本書は、官能小説であることに異論はない。
けれども、まちがいなく、みごとな、裏の青春小説であると断定する。
ことに、カットバックで描かれる片方の、戦中時期の、ひとりの少年の青春像は、作者を投影していると思しく、生生しささえ感じられる。
時代てきな位置づけは、日本最初のロリータコンプレックスを主題とした長篇小説と決まっているようだが、それだけで終わらせてしまうのは、いかにももったいない。正当な評価をすべきだと、わたくしは、考える。
気になったこと。
それは、時代設定だ。
カヴァ折かえしの、紹介を読むと、雑誌『NEW self』に掲載した『花門』という小説がベースになっているようだが、この雑誌『NEW self』は、昭和五十年十二月~昭和五十二年六月の全十九冊のようだ。
ここまでが、前置き。
さて、いよいよ本題。
P8 「(略)彼(朝倉領)は実際の年齢より若く見られがちだが、四十三歳。(略)」
P54 「十三歳の(朝倉)領が十六歳の(国方)純子に恋をする(略)
P281「(国方)純子は昭和二十七年の春、二十三歳で結婚した。(略)」
これで、判るのは、朝倉領は、昭和七年生まれ。国方純子は、昭和四年生まれ、ということだ。
そして、時代は、昭和五十年。
しかしながら・・・。
P108「新聞は四十回目の終戦記念日だということで(略)」
P297「(略)テレピでは大島渚の映画『戦場のメリー・クリスマス』をやっていた。」
四十回目の終戦記念日ということは、昭和六十年、『戦場のメリー・クリスマス』は、昭和五十八年、公開だ。
あれれ?
登場人物の年齢からすると、昭和五十年のお話らしいのに、時代背景は、昭和六十年に設定しているようだ。
これは、前段階で説明した雑誌掲載時期から推測すると、当初は、昭和五十年の設定だったものが、書籍化する際の改稿あるいは書き足しで、発行年に近い、昭和六十年に、無理やり変更したのではないだろうか。
元版の『愛の予感』(群雄社・シガレットロマンス)を確認していないので、定かではないのだが。
もうひとつ。
主人公の朝倉領が、冒頭では、芸大の油絵科出身と紹介されているのに、終わりちかくでは、熊本美大の油絵科に入学、美大卒業と記してある。
これも辻褄があわないなあ。
2007年12月2日読了。
※(略)は、引用者の判断である。
けれども、まちがいなく、みごとな、裏の青春小説であると断定する。
ことに、カットバックで描かれる片方の、戦中時期の、ひとりの少年の青春像は、作者を投影していると思しく、生生しささえ感じられる。
時代てきな位置づけは、日本最初のロリータコンプレックスを主題とした長篇小説と決まっているようだが、それだけで終わらせてしまうのは、いかにももったいない。正当な評価をすべきだと、わたくしは、考える。
気になったこと。
それは、時代設定だ。
カヴァ折かえしの、紹介を読むと、雑誌『NEW self』に掲載した『花門』という小説がベースになっているようだが、この雑誌『NEW self』は、昭和五十年十二月~昭和五十二年六月の全十九冊のようだ。
ここまでが、前置き。
さて、いよいよ本題。
P8 「(略)彼(朝倉領)は実際の年齢より若く見られがちだが、四十三歳。(略)」
P54 「十三歳の(朝倉)領が十六歳の(国方)純子に恋をする(略)
P281「(国方)純子は昭和二十七年の春、二十三歳で結婚した。(略)」
これで、判るのは、朝倉領は、昭和七年生まれ。国方純子は、昭和四年生まれ、ということだ。
そして、時代は、昭和五十年。
しかしながら・・・。
P108「新聞は四十回目の終戦記念日だということで(略)」
P297「(略)テレピでは大島渚の映画『戦場のメリー・クリスマス』をやっていた。」
四十回目の終戦記念日ということは、昭和六十年、『戦場のメリー・クリスマス』は、昭和五十八年、公開だ。
あれれ?
登場人物の年齢からすると、昭和五十年のお話らしいのに、時代背景は、昭和六十年に設定しているようだ。
これは、前段階で説明した雑誌掲載時期から推測すると、当初は、昭和五十年の設定だったものが、書籍化する際の改稿あるいは書き足しで、発行年に近い、昭和六十年に、無理やり変更したのではないだろうか。
元版の『愛の予感』(群雄社・シガレットロマンス)を確認していないので、定かではないのだが。
もうひとつ。
主人公の朝倉領が、冒頭では、芸大の油絵科出身と紹介されているのに、終わりちかくでは、熊本美大の油絵科に入学、美大卒業と記してある。
これも辻褄があわないなあ。
2007年12月2日読了。
※(略)は、引用者の判断である。