将棋雑記

将棋に関する雑感を書き散らしています。

旧パラを検証する125

2018-06-23 23:37:00 | 旧パラ検証
旧パラを検証する125
第十号 百人一局集 16
第七十一番
鳥取県八頭郡賀茂村福本
農業 五十才
初段
三好 泰造氏作

74角、81玉、92金、72玉、82金、61玉、64香、63飛、62角成、同飛、同香成、同玉、63飛、52玉、33飛成、61玉、71金、同玉、73龍、72歩、83桂生、81玉、82歩、92玉、91桂成、同玉、93龍迄27手
☆昭和二年頃将棋新誌に処女作入選、其の後二十年作局中止。何分農事の余暇の楽しみで貧乏暇なし。大戦以来供出生産に追われています。
★これ以外の作品は全て大道棋の三好氏らしく、飛中合の出る作品。71歩の配置だけで詰将棋に仕上げた所がミソです。
 三好氏は1950年~1956年に詰パラに5作、大道棋辞典に1作発表されました。手数は23手~51手で本作以外は大道棋です。作家としてよりも解答者として長い間活躍されました。
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第七十二番
北海道空知郡砂川局区内字豊沼
東洋高圧社宅二三区一三四号
会社工員(機械運転工)二十六才
五級位
形幅 清氏作

53飛、イ52飛、42銀、同玉、31角、同玉、33飛成、32金、22金、41玉、32金、同飛、52銀、同玉、64桂、62玉、52金、同飛、同桂成、72玉、73飛、82玉、83飛成、ロ91玉、81龍、ハ同角、93龍、92角、82金迄29手
イ52金合は42銀、同玉、31角、同玉、33飛成、32飛合、22金、41玉、32金、51玉、41飛以下
ロ71玉は73龍右、72金打、同龍左、同角、62金、同歩、同成桂迄31手駒余り変長
ハ同玉は83龍、82合、92金、81玉、82金迄31手駒余り変長
 2手目が飛合と決まれば以下は容易で、13手目52銀の好手でひと段落です。以下左辺に追い込みますが、ロ、ハの変化が変長でスッキリしない仕上がりになっています。
 形幅氏は大道棋作家として著名で、著書の「大道棋奇策縦横」は永遠の名著です。1950年5月の旧パラが初入選で、平成元年にお亡くなりになられましたが、死後も森美憲氏が作品を紹介されたりして、T-BASEでは100作弱の作品が収録されていますが、森氏によると約150作となっています。作品の殆どが大道棋ですが、普通作品は本作を含め6作発表しておられるようです。
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第七十三番
新潟市沼垂鏡ケ岡二五
新潟鉄工所造船工場熔接工 三十八才
十級
山崎 乾三郎氏作

A24桂、22玉、32金、同銀、31銀、同玉、42銀、同玉、53と左、31玉、32桂成、同玉、33銀、同桂、43と寄、21玉、32銀、12玉、23銀成、同玉、33と寄、24玉、34と、イ25玉、37桂、15玉、16歩、14玉、26桂迄29手詰
イ15玉は16歩、14玉、26桂、25玉、37桂迄29手変同
Aで43銀、22玉、32金、同銀、同銀成、同玉、24桂、同歩、43銀、22玉、23銀、同玉、34と、22玉、23銀、31玉、32銀成迄17手早詰
 桂あれば打ってみよと24桂とすれば、22玉と交わす1手で以下気を付けるのは金や桂が無い形で12玉とされて絶対詰まない形に持ち込まれることです。そこで32金~31銀~42銀と回りくどい手順で33銀、同桂の形にさせて桂を入手して追えるようにするのです。21手目桂が入手出来て以下は簡単に詰みとなります。実戦形小駒図式としては序盤は先ず先ずの作品と思われましたが、初手43銀で早詰がありました。この手順は当時指摘されていて、下辺の駒が不要とも指摘されていました。指摘者の名前は書かれていません。
 山崎氏は1950年~1952年に旧パラに4作発表があります。手数は3手~29手で手筋物を中心に発表されました。
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第七十四番
新潟県南蒲原郡加茂町本町六五八
医師 何れ作家紹介で発表
橘 二叟氏作

63飛成、イ42玉、53角、32玉、31角成、23玉、33龍、14玉、13馬、25玉、24龍、36玉、14馬、45玉、46金、54玉、32馬、53玉、33龍、62玉、63龍、同金、同歩成、同玉、73金、52玉、53香、61玉、51香成、同玉、62金打迄31手
イで同金、同歩成、42玉、53角、32玉、43歩成、21玉以下不詰
 百人一局集の変化解説では、21玉で23玉・43金・43玉の変化は書いてあるが、この変化はない。不詰
 橘二叟はペンネームで本名は綿貫英助。
 橘氏の作品としては荒鷲の次に有名な作品で、趣向詰名作選第105番にも選ばれています。手順は強引ですが、初形から想像もつかない玉座での詰み上がりで好作と思われましたが、何と不詰でした。
 作家としてよりも、規約を制定した功績は大きいと思います。詰パラに発表した綿貫規約は案でしたが、以降鶴田主幹はこのルールを正規のルールとして扱いました。まあ、詰パラルールといったところでしょうか?
 本名での発表は2作で橘名義では例題などもあって数え難いのですが、10作弱。手数は3手~45手で発表期間は1936年~1966年となっています。捌き中心の中編が多いです。
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第七十五番
柏崎市大久保国立新潟療養所七の十二
無職 二十四才
棋級一級
沢田 燿男氏作

42銀、32玉、41銀左生、43玉、44歩、同玉、33銀生、同玉、22飛成、同玉、31角成、33玉、55角、同飛、45桂、44玉、35金、54玉、64馬、43玉、33桂成、同玉、55馬、42玉、33馬、同玉、32飛、43玉、52飛成、33玉、32銀成迄31手
 5手目の44歩~33銀生の好手を乗り切れば、以下は易しいながらも捨て駒連発で、気持ちよく詰上がります。44歩~33銀生、22飛成~31角成、55角~45桂、55馬~33馬と3手一組の捨て駒が組み合わさって、見事な出来栄えだと思います。
 沢田氏は本名、沢田多喜男で神奈川県のアマ強豪としても著名な方でしたが、その著書「横歩取りは生きている」は永遠の名著として名高い。また観戦記者としも神奈川新聞に多数の観戦記を執筆されている。元々、第1回看寿賞作家の北村研一氏の知人で将棋と詰将棋に傾倒されたそうです。この作品の発表時は結核療養中で、結核療養の話は将棋天国に書いておられたことを思い出します。
 詰将棋作家としての沢田氏は、1949~1955年にかけて12作、手数は7手~53手、将棋研究・旧パラ・近代将棋・将棋世界・将棋とチェス・将棋評論に発表されました。どの詰将棋も好作揃いで、沢田氏が詰将棋に集中しておられたら、どれだけの傑作をものにされたか思うと、残念でもあります。でも指将棋中心になられたからこその「横歩取りは生きている」の著作があるのでしょうから、仕方ないと思うのです。
 前述しましたが、北村研一氏の知人として、北村氏についての記事も書かれたり、未発表作品の紹介をされたり、詰将棋界に対する功績も大きい方です。




旧パラを検証する124

2018-06-10 16:18:00 | 旧パラ検証
旧パラを検証する124
第十号 百人一局集 15
第六十六番
岸和田市筋海町五七九
会社員 二十五才
十級(当地棋界)
川崎 弘氏作

A24銀、同桂、23飛成、同玉、32角、22玉、33桂成、同玉、43角成、22玉、32馬、11玉、21馬、同玉、54馬、11玉、44馬、21玉、43馬、11玉、33馬、22金、23桂、21玉、31と迄25手
A12飛成、同玉、15香、13歩、23角、同玉、14銀以下早詰
 24銀~23飛成の筋が見えれば以下は簡単です。54馬以下はミニ馬鋸が入ります。22手目の合駒は作意は金合ですが、非限定なのが少し気持ち悪い所です。ところが、Aで12飛成以下の早詰でした。
 川崎氏は盲点をつく不利感のある作品を多く発表され、先駆者でした。また、後世に残る構想作も多く残されました。詰将棋の論考や規約についても造詣が深く、多くの著述を残されました。大道詰将棋についても数々の画期的な改作を残されましたし、「銀問題の研究」「香歩問題新型の研究」も後世に残る論考です。作品集に「北斗」があり、作品や論考も入った読み応えのある作品集です。1950年~2009年にかけて約200作発表されました。発表先も将棋世界・近代将棋・詰将棋パラダイス(旧・新)等色々な雑誌に発表されました。手数は3手~57手で、短編~中編を主に発表されました。平成20年に84才でお亡くなりになられました。
 川崎氏は指将棋も好きで、将棋天国に古典定跡について書かれたことがあり、当時中学生だった私が将棋天国社に、川崎氏が触れていない変化について書いて送ったところ、川崎氏ご本人から、封書で直接自宅に丁寧なご回答が郵送されてきて、びっくりしたという思い出があります。それから四半世紀経って、詰将棋全国大会でお会いした時も、とてもご親切に対応していただき恐縮した記憶があります。
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第六十七番
京都市上京区南主税町一〇三三
無職 二十七才
二段
能村 荘一氏作

44龍、13玉、23金、同玉、34角、24玉、43角成、13玉、24龍、同玉、42馬、イ13玉、15飛、ロ14桂、同飛、同玉、15銀、25玉、17桂打、同と、37桂、16玉、43馬、15玉、25馬迄25手
イ33歩合は34飛、13玉、33飛成、23歩、14歩、同玉、25銀、13玉、22龍、(24銀、14玉23龍以下27手駒余りの順もあり)同玉、32と、13玉、31馬迄25手変同
ロ14香合は同飛、同玉、16香、(19香、17香合、同香、同と、15銀以下27手の順もあり)23玉、32馬、24玉、15銀、13玉、14銀、24玉、23馬迄25手変同
 初手44龍は5手目22玉とされた時に42龍と取る為の妙手、そして33金を34角と打ち替えて、33龍と入れるようにする。34角と打ち替えたのは、43角成と空き王手をして24龍~42馬と飛車を取る為で、この辺りの手順は見事です。問題はその後で、イ・ロの変化がいずれも変同でスッキリしません。この変化が割り切れていれば、17桂打~37桂の跳ね違いで終わり、先ず先ずだったと思います。
 能村氏は1947年~1951年に9作発表作があります。掲載誌は将棋評論に4作、旧パラに3作、将棋とチェス・旧王将に1作づつで、手数は9手~39手。密度の濃い中編が得意で、作品数は少ないものの好作を残しておられます。
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第六十八番
岡山県児島市味野三〇〇九
学生 二十二才
三級位
田中 道夫氏作

33龍、21玉、43角、12玉、34角成、21玉、23龍、22桂、12龍、32玉、22角成、同金、44桂、41玉、52桂成、31玉、42成桂、同玉、22龍、53玉、62龍、同玉、63金、51玉、52馬迄25手
☆田舎に住んでいるので先生に直接習ったことなし。評論、研究、世界等諸雑誌で学んだ。棋力も棋譜の鑑定をして貰いました。
★3手目いきなり23龍だと22桂合で詰まない所、43角~34角成としてからの23龍なら12龍を見て詰むという作品。その部分以下は淡々と進みますが、最後の62龍でスカットする解後感の良い作品。
 田中氏の発表作は本作品のみです。
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第六十九番
千葉市東本町九
無職 三十二才
二級
加藤 玄夫(ハルオ)氏作

52銀、42玉、A33歩成、同角、43銀生、イ31玉、52角成、ロ51桂、53馬、41玉、63馬、31玉、64馬、41玉、74馬、31玉、51飛成、同角、75馬、41玉、31馬、同玉、32歩、41玉、53桂迄25手
イで53玉は52角成、64玉、84飛成、65玉、54龍、66玉、57龍、65玉、54銀生、64玉、63馬迄
ロで51歩は53馬、41玉、52銀生、32玉、54馬、(31玉は32歩以下)43歩、同馬、31玉、53馬、42金、51飛成、32玉、42馬、同角、43金迄
Aで43銀生、31玉、52角成、51歩、(51桂は53馬、41玉、51飛成、同角、52銀成、32玉、44桂迄)53馬、41玉、52銀生、32玉、33歩成、同角、54馬、43歩、同馬、31玉、53馬、42金、51飛成、32玉、42馬、同角、43金迄余詰
 3手目33歩成が後に32歩を打つための伏線手で、同玉で脱出されそうに見える(実際は83飛成、34玉、41銀以下詰み)ので指し難いかも知れません。更に43銀生も馬鋸後を見据えた伏線です。そして7手目52角成の時に51歩合とされた時は、ロの変化中32歩が打てて詰みます。従って、桂合が最善となり、以下馬鋸で75馬と歩を取る前に51飛成とこのタイミングで取るのが肝要で、先に75馬だと同飛で71に合駒を打たれて詰まなくなります。以下はこの筋の常用手段の31馬以下吊るし桂で詰み上がります。
 ところで、この作品実は33歩成を省略しても、Aの手順で詰みます。単に33歩成の時期の非限定かと思いきや、51桂合だと早く詰んでしまうので、結局ロの変化に似たA手順で早詰みということになります。面白い作品だったので、残念なところでした。
 加藤氏は他にも有田辰次・加藤稔・加藤俊介等もペンネームで100作以上発表されました。解答強豪としても知られていました。また、双玉詰将棋は初めて創作したのは加藤氏の双玉大道棋であるとも言われております。大道詰将棋屋をしておられたこともあり、発表作以外にも大道棋の作品は多数にのぼります。余談ですが、三百人一局集の作者のキャッチフレーズに「不完全ゼロの大記録」とありましたが、この作品は不完全でした。
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第七十番
京都市上京区一條通御前通西入ル大東町用部九六
棕梠製品製造販売 二十五才
棋段級 十級
石川 広氏作

34桂、12玉、24桂、同香、22金、同銀、同桂成、同玉、23銀、同玉、32銀、イ12玉、21銀生、23玉、32馬、34玉、46桂、44玉、54馬、33玉、34歩、42玉、32銀成、52玉、64桂、61玉、72馬迄27手
イで22玉は34桂、12玉、21銀生、23玉、22桂成、14玉、26桂、15玉、16馬迄21手
 34桂から、ばらして行くしか手はありませんが、22金の精算の前に24桂、同香と抉じ開けて後の23銀を用意しておくところが肝要です。ただその部分を過ぎてしまうと、以下は流れ過ぎなので、私ならイの変化の22桂成、同玉、32馬、11玉、23桂迄21手で纏めたと思います。
 石川氏は1949年~1952年に7作発表作があります。発表誌は王将(旧)、旧パラ、将棋評論、詰棋界で手数は21手~37手。読みの入った合駒入りの中編が得意で、合駒の無い作品は本作のみで、本来の作風とは違う作品かもしれません。