南極海道五十三次

南極観測隊の同行教員の記録

天空の地

2012年01月24日 00時37分31秒 | 日記
1月24日(火)くもり
 先日、宿舎の当直の順番がやってきました。この日は隊員みんなのために世話をする日直、週番みたいなものです。同時にその日は私が初めて南極大陸の厚い氷の上(ドームふじなどの内陸基地へのルート拠点のS16)に乗れる日でもありました。前夜に二者択一の厳しい選択を迫られ、一旦は上陸をあきらめたのですが、翌朝ふと自分が自分のものだけではないことを思い出しました。伝えねばならい、そう思って午前中一杯考えあぐんだ末、かの地で気象観測機器の整備や来るべき内陸旅行のためルートや雪上車の確認に来たS16隊の夕方のピックアップ便に同乗させてもらう許しを得ることができました。もちろん夕食の当直には戻ります。感謝です。
 基地を離陸したヘリが大陸沿岸を突っ切り、しばらくすると眼下はるか向こうまで真っ白な雪原が広がります。時折、乱れた気流のなかでヘリとともに態勢を立て直しつつ、目を凝らすとわずかに小さな点がポツポツと見え始めました。雪上車、旅行用そり、カブース(居住用そり)の一群でした。


 海氷と大陸の境界、左が海氷、右が大陸、茶色は露岩


 上空からの雪上車群


 ヘリで着陸

 標高約600mのこの地は、以前から「雪以外何にもないよ」と聞いていました。でも、私にはそれで良かったのです。周りに何もない、雪以外は何もない、そういう土地を見たことがなかったからです。しかも、下は厚い南極の氷。太古の空気や微粒子を含む、ある意味、神聖な場所でした。その辺の砂や空気だって太古からあるのに変ですね。
 ところが実際は、少なくとも私にはおまけつきでした。北を見れば氷の海が、西にはラングホブデなどの山並みがわずかに望めました。特に海氷上はるか遠くにまだ接岸できないしらせとたなびく煙を見たことで、自分の立つ場所を再確認できました。
 南極大陸氷床。平均2000m以上、厚いところでは4000mにも達する氷の板。まず雪やダイヤモンドダストが降り積もり、それらが圧密されても融けない低温下で融合し微結晶を作る(焼結)。長い時間をかけ、その結晶同士も次第に連結し、結晶内の水分子の再配列すら行いながらだんだん大きな単一の結晶に変化していく。まるで天然の結晶製造工場です。特に深い所の氷は氷の中のガスまでもクラスレート化(氷の構造に取り込まれてしまう)しまうため透明度が高くなります。もはや氷というより、宝石に近いと言ったら言い過ぎでしょうか。
 もし人間の目が、雪の結晶を大きくして見ることができたら、雪の降ったところをもったいなくて歩けないだろう、とは雪の結晶の形の素晴らしさを語った中谷宇吉郎博士の言葉ですが、もし、人間の目が何千mもの深さの南極の氷を見れたなら、やはりもったいなくて歩けない気がします。



 S16から内陸を望む、大陸氷床で築かれた天空の地に続く


 海氷に閉じ込められつつある、しらせ遠望(旗の向こうに小さく、煙を左にあげている)


 SM100型雪上車、人間を大陸内陸部まで守ってくれるシェルター
 ドームふじ基地など氷床最高点をこのモンスターで狙う

 気温は-5℃くらいでしょうか。風もそれほど強くなく、ところどころに青空を残した天空の雪原は優しく迎えてくれました。しかし、残念なことに世界一きれいであろう雪のサンプリングにしくじってしまうほど私は冷静さを失っていました。絶対きれいだという思い込みが強かったのかもしれません。でも、ここで吐く息が全く白くならないことを確認できたのは幸いでした。これほどきれいな空気は神様だって読むことはできないでしょう。
 わずか30分程度の滞在でしたが、雪と氷が正々堂々、大地として存在出来る惑星地球を実感できた大きな旅でした。


 吐く息が全く白くならない


 大陸氷床とラングホブデの山並み、海氷、夕暮れ雲



第二の故郷

2012年01月23日 23時08分29秒 | 日記
1月23日(月)雪


隊員宿舎の窓辺の雪、気温がやや高くすぐ解けてしまう

 今日は昼前から雪になりました。始めは白いあられのような雪でしたが、次第に小さなボタ雪に変わり、最後は薄いガラスのような透明で繊細な六花の結晶交じりに移り変わっていきました。その後、午後の作業現場に向け降りしきる雪の中、ぬかるんだ極道13号線をゆっくりとゆっくりとトラックは進みました。両側に迫る雪の壁と、前方に広がる薄茶に汚れた雪面を少しずつ真っ白に染め変えていく新雪をヒビ入ったフロントガラス越しにぼんやりと眺めているうちに、不思議なぬくもりを覚えました。同乗していた他の二人も何かいろいろな思いがあるかもしれないのに沈黙は続きました。雪は人を黙らせる。
僕は汚水漏れの処理を済ませたドライバーに声をかけました。
「さっきは大変、お疲れ様でした」
すると一言、
「いいえ、それが仕事ですから・・・」

 南極滞在も後半戦に入り、ここのところ心に余裕がない。けれど、その忙しいはずの作業中にこの南極について、昭和基地について妙に振り返ってしまう自分がいます。この間も未完成の自然エネルギー棟の最後の撤収作業中にこの火星のような赤茶けた生き物の気配のないオングル島に郷愁すら感じ始めていました。もしかして僕は南極が好きなってしまったのではないか。いや、それでいいのかもしれないが、到着してからたった1ヶ月そこそこの間で人にそんな変化を生じさせるのは意外でした。人は自然の中で密度の濃い生活をすれば、例えそれが南極でも第二の故郷になるのでしょうか。

 作業場で見晴し岩のオイルタンク裏の雪に、雪を解かすための砂まきをしながらこんな話を聞きました。
「この100kLタンク、随分前に溶接したんだよ。水位計に雪がのって、重みで落っこちてくうちに壊れっちまたんだあ。んで、油漏れして全部油抜いて何ppmかって爆発しない濃度になってからくっつけたんだあ。熱っつくなっからなあ」
「んですかあ。大変したねえ」
 それは砂まきの理由だったのかもしれません。ただその時僕は完全に田舎に戻っていました。雪景色には心を解かす力がある。


オイルタンク後ろの雪に砂をまく

 日本人は精神性の高い民族と言われる。でも、それが時に不器用に見えることがあるような気がします。日本が近代史に登場するようになってからも度々あったかもしれません。個人的な考えだけれども、この昭和基地もそういうところが残っているような気がします。栄えるよりも滅びないことを、自然に向かい合うよりも自然に寄り添うことを、人を出し抜くよりも思いやることを、豪勇さよりも懐の深さを、切り替えるよりもあきらめないことを、短期的に考えるより長い目でながめることを、この昭和から平成の皆さんに届くことを願います。その時、きっと自然は我々を仲間として受け入れてくれるかもしれません。

氷河のもう一つの顔

2012年01月14日 20時31分00秒 | 日記
1月14日(土)昭和基地にて
雪鳥沢小屋の二日目、前回の四つ池谷より北側の「やつで沢」という大きな渓谷に入りました。この沢には四つ池谷よりコケや地衣類などの植物が少ない反面、両側の崖の上部のテラス(平坦な部分)にはコケが繁茂していました。


雪渓を登る


絶壁のテラスにコケが息づく

しばらく進むと谷の狭隘部を大岩が塞ぐようになり、土石流の後のような光景でした。その向こうには大きな雪の壁が谷全体を覆っていました。実はこの雪の壁は山を越えてきた氷河の一部で、谷川の水をせき止めるダムの役目を果たしていたのです。そして何年か前にそのダムが決壊し、上流のダム湖の水が一気に流れ下ったそうです。そのときの流れが大岩や植物を根こそぎ流し去ったのかもしれません。このようなダムの決壊は何十年に一度起きていたと考えられています。


大岩が谷を塞ぐ


谷を側面から覆う氷河、決壊時に氷河ダムに開いた穴が竜の口のように残る


側面からの氷河の右向こう(谷の上流)にはせき止め湖、氷河湖が広がる


氷河湖はダムが決壊して水を失った分、幾分小さくなり、平らな湖底が顔を出している

 さらに上流に今度は真正面から谷を覆う氷河(氷河末端)が現れました。平頭氷河です。この氷河の融け水がこの谷川を潤し、コケや地衣類、藻類を育てていたのです。ラングホブデ沿岸部の谷の生物の多くは、氷河の融け水の恩恵を受けていました。ただ、このやつで沢のように時に氷河のダムの決壊などにより、壊滅的なダメージを受けることもありますが、そうでないところでは水さえあれば雪の中でも環境に適応して生きていました。


平頭氷河の末端、ここで氷から水に姿を変え、再び流れ下っていく

 ダイナミックな氷河の動き、それに寄り添うような生物たちのしなやかな生き方。陸上での氷河の最期も、海上で氷山となって再出発する氷河の最期に負けない迫力がありました。そして、そうした自然の真実に少しでも迫ろうとする観測隊員たちの中に、天災の多い国に生きる人間が忘れてはならない大切なものを見た思いがしました。


氷河湖と氷河末端の間の細かい水路の平坦地に群生するナンキョクイワタケの変種
比較的乾燥した岩に付く種より大型、環境が違えば種も異なる


写真中央の赤いところが雪の中に住む緑藻類、「赤雪」とも呼ばれ日本の立山などでも見られる


赤雪の顕微鏡写真、赤いものと緑のもの実は同種、状況で色を変化させる能力をもつ

極寒砂漠のオアシス

2012年01月14日 13時44分07秒 | 日記
1月14日(土)昭和基地にて
前回訪れたラングホブデ氷河の西側の山向こうに隣接する雪鳥沢小屋に数日間滞在しました。ここも沿岸部なのですが、氷河と違って周りは標高数百mの岩山に囲まれています。もともと南極は低温で空気中に含まれる水分も少ないため乾燥した土地で極寒砂漠とも呼ばれています。ここ雪鳥沢付近は氷河の流れが背後の山々で遮られ砂礫地となっているため、一見すると砂漠、或いは岩砂漠という表現が適当かもしれません。


荒涼とした岩砂漠

ところが、小屋のある海岸に注ぎ込む沢を少し上るとまるで避暑地のような景色が広がっていたのです。清冽な水を湛えた泉のような静かな池。奥には雪解け水が小さな滝となって注ぎこんでいます。南極にこんな瑞水しいところが!?・・・女神の悪戯としか思えません。


泉のような瑞水しい池

池から海に注ぐ清水

さらに登り南に位置する四つ池谷と呼ばれる谷に向かいました。四つ池の名前の通り、いくつかの池が続きました。最も下流の池のほとりにふわふわした得体のしれない物体が打ち上げられていました。湖底に繁殖する藻類の一種です。表側がオレンジ~茶、裏側が黄緑、手触りは少し硬めのスポンジのようです。これでもちゃんとした生物です。乾燥地帯でもこうした水場には生物が繁茂しているようです。


四つ池

打ち上げられた藻類

乾燥地帯の池を過ぎ、沢に入ると少し様相が変わりました。岩場にはナンキョクイワタケなどの地衣類(菌類と藻類の共生体)が、水に近いところにはコケ類やカワノリと呼ばれる藻類が、群生していました。沢の水や湿気を頼りにそれぞれの環境に適応していきているのです。



ナンキョクイワタケ、これでも数百年~千年は生き続けている

何年か冷蔵庫に入れておいても生き返る強靭な生命力を持っている


コケ類

石の裏側に根をはりわずかな水分を頼りに生きるコケ


カワノリ、この種の群生したところでは緩歩生物のクマムシが観察できた

クマムシ、カワノリの上を8本足でクマのようにのそのそ歩く、ゆっくりした変化なら極低温、高温高圧に耐える1mmに満たない微生物


ユキドリ、沢の上流部の岩場に生息、おそらく抱卵中の仲の良いつがい

乾燥した南極だからこそ、液体の水が生命の要なのだということがはっきり分かります。宇宙の中のオアシス、地球。その地球上でも最も生物の繁茂しにくい環境と思われる南極でも液体の水さえあれば生命はいかようにも適応し生き抜いているのです。

外出注意

2012年01月14日 10時13分08秒 | 日記
1月14日(土)午前10時、昭和基地、曇り、強風。
発達した低気圧が近くを通過しているため未明から風速15mを超える強い風が吹いています。朝8時半に「外出注意喚起」が発令され、基地の建設作業等が中断されました。視界はあるのですが、高所作業や、固定されていない飛来物などで危険だからです。さらに風が強まったり、降雪で視界が下がってくると「外出注意令」、さらには「外出禁止令」が発令されることがあります。ともかく隊員は一休みです。外出する場合は通信室に交信し、屋外での行動が終了し身の安全が確保されるまで監視下に置かれます。建物間を移動する場合はライフロープという綱を便りに移動します。50年近く前に視界の無いブリザードで犠牲になった隊員の死を無駄にしないためにも守らねばなりません。


砂塵舞う道
建物間にはライフロープが張られ、ここを伝って移動する

しかし、この荒天のなかでも可能な観測は続けられます。例えば、上空の気象観測のための気球の放球です。毎日毎日、グリニッジ標準時0時と12時、きっかりに何百もの気球が世界中各地で空に放たれています。ここ昭和基地でも午前2時半と午後2時半、気球が上空に到達する30分前に行われます。気球にぶら下がった観測機器からは温度、湿度、GPSによる位置、高度、そこから計算される気圧や風速などの情報が得られます。こうした地道な観測が気象の研究や天気予報などに生かされています。


放球する気象隊員


日本時間14日午前8時30分
「がんばれ受験生!」号が強風の中、南極上空に舞い上がっていきました

世界で一番きれいな空気

2012年01月13日 23時59分01秒 | 日記
1月14日(土)午前0時
先日のラングホブデ氷河の滞在中に地表の空気中の二酸化炭素濃度を測定しました。二酸化炭素は温暖化の原因と考えられている気体の一つです。2台の簡易測定器で測定したのですが、どちらも370ppm程度(1ppmは100万分の1の濃度という意味)でした。この値は昭和基地やハワイ島マウナロア山で測定されている値(約390ppm)よりやや低いですが、ほぼそれに近い値と考えることができます。


1月6日午前3時
氷河上のテント場から50mほど離れた風上で二酸化炭素濃度を測定する

さて、この測定器で仙台市内を測定すると風向き次第で400ppmを越えます。また学校の教室など人間の多いところを測定してみると1000ppmを越えてアラームが鳴ります。人の吐く息を測ると測定限界の3000ppmを越えてしまいます。一方、仙台の海岸沿いなどでは、海風が吹けば380ppmに下がります。二酸化炭素は生物の呼吸や人間の社会活動で排出され濃度が増えるため、そのベース(或いはバックグラウンド)となる濃度を知るのはなかなか難しいのです。
そこで、南極です。
動植物や人間の活動が極めて少なく、それらの地域から隔離されたこの場所は、地球全体のベースとなる二酸化炭素濃度を知るのに絶好の場所です。もし、この場所でその濃度が上がっていれば、地球全体で上がっていると考えられます。こうした場所には南極の他、さきのハワイ島マウナロア山など絶海の孤島の山の上なども適しています。これは二酸化炭素に限った話ではなく、他の大気汚染物質の濃度などでもほぼ同じことが言えます。
私が昭和基地に入ったとき、そして、ラングホブデ氷河に降り立ったとき、まずしたのは、深呼吸でした。もちろん人間の嗅覚ではかぎ分けることは出来ないかもしれませんが、世界一きれいな空気は、世界一貴重な空気でもあるのです。
今日も昭和基地では、二酸化炭素濃度をモニター(監視)する観測が行われています。


昭和基地、観測棟の二酸化炭素濃度をモニターする装置


大気中の気体などを観測する観測棟


気体は基地(人間活動)から、少しでも離れた風上で採取する
日本でなく、南極で測定するのと同じ理由

エール

2012年01月13日 21時14分35秒 | 日記
1月13日午後9時(日本時間 14日午前3時)

受験生の皆さんへ

日本から1万4000km離れた、南極は宗谷海岸のラングホブデ、やつで沢上流の雪稜から声援を送ります。


できるやれば!ねばれやるきで!

緊張している人、あせって手がつかない人、落ち込んでいる人・・・いろいろいると思いますが、それだけ目指しているものが大きいのでしょう。
目指しがいのあるものに挑戦する姿は美しい。
そして、今年は特に、そんな挑戦ができるこの瞬間に感謝したいものです。

あなたたちの未来は、この街の未来であり、この国の未来です。
そして宝です。

ちょっと偉そうな二十年前の受験生より

世界で一番きれいな水

2012年01月12日 23時31分03秒 | 日記
1月12日(木)昭和基地にて
先日、訪れたラングホブデ氷河。世界各地の氷河の中でも特に人間社会から隔絶され、自然地理的にも隔離された南極の氷河の雪と氷を私なりに調べてみました。氷河上の雪がどれほどきれいか、雪を融かした水(融雪水)の導電率計を使って測ってみました。
水にイオン(+か-の電気を持った小さな粒、食塩などがその例)が融けていると電気が通り易くなり、導電率計の値は高くなります。逆に水にイオンが溶けていないほど値は低くなり、イオン性の物質が環境中に少ないということができます。私が昨冬に日本の蔵王の山頂付近の樹氷から採った雪の融雪水の導電率は約20([μS /m]以下、単位省略)でした。仙台の泉ヶ岳スキー場で降ったばかりの雪で約10です。10以下になることは少なく、なっても7程度です。それが住宅地の自宅前では高いときは80にもなり、山形自動車道の笹谷トンネル付近の雪では、300近くにもなりました。大気汚染物質や融雪剤…人間が出す様々な物質の影響、山野や海(日本海の海塩)など自然からの物質の影響、どちらもあるでしょう。


蔵王の樹氷

さて、南極ラングホブデ氷河の雪では、この値は1~2でした。前回の記事の写真にのせた氷河上の小川でも6程度です。南極の雪と氷の純粋さが伺えます。


氷河の雪の融雪水の導電率 約1~2(縦長の導電率計のディスプレイの上の数値、下の数値は水温)


氷河上の小川の導電率 約6

ただ、この水は実はそれほど美味しくありません。個人差もありますが、人間が美味しいと感じる水はもっとイオンが含まれた水だからです。例えば日本でパックされたあるミネラルウォーターは約100です。つまり美味しいかどうかはともかく、南極の雪とそれが融けた水は異常なほどきれいなのです。
この水が、もし汚れてしまったら・・・そして、それがもし人間のせいだとしたら・・・「その答えは氷河の流れだけが知っている」という言い逃れは通用しないかもしれません。


南極の氷山の故郷・・・氷河

2012年01月09日 07時26分36秒 | 日記
1月9日(月)
 地球上の水の約97%は海水です。残り約3%が河川や湖沼などの淡水、いわゆる我々人間の飲み水になります。しかし、この淡水の半分以上が実は南極の氷として存在していることをご存じでしょうか。先日、この南極の氷に会いに昭和基地から20kmほど南下した大陸上にあるラングホブデ氷河を訪れました。日本には氷河はありませんが、アルプスやヒマラヤなどの高山、北米や南米などの高緯度地域に分布しています。降り積もった雪が融けずに押し固められ氷に変化し、長い年月をかけてゆっくりと山肌を河のように流れ落ちていく、まさしく氷の河です。過去、氷河期には日本にも氷河は存在し、日本アルプスなどの高峰の地形にその痕跡が見られます。山肌をスプーンで抉り取ったようなカールと呼ばれる地形がそれです。


ヘリコプターからラングホブデ氷河上流を望む


夏の日射で雪と氷が融けて氷河上に水路を作る 
静寂の中、音楽が流れるような錯覚に陥る

 さて、南極大陸は厚い氷の層(氷床)で覆われていますが、この氷の層はゆっくりと時間をかけて大陸の沿岸部まで移動してきて最終的に海に流れこむことが知られています。その成れの果てが氷山です。そして、その氷の層の海への流れ込み口が、南極の氷河なのです。近年、この氷河の氷が減っているのではないかと考えられています。南極の氷河の流れはどうなっているのか?観測隊の氷河チームは、その状態を探るために氷河を熱水で融かして底まで掘る調査(熱水掘削調査)を行っています。


氷河が海(海氷)にゆっくりと流れ込み、氷山が生まれる
人間社会とは別な時間が流れている


観測隊の滞在するテントと夕陽


熱水掘削調査を行う


掘った穴(ボアホール)に様々な計測機器を入れ、氷河の状態を調べる

 しかし氷河上には、氷の割れ目のクレバスなど、様々な危険が潜んでいます。これらを巧みに避けつつ、調査は進められます。神々しいまでに美しい自然、同時に厳しい自然、自然は常に二つの顔を持っています。


氷の割れ目、クレバス


氷河上の水流が、クレバスに落ち込む

ペンギンたちの約束の地

2012年01月03日 00時43分31秒 | 日記
1月2日(月)午後9時、快晴。
 遅れましたが、皆さん、新年明けましておめでとうございます。
 昭和基地の南方、約20kmの大陸沿岸部に袋浦という入り江があります。31日の夜9時頃、ここでアデリーペンギンのルッカリー(営巣地)の調査を行っている観測隊員を訪ねました。白夜のため天候さえ良ければ夜間でもヘリは飛べるのです。ここには、およそ100ほどのペンギンの巣があり、つがいの親が約200羽、そのヒナが約100~200、巣を持たない流れ者のペンギンが若干、集まって暮らしています。ルッカリーの付近には海氷中に開水面があり、砂や礫の乾いた平坦地があり、北東方向に断崖があり、一見して彼らの生活の必要条件が整っていることが分かりました。エサを取るには潜るための開水面が、巣を作るには平坦な砂礫地が、強風を避けるには断崖が、それぞれ必要だからです。多くの生物ならさらに水場が必要なのでしょうが、水を飲まない彼らはこの乾燥地帯でも生きていけるのでしょう。


声を上げて夫婦の絆を確かめる


卵は通常2個、元気に育て

 さて、観測隊員はここの質素な観測小屋に1か月以上も滞在しながらペンギンの生態調査を行っています。今、力を入れているのは海水中でのペンギンの行動です。昭和基地付近のアデリーペンギンは、夏期に営巣地に集結して子育てをしますが、エサを取るとき海氷面に潜ってしまうのでその行動が直接的には分かりません。また子育てが終わる冬季には、南極大陸沿岸部の営巣地を離れ、海氷上か或いは他の場所に移動してしまいます。そうした時にどういう行動をしているのかもよく分かっていません。アデリーペンギンは南極沿岸部の生態系の上位に位置しているため、その全体数の変化の傾向を知ることはエサのオキアミなど南極海の生態系を理解するための重要な情報となります。一般には、かわいいペンギンたちですが、その生態をよく知ることは我々の未来を知ることにつながっているのかもしれません。


開水面を飛ぶように泳ぎ回る


白夜の入り江

 この二日間、素晴らしい晴天に恵まれ、ペンギンだけでなく南極大陸の一部を垣間見ることもできました。ルッカリーの裏山を登ると、360°の大パノラマが広がっていたのです。氷河で削られた大地が植物に覆われることもなく、むきだしの赤茶色のまま残っています。ひときわ高い長頭山は山腹にその履歴書である幾筋もの地層をさらし、斎藤隆介、滝平二郎両氏の絵本「八郎」に登場する秋田の寒風山の「おら、さみい。おら、さみい。」の最後の台詞を思い起こさせました。そして遠くに今まさに流れ落ちようとしている白い流れが迫ります。氷河でしょうか。ペンギンたちに別れを告げ、一旦、昭和基地に戻り、明日はラングホブデ氷河を目指します。


ルッカリーの夕暮れと長頭山


裏山からの大陸氷河