨場感が高まる。
 このように、バーチャル(virtual)とは、「限りなく現実に近い。現実と等価の機能をもつ。」という意味。仮想、空想というよりも、もっと現実的な意味合いがある。

 メディア(=媒体、媒介またはその手段、もの)は、次のように使われる。
1.表現形態…文字、図形、音、動画
2.情報伝達手段…新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、手紙、電話、掲示板
3.情報ソフトのパッケージ…テープ、ディスク、CD、FD
4.情報伝達処理の経路、機器 通信、放送、コンピュータ

004 ネットワークでインタラクティブなメディアをもつ

2008年04月14日 | Weblog
 情報を伝えるだけでなく、やりとりを通しながら、目的を達成することに意味がある。
 知りたいことだけをすぐに詳しく(必要な分だけ)知ることができる。
 商品に関心をもった消費者は、その情報を画像で受けとれるばかりか、その商品の使用している場面も画像で見られるようになる。
 必要な情報をいつでもどこでも最も使いやすい形で使えるようにするためにネットワークで結ばれる。
 誰に聞いたらよいかわからないことを、ネットに書くと、全く知らない人たちから、返事がくる。精神的な励ましをもらうこともある。有名人がTVなどで発言すると、贈りものやレターが届くように、見知らぬ人が親切に助言してくれる。つまり、私たちはメディアを手に入れたのである。
 自分自身のメディアをもつことができれば、誰もが自分で放送局を開けるようになる。しかし、そのリスナーは自分の能力で集めなくてはいけない。成功するのは難しいが、自分の情報、表現を発信する生活を日常にシステム化することは大きな意味がある。本でも新聞でも発信できるメディアをもつことは大切であったが、今やそういう既存のものでなく、自身のメディアをもつことができるようになったのだ。

003 ネットの本質を探ろう

2008年04月11日 | Weblog
 ネットは、カテゴリーキラーであり、ものごとを再構成、融合しようと働く。
その主たる要素は、次の3つである。
1.デジタル(←アナログ)高品質、加工簡単、統合化
2.ネットワーク 早く、大量に、確実に(正確に)
3.インタラクティブ(双方向性)

 ネットはデジタル化によって、次のメリットが得られる。
1.均質化…信号を高水準で均質に底上げする
2.劣化防止…伝送、コピー、年月での劣化防止
3.検索が簡単
4.伝送の効率化(圧縮技術も使う)
5.信号の加工、変換が簡単
6.コストダウン
 これにより、ネットワークも広汎に可能となり、しかも、双方向通信、さらに一対多や多対多のコミュニケーションが可能となる。さらに、たとえばこれまでは、新聞記事とテレビの録画と写真、テープをまとめて整理することは難しかった。これをデジタル化すると、統合的に取り扱えるようになる。アナログは、再生装置の質で左右されるし、複写で質がおちるネットでは、音声のみならず、動画もつけられる。パソコンにBGMも画像もでてくる。

002 ネットは、ロックから始まった(2)

2008年04月09日 | Weblog
 アーティストが、作品をデリバリーするシステムとして使ったのがネットである。そう考えるならば、パソコンが生まれて、それが他のメディア(AudioやVTR)と融合して、ネットとなったから、そこにソフトや情報を入れるというのは、あまりにも日本らしい考え方である。ビデオやカメラ、MDはつくれても、世界に出せるソフトを全くつくれないという日本らしさに通じる。
 ナチスのメディア技術、ジョージ・オーウェルの「1984」の世界への対抗、それは、アップルのデビューCFが「…あなたは1984年がどうしてあの1984年でないのか知るでしょう」、あるいは、1984年東海岸のメディアラボ(マサチューサッツ工科大学)に対抗して、サンフランシスコの研究所をネットラボと名づけて、ネットの考え方とコンピュータを結びつけたことからわかる。
 インタラクティブということばも、学生運動の団交の討議形式、パネルディスカッション形式のシンポジウムなどにおいて使われていた。こういういきさつは、日本ではごく一部にしか紹介されていないが、原点から捉えることは、重要である。
 組織やシステムに任せると破滅する、これは、今、日本の中高年、これからの若い人には切実な問題となりつつある。それに対して、自分の能力を高め、世界とネットワークせよというツールがパソコンである。自分の力をつけるしかない、そのツールがネットである。