ひとりごと

30台後半が勉強したことを、とりとめなく、さらしていきます。

生き残れ

2010-05-20 | 日記
NHKの某番組の話。

スチールカメラマンのセリフ
「最近は機械の性能の向上で、ムービーから瞬間を抜き出せば、そのままスチールができるようになり、結果としてムービーカメラマンによって、スチールカメラマンが駆逐されてしまうことを恐れている
というのがあった。

で、自分の可能性を広げるため、休みの日に、「自分しか取れない写真」を求めて悪戦苦闘しているという様が取材されていた。

最後のオチのほうに、ムービーカメラマンも同じことに挑戦していて成功したから、スチールカメラマンとしてはなんじゃそりゃみたいなところもあったかもしれないけど…。
生き残るために、新しいことを求めるということ、それができるなら、現実にスチールカメラマンが滅亡しても、その人はなんとか生きていけるだろう。

10年後の、自分の仕事が同じようにあるだろうか。
技術や時代の流れに取り残されていないか。
今を生き残ることに精いっぱいになりすぎていないか。

宮崎県知事

2010-05-20 | 日記
知事対マスコミ。

いまさら?公開するのを忘れてたんだ(笑)

毎度って言ったら変だけど、マスコミの質問に激高する人も多いよね。
まぁ、マスコミの質問も、「自分たちが書きやすい、庶民にウケやすいストーリー」に誘導している様が丸わかりで、どうだと思うんだけど。
最近は、ネットとかで、マスコミ自身が非難を浴びるようになって、テレビがメインの時代よりは、マスコミもおとなしくなったと聞くけど。

今回も、マスコミは「初動の遅れ」「事態認識の甘さ」「行政の怠慢」が奥にあることが前提で質問している。
まぁ、そういったものは程度問題なので、あると言えばあるし、ないと言えばない。
例えば、パロマの給湯機や、トヨタのブレーキの話でも、そりゃあ、悪くないと言ったら、悪くないんだけど、自分達が悪いだろうって思って質問している連中に、自分達が悪くない前提で話す(あるいはその態度をとる)というのは、議論の戦術としては間違っている。

なぜ早く処分しないんだとか詰め寄った記者に、
知事は、費用及び土地、獣医・労働力の問題、また農家の心情を考えると、国や農家とも協議しながら進めなければならないからそう簡単じゃないんだ、と、多少、興奮しながら話す。

言われれば、その通りだ。
処分や埋め立てなんて、決定は知事ができるかもしれないけど、国の協力がなければ実行は不可能だ。
処分といっても、すぐ動けるわけじゃない。お金だって、宮崎は、下手をすれば破産するレベルだろう。民主主義の世界では、個人の所有財産を強制的に排除するのはパンデミックの最中といえども簡単じゃないのだ。

その上で、知事は、すぐできることと、やらなければいけないことってのは分けて説明するべきだったとは思うけど、説明があった上でも、あくまでも自分
のストーリー展開の「役者」を要求するマスゴミというのも、いかがなものか。

ちなみに、もうやめちゃった農相は救いようがない。
なにをやってないのか指摘しろというと、そういうヒトはいないんだよね、とか、早く全部殺しちゃえばいいのに、とか、もう、どうしようもない。

聞けば、前回の、少ない発生時の時のほうが農相(農水省含む)の方が、対応も早く、徹底的だったという。
ようは、「何をしているしていない」とかそんなんじゃなく、「レベルが低い」ってことだね。

どうでもいいけど、穴掘ってブルーシートをしいて、石灰をまいて、家畜を埋めるってのはいいんだけど、何十年後、それはどうなるんだろう…って心配してしまう。

教育と免許

2010-05-18 | 日記
「議論の前に抑えるべきポイント」メモからすごい勢いで離れている。

今回は、許認可制、免許性についてだ。

こういったものにはいくつか種類があるらしいが、今回はそういうのはなし。
今回は、そういった人たちの「利権」を考えることにしよう。

実のところ、わたしの顧客には医療関係者が多い。
医者も薬剤師もいる。
そういうやからと話をするために、医療関係の雑誌も読む。その中に、日経DIという、薬剤師向けの本がある。それは薬局経営者から下っ端の薬剤師まで読むもので、結構、幅が広いのだ。
その記事の中で、薬剤師の処方箋枚数の40枚制限の撤廃を論じる記事があった。

要するに、日本の薬剤師というのは、一日に対応する仕事量に、お上から制限がある。薬剤師の収入は、結局は、処方箋をどれだけ裁いたかによるから、薬剤師の収入というのは、限界が決められているのだ。
こういう規制があるべきか、ないべきか、というのは、両論があるのはわかるだろう。制限されてる病院や薬局等の、経営者側にとってはこんな邪魔なものはない。一方、薬剤師から見れば、現実、仕事の質を維持しようと思えばこのあたりが限界に近いし、経営者側が儲けを求めて、やたらと薬剤師の数を減らすということは目に見えている、と。

ちなみに、一部の外国では、医者にも患者数のリミットが決められているところもあるらしい。
医療業というのは、基本的に、独占資格で競合相手も限られているんだけど、そのための規制も多いのだ。
もちろん、規制される側ってのはいつも気に食わないものだ。例えば、フランスでは、医者ってのはかなり役割分担が決められていて、(緊急か外来かとか、○○科とか)日本の医療関係者からみれば、医者に職業選択の自由はないのかよ、と突っ込みたくなるだろう。
一方、アメリカなんかは混合診療で儲けをしようと思えばできるから、(儲けたい医者、病院経営者にとっては)うらやましいだろうね。

本来は、免許っていうのは、一定の知識と能力を身につけているから、「それ」をやってもOKよ、というものだ。
自動車免許を考えて見れば、別に、その免許を使おうがどうしようが、そしてその免許を仕事に使っても使わなくても、どうということはない。

しかし、その免許のみで生計を立て始めるものが出始めると、状況は一変する。
それはすぐに既得権になり、持ってないものからすれば、はっきり言えば邪魔だ。
また、既得権が飽和し、その中のものの生計が立てられなくなれば、新しく資格を取るものを厳しくしろというし、逆に、その資格の中の業務の制限を撤廃しろという。

昔、種苗法ができた時、新しい種苗として申請する代理人の業種は誰になるのかってくっだらねー戦いがあった。
特許・意匠・商標は、弁理士って職業があるんだけど、当然、種苗法ができた時は、弁理士は自分たちだって言い、仕事量が先細り気味な行政書士は、これは行政書士の仕事と言い張った。
また、弁理士は、特許に係る訴訟は弁理士によこせというし、弁護士は、訴訟は弁護士のみの専有だという。
医療でも、看護士が調剤権をよこせと言ってたっけ。

まぁ、ここで言いたいことは、免許所有者の権利というか、生活というか、既得権のバランスと、それ以外の人の利益のバランスをどう取るかって話なんだけどね。
例えばタクシーを増やすと、競争が増して、サービスが向上する(あるいは値段が下がる)。と考えて?タクシーが激増したけど、増えすぎてドライバーの収入が激減し、今度はタクシー業界がこれ以上、増やすな、という具合だ。
弁護士もおんなじだね。

これからの日本は、客(人口)が絶対的に減るから、業界全体の収入は減る。一方、最近は資格を取ろうって安定思考の人が多いから、有資格者は増える。
とすると、自然に、「資格者を増やすな」か、「資格でできる幅を増やせ」ということになるだろう。

そういった時に、どちらのバランスをとるか。

規制緩和論者なら何も考えずに規制撤廃、資格停止という結論だろうが、極端な話、医者や航空機のパイロットにも同じことが言えるだろうか?
適切な競争を起こさせる程度のバランス、結果的に国民が納得できるバランス、をとらざるを得ないのだ。
特に、資格を取るに莫大な金をかけた奴や、業種転換が難しい職種、収入源が税金という職種への配慮は困難だ。

カツマー

2010-05-07 | 日記
なにやら、カツマとヒロユキが激突したのが話題になったみたいだね。

基本的に、わたしはカツマそのものは嫌いだけど、それほどレベルが高い、「嫌い」ではない。
ただ、カツマーは大嫌い(笑)
そして、ヒロユキは好きではない。
今回の対決でもそうであったと思うんだけど、そのバックボーンは、そう思うなら好きにしたら?わたしは関係ないけどね、というスタンスだ。こういう場合、議論にはなるけれども、何も得られるものがない。何をどうやっても前には進まないんだね。わたしはこういう人とは一緒に仕事ができない。相手を尊重してあげられない。尊重ってのは、結局は、相手の価値観を認めて、それを大事にするってことだけど、それすらもないってことだからね?

で、カツマは、これが前で、前に進まなくちゃいけなくて、そのためにはこれが悪いんだ!みたいなのが先にあっちゃう。それに同意しないものには「だめだこりゃ」なんだね。

議論していて、カツマの言うことも、そう捨てたものではないとは思う(日本は、0リスクにこだわるあまりに、ローリターンすら得られなくなっているというのは、分析としては正しいと思う)。
だけども、「自分がある種の決めつけをしている」ことを自分で分かっていないから、博之みたいに、そんな決めつけしらないし、前に進まなきゃいけないって誰が決めたの?って真顔で詰められると、それ以上の答えはない。

わたしなんかは、それでも社会や個人が前に進んでいくって気構えと、そういった人たちを称賛する雰囲気自体は必要だと思う。
それに幸せってそりゃ個々人が勝手に思えるものだけど、だからこそ、幸せなんだよな~って雰囲気を作ることが必要で、その雰囲気作りに日本は失敗しちゃったんだと思う。

だから、ひろゆきが、幸せって個々人で違うものでしょ?カツマはなんで起業やら金やら、価値観が一緒なのよ、という反論にも、こう反論しちゃう。

それを言ったら、カツマが起業は幸せなんだ!という価値観を持ってるならそれでいいじゃない。だったら、当然、起業がしにくい日本ってのは問題だと思うってのはわかるでしょ?
本当に幸せって人それぞれって達観してるなら、「ああ、そうですね。まぁ、わたしは違うんですけど」でそれで終わりのはず。
無意味に反論しちゃうってことは、要は、カツマ流の、あの押しつけ感が気に入らないってことでしょ、でもそれってカツマの幸せ感を否定しちゃってるってことだから、他人がどういうことで幸せを感じるのかは自由じゃんっていうあんたの前提にも矛盾がでちゃうよ。

繰り返しになっちゃうかもしれないけど、わたしなんかは、ひろゆき流の、幸せって個々人でしょ?というのに、どうにも違和感があるんだ。
人間って、なんとなしに価値観とか目に見えない精神的なものを共有してるからこそ、社会として成り立っているって思うんだよね。
そうじゃなきゃ、芸術って存在しえないと思わないか?
もちろん、カツマの起業やら金・仕事といった、ステレオタイプみたいな幸せにがむしゃらに行っちゃうってのもねぇ?

まぁ、ひろゆきと対談したら、何を言うべきかってのは、自分でもよくわからないから、この点は、カツマにも同情はする。
ただ、カツマの「私はすごいのよ!」だけはちょっと受け入れ難く、目の前でされたら、自分も、お前の考えとる前提はそもそも違うわい、って突っ込んじゃうかもね(笑)

議論の分析としては、相手側もわかっていない前提を、簡単にひっくり返してしまったひろゆきの勝ちでしょうな。

2010-05-03 デキビジ 勝間和代 VS ひろゆき を文字におこしてみる
http://d.hatena.ne.jp/wt5/20100503

反面教師

2010-05-07 | 日記
今回の鳩山首相は、議論をしていく上での良い教訓になった。
わたしは、(沖縄の人には悪いけれども)結論自体はそれほど興味がない。
(わたしの地域にはちょっと行けば自衛隊もいるし、もうちょっと行けば米軍もいるし。まぁ、密度と接近度が大違いなのだろうけど)

事の本質は、既に結論がついてるにも関わらず、ステークホルダーの一片のみに良い顔をするために、手順をごっちゃにして事を進めようとしたことだろう。
それに混乱に拍車をかけたのが、そ周辺が今さらながらな本質論をしはじめたが、当の本人は本質論をする気がなかったことであろう。

もしも、ハトが沖縄のために、と思うならば、はっきりと相手側にこれ、白紙にしてもいいよね?というべきであったろう。
周りも、ハトがそんなことをまったくおくびにも出してないのに煽ったという重大な責任がある。
ハトは最初っから本質論をする気がないことは見えていたではないか。
そうすると、何をどうやっても、「決まったことは決まったこと」で、「決まった範囲内で可能な選択」をとるしかなかった。
今回は、もはやガチガチに固まっていた、それだけのこと。

まったくわからずにあちこちの住民を煽ってしまった識者は、騒がすだけ騒がしてしまった政治家と同じくらいの罪がある。
自分のポリシーが、住民の幸せよりも大きいのかね?

議論後に議論前の結論に至ることにも価値がある
http://news.livedoor.com/article/detail/4753184/