大野クローバー幼稚園日記

つぶやき

この週末、仕事で東京に行きました。研修会場のあった東京国際フォーラムの大きなフロアで、「東京都私立学校展」というイベントが実施されていました。



都内の私立小学校から大学まで、ご覧の通りたくさんのブースがありました。(写真に写っているのは一部で、全体の広さはこの写真の2倍以上です)会場は多数の子どもと保護者でごったがえしていて、大都市での私学熱というものをひしひしと感じました。

東京国際フォーラムの片隅の喫茶コーナーで、私の隣のテーブルに、幼稚園の制服と思しき服を着た二人の女の子とそのお父さんとお母さんが座りました。制服は、この園のようにカジュアルなものではなく、紺色系のブレザータイプで、カッチリとしたものです。多分、二人の女の子のうち、お姉ちゃんが来年小学校なのでしょう。

女の子二人は、よく分からないまま電車に乗って連れてこられ、人ごみの中を歩かされ、少々ご機嫌ななめといった風情で、ちゃんと椅子に座っていられません。お母さんは、終始厳しい表情で、お姉ちゃんの方に「きちんと座っていられない子はおじいちゃんのところには連れていけませんよ」(本当はしっかり聞き取れなかったのですが、なんとなくそんなニュアンスです)なんてことをこんこんと話しています。

私は「そりゃ、座っていられないだろうなぁ」と心の中でつぶやきつつ、女の子二人に同情しつつ、「年長さんからお受験かぁ。都会の子は大変だなぁ・・・」と思いつつ、私学がそれぞれの教育の特色を出すのはいいことだし、それをしていかないと生き残っていけないのだろうと思う反面、その特色が、子どもたちに過度の負担となって、子どもの心と未来を押しつぶしてしまう危険はないのだろうか・・・と真剣に考えていました。

お父さんとお母さんには、パッと目を引く、今流行の教育メソッドや分かりやすい特色、ブランドといったものにとらわれることなく、子ども本位の学校選びをしてほしいナ、と思うのでした。



よく、「この国の教育をどうするのか?」という議論がされます。私は、「この国の教育」を考えるよりも、「わが子の教育」をどうするのか?にフォーカスして考えた方がいいと思います。この国の教育について論じている人たちは、たいがいこの国の教育について責任を取る必要がない人たちです。

「マクロで大きなことを言う人というのは、大抵、責任取らない人」と、作家の村上龍が言っていました。その通りかもしれません。

一人ひとりの大人が、わが子の教育をどうするのか、どんな子に、つまりはどんな大人に育っていってほしいのか、真摯に考えること。その過程で、もしこの国の教育を変えていく必要があるとするなら、それは、大人たちの切実な想いの積み重ねにより必然的に変わっていくものだろうと思います。
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