今回の語学学校「NOVA」の経営破綻の件ですが、これは、私は日本人の英語を学ぶ姿勢と無縁ではないと思っています。
日本人の英語の学び方というのは、「学んだふりをする」、「学んだつもりになる」ことであると、「英語と日本人 なぜ英語ができない」 に書きました。この表題を付けた理由は、何十年にもわたって「英語、英語」と国を挙げて騒いでいるにもかかわらず、英語ができないことの状況に変わりがないからです。
「学んだふりをする」とか「学んだつもりになる」とは、どういうことかと言うと、例えば、英会話学校に行けば、「英会話を学んだつもりになれる」といったたぐいのことです。クラスで外国人の先生がしゃべる英語を聞き、自分も5、6回英語を話せば、英会話を学んだ気持ちになってしまう、というのが多くの日本人に見られる英会話の学び方でしょう。思い当たりますか?
ここに目を付けたのが「英語産業」と言われる日本独特の産業です。「英語を学んだつもりになれる」状況作りをすれば、日本人はお金を使うからです。「英語を学んだふり」をしたい人にお金を使わせるには、英会話教室や教材の宣伝を巧みに全国に展開すればいいのです。
英語を本当に学びたい人は、「ふり」や「つもり」にならないよう心しましょう。
先日、あるテレビ局の番組で見たのですが、街頭で、通りすがりの若い女性たちにマイクを差し出してインタビューをしていました。何を聞いていたのかというと、「今、一番やりたいことは何か」というものでした。
皆さんは何だと思いますか?
以外や以外、一番が英語、二番が料理を習うことでした。料理を習いたいというのはうなずけますが、英語が一位になったのは驚きでした。
でも、私が推測するには、多分、ルイ・ヴィトン、エルメスといったブランド品を所有するのと同じ感覚で、英語も身につけたいという願望から最高位になったのでしょう。
ということで、ワープロでこの投稿を打っている最中に、語学学校最大手のNOVAが、会社更生法適用を申請したというニュースが入ってきました。これはある程度想定していたことですが、しかしです! これについてコメントしている某局の著名ニュースキャスターの発言に私はあ然としました。「英語は、ものすごく需要があるでしょう...。今、企業が求めているのは、TOEICとかTOEFLとか...」。 だから、なぜ経営が悪化したのかという、全然実態を把握できていないトンチンカンなことを言っていました。つまり、このキャスターにとって、「英語能力検定試験」と「英語の需要」は同意語であるようです。
多くの日本人の英語に対する認識はこの程度なのか...、と思うとあきれるより情けなくなりました。
私事になりますが、中学校から高等学校の初年度までは、絵を描く以外は、勉強が嫌いで、あまり学業に身が入りませんでした。それでも、英語以外の学科は、その気になれば何とかついていけましたが、英語は、日本語とは異質の言語であることから私には難解で、学校の授業だけでは英文の仕組みが理解できず、特に英作文はお手上げ状態で、全くの劣等生でした。
しかし、ある日、英作文の授業中に、あまりにふがいない自分を思い知らされて、高2の夏休みだったと思いますが、泥沼から抜け出すために、心機一転、英作文の参考書に毎日取り組むことにしました。昔々、アメリカに留学したことがある父親に最初のうちは添削してもらって、少しずつ英文の作り方に理解を深めていきました。
そして転機がついにやってきました。日本語には無い現在完了形が使えるようになれば、英語の理解力が飛躍的に進歩する、と分かるようになってからです。 ...have been to...(~行ったことがある、~へ行ってきた) ...have gone to...(~行ってしまった) ...have seen...(~を見たことがある) ...have been studying...(~ずっと学んでいる、勉強している)などなど。ただ、一つ心にしていたことは、日本語で考えて英語に直すのではなく、上記のような英語の文型の意味を、英語の感覚というか感性でそのままとらえて身につけ話せるようにしました。このころには、父親の助けを借りずに自分で学ぶようになっていました。
つまり、何事もそうですが、出だしは人に教わっても、後は、やる気と自力で学ぶ姿勢が大切、ということです。前回述べた「独学のすすめ」につながるのです。
大学に進学してからは、先日述べた共著の書、「英語と日本人 なぜ英語ができない」の中で触れた英語のクラス(無料)の討論で、カセットもCDも無い時代でしたから、自習したことを実践しました。アメリカに留学する意志を強く持ち始めたのもこのころです。
初っぱなから 「英語は独学でやりなさい!」 と言われたら、「無理なことを言う人だな」 と考えるかもしれません。しかし、例えば、もし突如、あなたが勤務している会社から辞令が下りて、外国に赴任することになるとか、親の外国への転勤によって、一家ともども移住する、といった場合を想像してください。
そして、その国で日常生活を送るとなると、現地の言葉を話し、読めるようにならなければならないでしょう。そうでなければ、買い物もままならぬことになります。そうすると、自分で現地の言語を学ぶ努力をするしかありません。
つまり、「独学のすすめ」 とはこの事を言うのです。英語を独学するというのは、日本に居ても、あたかも英語圏の国で生活しているかのように想定して学ぶ、ということです。その国で生活をしていれば、毎日いや応なしに英語を見聞きしますが、日本ではそうはいきませんから、毎日コツコツといろいろな英語を自分の脳に記憶させていくのです。そして、記憶した英語を英語圏で生活しているかのように自ら使うのです。そうしないと忘れてしまいますから。
この行為を「音読」 と言って、学んでいる単語でも文章でも声に出すのです。話す相手が居れば、それに越したことはありませんが、そうでなければ、一人芝居をするように感情を込めて話すのです。恥ずかしいなどと言ってはいけません。この行為を続ければ結果はついてきます。
7月に 「英語と日本人-なぜ英語ができない」 という本を、名古屋の名城大学の船田教授と共著で出版しました。本の頁数は限られているので、書ききれなかったことなどを含めて、船田先生に補佐していただきながら、ここに順次書き留めていきたいな...と思っています。
何しろ、「英語、英語」とちまたで言う割に、日本人は英語ができません。何かがおかしい。そういった想いから、上記の本を出版しました。まあ、日本人の90パーセントは、英語を日常的に使う機会も必要性もないでしょう。それなのに、「英語、英語」と大騒ぎです。 文部科学省は、日本国民のすべてに英語を小学生から必修させようとしています。私は、とんでもないことだと思っているのですけれど...。
繰り返しますが、私たちが日常使う必要のない英語を、小・中・高・大学で必修させるというのです。一体、何のために、強制的に英語をやらせるのでしょうかね!教養や知識のためなら中学英語で十分です。本当に英語をやりたい人、使う必要のある人には、効率的な英語教育のカリキュラムを確立して、選択科目として徹底的に学ばせる方が、ずっと効果的である、ということを考えつかないのでしょうか?
貧弱な英語教育に付け入る英語産業に儲けられている我が国の善男善女に、「いいかげんに目を覚ませ!」 と声を大にして、正しい英語の学び方、身につけ方をこれからここで伝えていくつもりです。