大徳寺の朱塗りの山門(「金毛閣」、高さ17m)は、千利休が豊臣秀吉に切腹を命じられるきっかけになったことでも知られます。
その北側に仏殿・法堂・方丈などが続く大徳寺本山の壮麗な伽藍は、通常非公開です。
境内にはその他に、2つの別院と22の塔頭(たっちゅう。付属の寺院)が立ち並び、お寺の集合体を形作っています。
塔頭の間の石畳の通路は、時代劇のロケができそうな雰囲気です。
秋の特別公開が始まった塔頭もあり、気持ちのよい秋晴れに誘われて出かけてみました。
大徳寺の知られざる物語に、たくさん出会えた気がします。
【龍源院】
本堂は、室町時代の禅宗方丈建築の貴重な遺構です。
方丈の南庭と東の坪庭(「東滴壺」)は、昭和期に作られたモダンな石庭です。
坪庭で生まれた水滴が集まって、大海(南庭)に流れていく…という風にも見えます。
【黄梅院】
門を入ると、一面の苔に覆われたモミジ林。
ちょうどエナガの群れが来ていて、にぎやかにさえずりながら枝の間を飛び回っていました。
それより先の境内は撮影禁止のため、写真で紹介することができないのが残念。
重要文化財の本堂、千利休が作った苔一面の枯山水庭園、本堂を囲む3種の石庭、いくつものお茶室。
禅宗寺院で現存する最古のものという庫裏では、かつて70人の修行僧の食事が調理されていたとか…。
見どころ満載のお寺でした。
紅葉の季節の見事さが想像できますが、ほとんど来訪者がいない時期に、職員の方の丁寧な説明を受けながら緑や小鳥たちに癒されながら拝観するのも、いいものです。
【興臨院】
門や方丈は重要文化財。
資料を基に復元された石庭から、禅宗らしい花頭窓が見えます。
【総見院】
茶花として名高い侘助(わびすけ)椿の原種が、大切に守られています。
豊臣秀吉が千利休から譲られた木を植えたもの、と伝えられているそうです(樹齢400年以上)。
本堂の前の「茶筅塚」。茶筅型の花入れと、お茶碗型の水入れ。
織田信長一族の「お墓」が並んでいます。
実際には供養塔で、左から三番目が信長の五輪塔、それ以外は信長の息子たちと孫のもの。少し離れて正室濃姫の五輪塔もあります。
遠くに比叡山の頂が見えます。
このお寺は、本能寺の変で亡くなった信長の一周忌を追善供養するために、天正11年(1538)に秀吉が創建しました。
江戸時代が終わるまで広大な敷地に豪壮な堂塔が並び、隆盛を誇っていたそうですが、明治初年の廃仏毀釈で総見院は灰燼と化します。
現在公開されている寺宝の織田信長木像(創建時に製作。重要文化財)は、その時に難を逃れて本山に預けられたそうです。
このお寺は大正年間に再興されますが、木像が帰ってくるのは信長の380年忌に当る昭和36年(1961)だったということです。
木像の眼光鋭い目は、近世・近代の日本仏教史をどう見てきたのでしょう。
(「織田信長公木像」総見院のパンフレットより)
〔投稿:SI〕