北アで行方不明の男性救助 18年ぶりに自力で下山
今朝 午前8時ごろ、北アルプス奥穂高岳(3190メートル)で
兵庫県芦屋市の無職多田忠助さん(67・当時)が自力で下山するのを
地元の猟師発見し、救助を要請した。
岐阜県警のヘリが多田さんを救助した。
多田さんは行方不明になった当時の姿のままだった。
多田さんは、18年間の1989年9月、奥穂高岳を登山中に行方不明になり
県警が捜索したものの発見に至らず、家族も死亡したものと考えていた。
搬送先の病院によると多田さんは健康状態も良好で
2~3日検査を受ければすぐに退院できると診断している。
しかし、多田さんが行方不明になった当時のままで
年をとってないなど不明な点が多く、再検査が必要とのこと。
警察の取調べに対して多田さんは
「(当時)道に迷い、夜になったので木陰でじっとしていた。
とても怖かったが、自生するキノコを食べて飢えを凌いでいたら
急に周りが明るくなり生きる勇気が芽生えてきた。
妖精に導かれて『彼ら』と一緒に暮らすようになった。
皆で一緒に踊ったり、大気圏の外から地球を眺めたりした。
まだ山に『仲間』が残っているので早く戻りたい」
と話しており、多田さんは奥穂高岳の何処かで
何者かと集団生活を送っていたのではないかと見て、取調べを進めている。
今朝 午前8時ごろ、北アルプス奥穂高岳(3190メートル)で
兵庫県芦屋市の無職多田忠助さん(67・当時)が自力で下山するのを
地元の猟師発見し、救助を要請した。
岐阜県警のヘリが多田さんを救助した。
多田さんは行方不明になった当時の姿のままだった。
多田さんは、18年間の1989年9月、奥穂高岳を登山中に行方不明になり
県警が捜索したものの発見に至らず、家族も死亡したものと考えていた。
搬送先の病院によると多田さんは健康状態も良好で
2~3日検査を受ければすぐに退院できると診断している。
しかし、多田さんが行方不明になった当時のままで
年をとってないなど不明な点が多く、再検査が必要とのこと。
警察の取調べに対して多田さんは
「(当時)道に迷い、夜になったので木陰でじっとしていた。
とても怖かったが、自生するキノコを食べて飢えを凌いでいたら
急に周りが明るくなり生きる勇気が芽生えてきた。
妖精に導かれて『彼ら』と一緒に暮らすようになった。
皆で一緒に踊ったり、大気圏の外から地球を眺めたりした。
まだ山に『仲間』が残っているので早く戻りたい」
と話しており、多田さんは奥穂高岳の何処かで
何者かと集団生活を送っていたのではないかと見て、取調べを進めている。