カツマー
2010-05-07 | 日記
なにやら、カツマとヒロユキが激突したのが話題になったみたいだね。
基本的に、わたしはカツマそのものは嫌いだけど、それほどレベルが高い、「嫌い」ではない。
ただ、カツマーは大嫌い(笑)
そして、ヒロユキは好きではない。
今回の対決でもそうであったと思うんだけど、そのバックボーンは、そう思うなら好きにしたら?わたしは関係ないけどね、というスタンスだ。こういう場合、議論にはなるけれども、何も得られるものがない。何をどうやっても前には進まないんだね。わたしはこういう人とは一緒に仕事ができない。相手を尊重してあげられない。尊重ってのは、結局は、相手の価値観を認めて、それを大事にするってことだけど、それすらもないってことだからね?
で、カツマは、これが前で、前に進まなくちゃいけなくて、そのためにはこれが悪いんだ!みたいなのが先にあっちゃう。それに同意しないものには「だめだこりゃ」なんだね。
議論していて、カツマの言うことも、そう捨てたものではないとは思う(日本は、0リスクにこだわるあまりに、ローリターンすら得られなくなっているというのは、分析としては正しいと思う)。
だけども、「自分がある種の決めつけをしている」ことを自分で分かっていないから、博之みたいに、そんな決めつけしらないし、前に進まなきゃいけないって誰が決めたの?って真顔で詰められると、それ以上の答えはない。
わたしなんかは、それでも社会や個人が前に進んでいくって気構えと、そういった人たちを称賛する雰囲気自体は必要だと思う。
それに幸せってそりゃ個々人が勝手に思えるものだけど、だからこそ、幸せなんだよな~って雰囲気を作ることが必要で、その雰囲気作りに日本は失敗しちゃったんだと思う。
だから、ひろゆきが、幸せって個々人で違うものでしょ?カツマはなんで起業やら金やら、価値観が一緒なのよ、という反論にも、こう反論しちゃう。
それを言ったら、カツマが起業は幸せなんだ!という価値観を持ってるならそれでいいじゃない。だったら、当然、起業がしにくい日本ってのは問題だと思うってのはわかるでしょ?
本当に幸せって人それぞれって達観してるなら、「ああ、そうですね。まぁ、わたしは違うんですけど」でそれで終わりのはず。
無意味に反論しちゃうってことは、要は、カツマ流の、あの押しつけ感が気に入らないってことでしょ、でもそれってカツマの幸せ感を否定しちゃってるってことだから、他人がどういうことで幸せを感じるのかは自由じゃんっていうあんたの前提にも矛盾がでちゃうよ。
繰り返しになっちゃうかもしれないけど、わたしなんかは、ひろゆき流の、幸せって個々人でしょ?というのに、どうにも違和感があるんだ。
人間って、なんとなしに価値観とか目に見えない精神的なものを共有してるからこそ、社会として成り立っているって思うんだよね。
そうじゃなきゃ、芸術って存在しえないと思わないか?
もちろん、カツマの起業やら金・仕事といった、ステレオタイプみたいな幸せにがむしゃらに行っちゃうってのもねぇ?
まぁ、ひろゆきと対談したら、何を言うべきかってのは、自分でもよくわからないから、この点は、カツマにも同情はする。
ただ、カツマの「私はすごいのよ!」だけはちょっと受け入れ難く、目の前でされたら、自分も、お前の考えとる前提はそもそも違うわい、って突っ込んじゃうかもね(笑)
議論の分析としては、相手側もわかっていない前提を、簡単にひっくり返してしまったひろゆきの勝ちでしょうな。
2010-05-03 デキビジ 勝間和代 VS ひろゆき を文字におこしてみる
http://d.hatena.ne.jp/wt5/20100503
基本的に、わたしはカツマそのものは嫌いだけど、それほどレベルが高い、「嫌い」ではない。
ただ、カツマーは大嫌い(笑)
そして、ヒロユキは好きではない。
今回の対決でもそうであったと思うんだけど、そのバックボーンは、そう思うなら好きにしたら?わたしは関係ないけどね、というスタンスだ。こういう場合、議論にはなるけれども、何も得られるものがない。何をどうやっても前には進まないんだね。わたしはこういう人とは一緒に仕事ができない。相手を尊重してあげられない。尊重ってのは、結局は、相手の価値観を認めて、それを大事にするってことだけど、それすらもないってことだからね?
で、カツマは、これが前で、前に進まなくちゃいけなくて、そのためにはこれが悪いんだ!みたいなのが先にあっちゃう。それに同意しないものには「だめだこりゃ」なんだね。
議論していて、カツマの言うことも、そう捨てたものではないとは思う(日本は、0リスクにこだわるあまりに、ローリターンすら得られなくなっているというのは、分析としては正しいと思う)。
だけども、「自分がある種の決めつけをしている」ことを自分で分かっていないから、博之みたいに、そんな決めつけしらないし、前に進まなきゃいけないって誰が決めたの?って真顔で詰められると、それ以上の答えはない。
わたしなんかは、それでも社会や個人が前に進んでいくって気構えと、そういった人たちを称賛する雰囲気自体は必要だと思う。
それに幸せってそりゃ個々人が勝手に思えるものだけど、だからこそ、幸せなんだよな~って雰囲気を作ることが必要で、その雰囲気作りに日本は失敗しちゃったんだと思う。
だから、ひろゆきが、幸せって個々人で違うものでしょ?カツマはなんで起業やら金やら、価値観が一緒なのよ、という反論にも、こう反論しちゃう。
それを言ったら、カツマが起業は幸せなんだ!という価値観を持ってるならそれでいいじゃない。だったら、当然、起業がしにくい日本ってのは問題だと思うってのはわかるでしょ?
本当に幸せって人それぞれって達観してるなら、「ああ、そうですね。まぁ、わたしは違うんですけど」でそれで終わりのはず。
無意味に反論しちゃうってことは、要は、カツマ流の、あの押しつけ感が気に入らないってことでしょ、でもそれってカツマの幸せ感を否定しちゃってるってことだから、他人がどういうことで幸せを感じるのかは自由じゃんっていうあんたの前提にも矛盾がでちゃうよ。
繰り返しになっちゃうかもしれないけど、わたしなんかは、ひろゆき流の、幸せって個々人でしょ?というのに、どうにも違和感があるんだ。
人間って、なんとなしに価値観とか目に見えない精神的なものを共有してるからこそ、社会として成り立っているって思うんだよね。
そうじゃなきゃ、芸術って存在しえないと思わないか?
もちろん、カツマの起業やら金・仕事といった、ステレオタイプみたいな幸せにがむしゃらに行っちゃうってのもねぇ?
まぁ、ひろゆきと対談したら、何を言うべきかってのは、自分でもよくわからないから、この点は、カツマにも同情はする。
ただ、カツマの「私はすごいのよ!」だけはちょっと受け入れ難く、目の前でされたら、自分も、お前の考えとる前提はそもそも違うわい、って突っ込んじゃうかもね(笑)
議論の分析としては、相手側もわかっていない前提を、簡単にひっくり返してしまったひろゆきの勝ちでしょうな。
2010-05-03 デキビジ 勝間和代 VS ひろゆき を文字におこしてみる
http://d.hatena.ne.jp/wt5/20100503