ダチョウは頭が悪いとよく言われます。
家族の顔を認識できないことがその理由とされます。
雛を連れた群れ同士が走っている最中に草原などで交差すると、雛が違う群れについて行ってしまうのです。
しかし、これは本来のダチョウの生態を考えると理にかなっていることで頭が悪いということではないのではと思います。
ダチョウは一羽のオスとメスが昼夜交替で卵を温め、巣を守ります。
そこには他のメスが卵を産みに来ます。
オスとメスは自分の卵ではない卵も温めて孵します。
自分の卵を内側に置いて、外側の卵を他の捕食者に狙わせて自分の卵の生存確率を上げるためと言われています。しかし、自分の家族の顔は認識できないのに卵は認識できるという点が不思議でこの説は牧場で検証してみたいと考えています。
ダチョウは良い縄張りを強いオスが守り、多くのメスが安心して産めるようにすることで、種としての生存確率を高め、結果的に自分の遺伝子を残しているのではないかと思います。
多夫多妻という珍しい繁殖形態もその考えを補完しています。
オスは縄張りと巣を作りますが、メスはオスの縄張りを渡り歩くので、どのオスの巣にどのオスの卵を産んだのか卵を産んだメスは分かっていない可能性があり、興味もないのではないかと思います。
結果、多様な遺伝子が一つの巣で生まれていると考えられます。
先程の群れ同士が交差した際に違う群れだった個体が混じっても気にしないダチョウの性質につながります。
そもそも自分の子という意識が希薄で、卵は温めるもの、雛は育てるものと本能に刻まれているように感じます。
一つの仮説として、ダチョウという生物は個ではなく種全体の繁栄を助ける形で進化したのではないかという事です。
捕食者が卵を温めている巣の近くに来ると、温めているダチョウがわざとケガをしたふりをしながら巣から離れ、逃げるという行動をとるという映像を観ました。
もしこの親が捕食されてしまえば、卵全体が死んでしまうでしょう。
けれど、ダチョウはそうではなく他に卵を産みに来たメスが温めるようになるのです。
牧場でも何らかの理由で温めていたダチョウが帰ってこない場合、スイッチが入るように他のダチョウが温める様子を今まで見てきました。
高齢であまり交尾していないオスが積極的に卵を温めている様子も見られ、これは自分の卵がそこにあるかどうかが関係していないように思われます。
また、ダチョウはメス同士で雛を取り合う喧嘩をします。
勝ったメスが全ての雛を連れていくというものです。
これは自分の雛の生存確率を上げる為であると言われています。
しかし、それだけではなく強いメスが全ての雛を育てることで全体の生存確率を上げる為ではないかと思います。
そして、万が一強い方の個体が亡くなったり、怪我をしてしまったりして雛を守れない状態に陥った場合、自分の雛であるかどうかにこだわらない特性から、近くにいる別の個体が育成を引き継ぐことが想像できます。
結果、自然界における最も古い形の鳥としてダチョウが生存できたのではないでしょうか。
以上のような仮説からダチョウは家族を識別できないほど頭が悪いのではなく、進化によって自然界を生き抜くために得た稀有な特性としてとらえられるのではないでしょうか。
生物の進化を適者生存や淘汰だけでとらえるダーウィンの進化論に疑問を呈し、相互扶助的な生物の社会性に焦点を当てたクロポトキンが「相互扶助」という概念を唱えましたが、ダチョウの社会にもその考え方がとてもしっくりくるように思います。
今年は有島武郎がニセコ町で農場を解放して100年の節目の年なのですが、
彼は「相互扶助」という言葉をニセコ町の農民に残しました。
この考え方が現在広くニセコ町民の中に親しまれているのですが、理由の一つにこの考え方が生物の生存や繁栄に利する考え方であるからではないかと思えますし、広めていきたい考え方ですね。
ちなみにダチョウの脳が目玉より小さいから頭が悪いともよく言われますが、目玉が大きいのであって鳥の中では一番大きな脳を持っています。
体も大きいので脳化指数という尺度でも頭が悪い方に分類されがちです。
ですが、ダチョウはそういった尺度では決して測れない色々な可能性を教えてくれますし、人類よりも古くから今まで生存してきたという点において学ぶべき点が多いように思えます。
人間はおごらず、自然や生物から謙虚に様々なことを学び、この気候危機ともいえる状況に総力で当たらなくてはならないのに、戦争にいそしんでしまう人間の性はとても残念ですが、淡々と良いと思えることを続けていこうと思います。
皆さんもご自愛くださいね。
物事の一面だけ切り取ってさもそれだけが真実かのように言ってしまうのはよくないな、と思いました。
人間より歴史を持って生き残ってるんだから、そりゃあ強かな面があるはずですよね。