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高砂

2020-05-12 17:28:20 | 詞章
『高砂』 Bingにて 高砂 竹サポ 能を で検索を推奨。
※「:」は、節を表す記号の代用。
※[]は、ここでの読みがな、その他の補足。

【友成、従者の登場】
ワキ、ワキヅレ:いまをはじめの
  旅衣(たびごろも)、
  いまをはじめの旅衣、
  日も行末ぞ久しき
ワキ「そもそもこれは九州(きうしう)
  肥後の国、
  阿蘇の宮の神主
  友成(ともなり)とはわがことなり、
  われいまだ都を見ず候ふほどに、
  このたび思ひ立ち都に上(のぼ)り候、
  またよきついでなれば、
  播州(ばんしう)高砂の浦をも
  一見(いっけん)せばやと存じ候
ワキ、ワキヅレ:旅衣、
  末はるばるの都路(みやこじ)を、
  末はるばるの都路を、
  今日思ひ立つ浦の波、
  船路のどけき春風の、
  幾日(いくか)来ぬらん
  跡末(あとすえ)も、
  いさ白雲のはるばると、
  さしも思ひし播磨潟(はりまがた)、
  高砂の浦に着きにけり、
  高砂の浦に着きにけり
ワキ「急ぎ候ふほどに、
  播州高砂の浦に着きて候、
  しばらくこの所にあい待ち、
  所の様(よう)をも尋ねばやと存じ候
ワキヅレ「もっとも、しかるべう候

【尉、姥の登場】
シテ、ツレ:高砂の、
  松の春風吹き暮れて、
  尾上(おのえ)の鐘も響くなり
ツレ:波は霞の磯隠れ
シテ、ツレ:音こそ潮の満ち干[ひ]なれ
シテ:誰(たれ)をかも
  知る人にせん高砂の、
  松も昔の友ならで
シテ、ツレ:過ぎ来(こ)し
  世々(よよ)は白雪の、
  積もり積もりて老いの鶴の、
  ねぐらに残る有明けの、
  春の霜夜の起居(おきい)にも、
  松風をのみ聞きなれて、
  心を友と菅筵(すがむしろ)の、
  思ひを述ぶるばかりなり
シテ、ツレ:訪れは、
  松に言問(ことと)ふ浦風の、
  落葉衣(おちばごろも)の袖添へて、
  木蔭の塵を掻(か)かうよ、
  木蔭の塵を掻かうよ
シテ、ツレ:所は高砂の、
  所は高砂の、
  尾上(おのえ)の松も年古(ふ)りて、
  老いの波も寄り来るや、
  木(こ)の下蔭の落葉かく、
  なるまで命長らへて、
  なほいつまでか生(いき)の松、
  それも久しき名所かな、
  それも久しき名所かな

【尉、姥、友成の応対】
ワキ「里人をあひ待つところに
  老人夫婦来たれり、
  いかにこれなる老人に
  尋ぬべきことの候
シテ「こなたのことにて候ふか、
  なにごとにて候ふぞ
ワキ「高砂の松とは
  いづれの木を申し候ふぞ
シテ「ただいま木蔭を清め候ふこそ、
  高砂の松にて候へ
ワキ「高砂住(すみ)の江の松に
  相生(あいおい)の名あり、
  当所(とうしょ)と住吉とは
  国を隔てたるに、
  なにとて相生の松とは
  申し候ふぞ
シテ「仰せのごとく
  古今(こきん)の序に、
  高砂住の江の松も
  相生のやうにおぼえとあり、
  さりながら
  この尉(じょう)は津の国住吉の者、
  これなる姥こそ当所の人なれ、
  知ることあらば申さたまへ
ワキ:不思議や見れば老人の、
  夫婦一所(いっしょ)にありながら、
  遠き住の江高砂の、
  浦山国を隔てて住むと、
  言ふはいかなることやらん
ツレ:うたての仰せ候(ぞうろ)ふや、
  山川(さんせん)万里(ばんり)を
  隔つれども、
  たがひに通ふ心遣ひの、
  妹背(いもせ)の道は遠からず
シテ「まず案じてもご覧ぜよ
シテ、ツレ:高砂住の江の、
  松は非情のものだにも、
  相生の名はあるぞかし、
  ましてや生(しょう)ある人として、
  年久しくも住吉より、
  通ひなれたる
  尉(じょう)と姥(うば)は、
  松もろともにこの年まで、
  相生の夫婦となるものを
ワキ:謂はれを聞けば面白や、
  さてさて先に聞こえつる、
  相生の松の物語を、
  所に言ひおく謂はれはなきか
シテ「昔の人の申ししは、
  これはめでたき世のためしなり
ツレ:高砂といふは上代(じょうだい)の、
  万葉集(まんにょうしう)の
  いにしへの義
シテ「住吉と申すは、
  いまこの御代(みよ)に住みたまふ
  延喜(えんぎ)のおんこと
ツレ:松とは尽きぬ言(こと)の葉の
シテ「栄えは古今(ここん)あひ同じと
シテ、ツレ:御代(みよ)を
  崇(あが)むるたとへなり
ワキ:よくよく聞けばありがたや、
  いまこそ不審春の日の
シテ:光やはらぐ西の海の
ワキ:かしこは住の江
シテ:ここは高砂
ワキ:松も色添ひ
シテ:春も
ワキ:のどかに
地:四海(しかい)波静かにて、
  国も治まる時つ風、
  枝を鳴らさぬ御代(みよ)なれや、
  逢ひに相生の、
  松こそめでたかりけれ、
  げにや仰ぎても、
  ことも愚かやかかる世に、
  住める民とて豊かなる、
  君の恵みぞありがたき、
  君の恵みぞありがたき

【尉の物語】
ワキ「なほなほ高砂の松の
  めでたき謂はれ
  くはしくおん物語り候へ
地:それ草木(そうもく)
  心なしとは申せども
  花実(かじつ)の時をたがへず、
  陽春の徳をそなへて
  南枝(なんし)花はじめて開く
シテ:しかれどもこの松は、
  その気色(けしき)
  とこしなへにして
  花葉(かよう)時を分かず
地:四つの時至りても、
  一千年(いっせんねん)の色
  雪のうちに深く、
  または松花(しょうか)の色
  十廻(とかえ)りとも言へり
シテ:かかるたよりを松が枝の
地:言(こと)の葉草(はぐさ)の露の玉、
  心をみがく種(たね)となりて
シテ:生きとし生けるものごとに
地:敷島(しきしま)の蔭に寄るとかや
地:しかるに
  長能(ちょうのう)が言葉にも、
  有情(うじょう)非情のその声、
  みな歌にもるることなし、
  草木(そうもく)土砂(どしゃ)、
  風声(ふうせい)水音(すいおん)まで、
  万物(ばんぶつ)の籠(こ)もる心あり、
  春の林の、
  東風(とうふう)に動き秋の虫の、
  北露(ほくろ)に鳴くも、
  みな和歌の姿ならずや、
  なかにもこの松は、
  万木(ばんぼく)にすぐれて、
  十八公(しうはっこう)のよそほひ、
  千秋(せんしう)の緑をなして、
  古今(ここん)の色を見ず、
  始皇(しこう)のおん爵(しゃく)に、
  あづかるほどの木なりとて、
  異国にも本朝にも、
  万民これを賞翫(しょうかん)す
シテ:高砂の、
  尾上の鐘の音すなり
地:暁かけて、
  霜は置けども松が枝の、
  葉色は同じ深緑、
  立ち寄る蔭の朝夕に、
  掻けども落葉の尽きせぬは、
  まことなり松の葉の、
  散り失せずして色はなほ、
  真拆(まさき)の葛(かずら)長き世の、
  たとへなりける常磐木(ときわぎ)の、
  なかにも名は高砂の、
  末代のためしにも、
  相生の松ぞめでたき

【尉、姥の中入】
地:げに名を得たる松が枝の、
  げに名を得たる松が枝の、
  老木(おいき)の昔あらはして、
  その名を名乗りたまへや
シテ、ツレ:いまは何をか包むべき、
  これは高砂住の江の、
  相生の松の精、
  夫婦と現(げん)じ来たりたり
地:不思議や
  さては名所(などころ)の、
  松の奇特(きどく)を現はして
シテ、ツレ:草木(そうもく)
  心なけれども
地:かしこき代とて
シテ、ツレ:土も木も
地:わが大君(おおきみ)の国なれば、
  いつまでも君が代に、
  住吉にまづ行きて、
  あれにて待ち申さんと、
  夕波の汀(みぎわ)なる、
  海士(あま)の小舟(おぶね)に
  うち乗りて、
  追ひ風にまかせつつ、
  沖の方(かた)に出でにけりや、
  沖の方に出でにけり

(間の段)【浦の者の物語】
(浦の者が相生の松の謂れなどを語り、
その尉は住吉明神であると告げる)

【友成一行の道行】
ワキ、ワキヅレ:高砂や、
  この浦舟(うらぶね)に帆をあげて、
  この浦舟に帆をあげて、
  月もろともに出潮(いでしお)の、
  波の淡路の島影や、
  遠く鳴尾(なるお)の沖過ぎて、
  はや住の江に着きにけり、
  はや住の江に着きにけり

【住吉明神の登場】
シテ:われ見ても
  久しくなりぬ住吉の、
  岸の姫松幾世(いくよ)経ぬらん、
  睦ましと君は知らずや
  瑞牆(みずがき)の、
  久しき代々の神神楽(かみかぐら)、
  夜(よる)の鼓の拍子を揃へて、
  すずしめたまへ宮つ子たち

【住吉明神の舞】
地:西の海、
  檍(あおき)が原の波間より
シテ:現はれ出でし
  神松(かみまつ)の
シテ:春なれや、
  残(のこ)んの雪の
  浅香潟(あさかがた)
地:玉藻(たまも)刈るなる岸蔭の
シテ:松根(しょうこん)に倚(よ)って
  腰を摩(す)れば
地:千年(せんねん)の翠(みどり)
  手に満てり
シテ:梅花(ばいか)を折って
  頭(こうべ)に挿(さ)せば
地:二月(じげつ)の雪衣に落つ

《神舞》

【終曲】
地:ありがたの影向(ようごう)や、
  ありがたの影向や、
  月住吉の神遊び、
  み影を拝むあらたさよ
シテ:げにさまざまの舞姫(まいびめ)の、
  声も澄むなり住の江の、
  松影も映るなる、
  青海波(せいがいは)とは
  これやらん
地:神と君との道すぐに、
  都の春に行くべくは
シテ:それぞ還城楽(げんじょうらく)の舞
地:さて万歳(ばんぜい)の
シテ:小忌衣(おみごろも)
地:さす腕(かいな)には、
  悪魔を払ひ、
  収むる手には、
  寿福(じゅふく)を抱き、
  千秋楽(せんしうらく)は
  民を撫(な)で、
  万歳楽(まんざいらく)には
  命を延(の)ぶ、
  相生の松風、
  颯々(さっさっ)の声ぞ楽しむ、
  颯々の声ぞ楽しむ

※出典『能を読むⅡ』(本書は観世流を採用)


葵上

2020-05-12 15:14:07 | 詞章
『葵上』 Bingにて 葵上 竹サポ 能を で検索を推奨。
※「:」は、節を表す記号の代用。
※[]は、ここでの読みがな、その他の補足。

【朝臣の登場】
ワキヅレ「これは朱雀院(しゅじゃくいん)に
  仕へたてまつる臣下(しんか)なり、
  さても左大臣のおん息女、
  葵の上のおん物(もの)の怪(け)、
  もってのほかに御座候ふほどに、
  貴僧高僧を請じ申され、
  大法(だいほう)秘法医療さまざまの、
  おんことにて候へども、
  さらにその験(しるし)なし、
  ここに照日の巫女とて
  隠れなき梓(あずさ)の上手の
  候ふを召して、
  生霊(いきりょう)死霊(しりょう)の
  あひだを、
  梓に掛けさせ申せとの
  おんことにて候ふほどに、
  このよし申しつけばやと存じ候、
  やがて梓におん掛け候へ

【照日の巫女の呪文】
ツレ:天清浄(しょうじょう)
  地(じ)清浄(しょうじょう)、
  内外(ないげ)清浄(しょうじょう)
  六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)
ツレ:寄り人は、
  いまぞ寄りくる長浜の、
  蘆毛(あしげ)の駒に、
  手綱(たづな)揺りかけ

【六条御息所の登場】
シテ:三つの車に法(のり)の道、
  火宅の門(かど)をや出でぬらん、
  夕顔の宿(やど)の破れ車(ぐるま)、
  やる方なきこそ悲しけれ
シテ:憂き世は牛の小車(おぐるま)の、
  憂き世は牛の小車の、
  廻るや報ひなるらん
シテ:およそ輪廻(りんね)は
  車の輪のごとく、
  六趣(ろくしゅ)四生(ししょう)を
  出でやらず、
  人間の不定(ふじょう)芭蕉
  泡沫(ほうまつ)の世のならひ、
  昨日の花は今日の夢と、
  驚かぬこそ愚かなれ、
  身の憂きに人の恨みのなほ添ひて、
  忘れもやらぬわが思ひ、
  せめてやしばし慰むと、
  梓の弓に怨霊の、
  これまで現はれ出でたるなり
シテ:あら恥づかしやいまとても、
  忍び車のわが姿
シテ:月をば眺め明かすとも、
  月をば眺め明かすとも、
  月には見えじかげろふの、
  梓の弓の末弭(うらはず)に、
  立ち寄り憂きを語らん、
  立ち寄り憂きを語らん

【御息所の独白、巫女と朝臣の応対】
シテ:梓の弓の音はいづくぞ、
  梓の弓の音はいづくぞ
ツレ:東屋(あずまや)の、
  母屋(もや)の妻戸(つまど)に
  居たれども
シテ:姿なければ、問ふ人もなし
ツレ:不思議やな、
  誰(たれ)とも見えぬ
  上臈(じょうろう)の、
  破(やぶ)れ車(ぐるま)に
  召されたるに、
  青女房(あおにょうぼう)と
  思(おぼ)しき人の、
  牛もなき車の轅(ながえ)に取りつき、
  さめざめと泣きたまふいたはしさよ
ツレ「もしかやうの人にてもや候ふらん
ワキヅレ「大方は推量申して候、
  ただ包まず名をおん名乗り候へ

【御息所の述懐】
シテ:それ娑婆(しゃば)
  電光(でんこう)の境には、
  恨むべき人もなく、
  悲しむべき身もあらざるに、
  いつさて浮かれそめつらん
シテ:ただいま梓の弓の音に、
  引かれて現はれ出でたるをば、
  いかなる者とか思し召す、
  これは六条の御息所の怨霊なり、
  われ世にありしいにしへは、
  雲上(うんしょう)の花の宴、
  春の朝(あした)の
  御遊(ぎょいう)に慣れ、
  仙洞(せんとう)の紅葉(もみじ)の
  秋の夜は、
  月に戯れ色香に染(そ)み、
  花やかなりし身なれども、
  衰へぬれば朝顔の、
  日影待つ間(ま)のありさまなり、
  ただいつとなきわが心、
  もの憂き野辺の早蕨(さわらび)の、
  萌え出でそめし思ひの露、
  かかる恨みを晴らさんとて、
  これまで現はれ出でたるなり
地:思ひ知らずや世の中の、
  情けは人のためならず
地:われ人のためつらければ、
  われ人のためつらければ、
  必ず身にも報ふなり、
  何を歎くぞ葛(くず)の葉の、
  恨みはさらに尽きすまじ、
  恨みはさらに尽きすまじ

【御息所の立働き】
シテ:あら恨めしや
  「いまは打たでは叶ひ候ふまじ
ツレ:あらあさましや六条の、
  御息所(みやすどころ)ほどのおん身にて、
  後妻(うわなり)打(う)ちのおんふるまひ、
  いかでさることの候ふべき、
  ただ思し召し止まりたまへ
シテ「いやいかに言ふとも、
  いまは打たでは叶ふまじと、
  枕に立ち寄りちやうと打てば
ツレ:この上はとて立ち寄りて、
  わらはは後(あと)にて苦を見する
シテ:いまの恨みはありし報ひ
ツレ:瞋恚(しんに)の炎(ほむら)は
シテ:身を焦がす
ツレ:思ひ知らずや
シテ:思ひ知れ
地:恨めしの心や、
  あら恨めしの心や、
  人の恨みの深くして、
  憂き音(ね)に泣かせたまふとも、
  生きてこの世にましまさば、
  水暗き、
  沢辺の蛍の影よりも、
  光る君(きみ)とぞ契らん
シテ:わらはは蓬生(よもぎう)の
地:もとあらざらし身となりて、
  葉末(はずえ)の露と消えもせば、
  それさへことに恨めしや、
  夢にだに、
  返らぬものをわが契り、
  昔語りになりぬれば、
  なほも思ひは真澄鏡(ますかがみ)、
  その面影も恥づかしや、
  枕に立てる破(や)れ車、
  うち乗せ隠れ行かうよ、
  うち乗せ隠れ行かうよ

《物着》

【小聖の登場】
ワキヅレ「いかに誰(たれ)かある
アイ「おん前に候
ワキヅレ「葵の上のおん物の怪、
  いよいよもってのほかに
  御座候ふほどに、
  横川(よかわ)の小聖(こひじり)を
  請じて来たり候へ
アイ「かしこまって候、
  さてもさても葵上のおん物の怪、
  一段のことと承はり候ふところに、
  もってのほかなるよし
  仰せ出だされて候、
  それにつき横川へ参り、
  小聖を請じて来たれとの
  おんことにて候、
  急いで参らばやと存ずる
    いかにこの内へ案内申し候
ワキ:九識(くしき)の窓の前、
  十乗(じうじょう)の床(ゆか)の
  ほとりに、
  瑜伽(ゆが)の法水(ほっすい)を
  たたへ
  「三密(さんみつ)の月を
  澄ますところに、
  案内(あんない)申さんとは
  いかなる者ぞ
アイ「大臣(おとど)よりの
  おん使に参りて候、
  葵上のおん物の怪
  もってのほかに御座候ふあひだ、
  急いでおん出であって
  加持(かじ)してたまはれとの
  おん使にて候
ワキ「このあひだは
  別行(べつぎょう)の子細あって、
  いづかたへもまかり出でず候へども、
  大臣よりの
  おん使と候(ぞうろ)ふほどに、
  やがて参らうずるにて候
アイ「さあらばお先へ参ろうずるにて候

【朝臣、小聖の応対】
アイ「いかに申し候、
  小聖を請じて参りて候
ワキヅレ「ただいまの
  おん出でご大儀にて候
ワキ「承はり候、
  さて病人はいづくに御座候ふぞ
ワキヅレ「あれなる大床(おおゆか)に
  御座候
ワキ「さらばやがて加持(かじ)し
  申さうずるにて候
ワキヅレ「もっともにて候

【小聖、御息所の立働き】
ワキ:行者は加持に参らんと、
  役(えん)の行者(ぎょうじゃ)の
  跡を継ぎ、
  胎金(たいこん)両部(りょうぶ)の
  峰を分け、
  七宝(しっぽう)の露を払ひし
  篠懸(すずかけ)に
  「不浄を隔つる
  忍辱(にんにく)の袈裟(けさ)、
  赤木(あかぎ)の数珠(じゅず)の
  いらたかを、
  さらりさらりと押し揉んで
  :一祈(ひといの)りこそ祈ったれ、
  なまくさまんだばさらだ

《祈り》

【小聖、御息所の立働き】
シテ:いかに行者
  はや帰りたまへ、
  帰らで不覚したまふなよ
ワキ:たとひいかなる悪霊なりとも、
  行者の法力(ほうりき)
  尽くべきかと、
  かさねて数珠を押し揉んで
地:東方(とうほう)に
  降三世(ごうざんぜ)明王(みょうおう)
シテ:南方(なんぽう)
  軍荼利(ぐんだり)夜叉(やしゃ)
地:西方大威徳(だいいとく)
  明王(みょうおう)
シテ:北方金剛(こんごう)
地:夜叉明王
シテ:中央大聖(だいしょう)
地:不動明王、
  なまくさまんだばさらだ、
  せんだまかろしやな、
  そわたやうんたらたかんまん、
  聴我(ちょうが)説者(せっしゃ)
  得大智慧(とくだいちえ)、
  知我(ちが)心者(しんしゃ)
  即身成仏(そくしんじょうぶつ)
シテ:あらあら恐ろしの、
  般若声(はんにゃごえ)や、
  [地:]これまでぞ怨霊、
  こののちまたも来たるまじ

【終曲】
地:読誦(どくじゅ)の声を聞くときは、
  読誦の声を聞くときは、
  悪鬼(あっき)心を和らげ、
  忍辱(にんにく)慈悲(じひ)の姿にて、
  菩薩もここに来迎(らいこう)す、
  成仏(じょうぶつ)得脱(とくだつ)の、
  身となり行くぞありがたき、
  身となり行くぞありがたき

※出典『能を読むⅠ』(本書は観世流を採用)