旧パラを検証する125
第十号 百人一局集 16
第七十一番
鳥取県八頭郡賀茂村福本
農業 五十才
初段
三好 泰造氏作
74角、81玉、92金、72玉、82金、61玉、64香、63飛、62角成、同飛、同香成、同玉、63飛、52玉、33飛成、61玉、71金、同玉、73龍、72歩、83桂生、81玉、82歩、92玉、91桂成、同玉、93龍迄27手
☆昭和二年頃将棋新誌に処女作入選、其の後二十年作局中止。何分農事の余暇の楽しみで貧乏暇なし。大戦以来供出生産に追われています。
★これ以外の作品は全て大道棋の三好氏らしく、飛中合の出る作品。71歩の配置だけで詰将棋に仕上げた所がミソです。
三好氏は1950年~1956年に詰パラに5作、大道棋辞典に1作発表されました。手数は23手~51手で本作以外は大道棋です。作家としてよりも解答者として長い間活躍されました。
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第七十二番
北海道空知郡砂川局区内字豊沼
東洋高圧社宅二三区一三四号
会社工員(機械運転工)二十六才
五級位
形幅 清氏作
53飛、イ52飛、42銀、同玉、31角、同玉、33飛成、32金、22金、41玉、32金、同飛、52銀、同玉、64桂、62玉、52金、同飛、同桂成、72玉、73飛、82玉、83飛成、ロ91玉、81龍、ハ同角、93龍、92角、82金迄29手
イ52金合は42銀、同玉、31角、同玉、33飛成、32飛合、22金、41玉、32金、51玉、41飛以下
ロ71玉は73龍右、72金打、同龍左、同角、62金、同歩、同成桂迄31手駒余り変長
ハ同玉は83龍、82合、92金、81玉、82金迄31手駒余り変長
2手目が飛合と決まれば以下は容易で、13手目52銀の好手でひと段落です。以下左辺に追い込みますが、ロ、ハの変化が変長でスッキリしない仕上がりになっています。
形幅氏は大道棋作家として著名で、著書の「大道棋奇策縦横」は永遠の名著です。1950年5月の旧パラが初入選で、平成元年にお亡くなりになられましたが、死後も森美憲氏が作品を紹介されたりして、T-BASEでは100作弱の作品が収録されていますが、森氏によると約150作となっています。作品の殆どが大道棋ですが、普通作品は本作を含め6作発表しておられるようです。
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第七十三番
新潟市沼垂鏡ケ岡二五
新潟鉄工所造船工場熔接工 三十八才
十級
山崎 乾三郎氏作
A24桂、22玉、32金、同銀、31銀、同玉、42銀、同玉、53と左、31玉、32桂成、同玉、33銀、同桂、43と寄、21玉、32銀、12玉、23銀成、同玉、33と寄、24玉、34と、イ25玉、37桂、15玉、16歩、14玉、26桂迄29手詰
イ15玉は16歩、14玉、26桂、25玉、37桂迄29手変同
Aで43銀、22玉、32金、同銀、同銀成、同玉、24桂、同歩、43銀、22玉、23銀、同玉、34と、22玉、23銀、31玉、32銀成迄17手早詰
桂あれば打ってみよと24桂とすれば、22玉と交わす1手で以下気を付けるのは金や桂が無い形で12玉とされて絶対詰まない形に持ち込まれることです。そこで32金~31銀~42銀と回りくどい手順で33銀、同桂の形にさせて桂を入手して追えるようにするのです。21手目桂が入手出来て以下は簡単に詰みとなります。実戦形小駒図式としては序盤は先ず先ずの作品と思われましたが、初手43銀で早詰がありました。この手順は当時指摘されていて、下辺の駒が不要とも指摘されていました。指摘者の名前は書かれていません。
山崎氏は1950年~1952年に旧パラに4作発表があります。手数は3手~29手で手筋物を中心に発表されました。
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第七十四番
新潟県南蒲原郡加茂町本町六五八
医師 何れ作家紹介で発表
橘 二叟氏作
63飛成、イ42玉、53角、32玉、31角成、23玉、33龍、14玉、13馬、25玉、24龍、36玉、14馬、45玉、46金、54玉、32馬、53玉、33龍、62玉、63龍、同金、同歩成、同玉、73金、52玉、53香、61玉、51香成、同玉、62金打迄31手
イで同金、同歩成、42玉、53角、32玉、43歩成、21玉以下不詰
百人一局集の変化解説では、21玉で23玉・43金・43玉の変化は書いてあるが、この変化はない。不詰
橘二叟はペンネームで本名は綿貫英助。
橘氏の作品としては荒鷲の次に有名な作品で、趣向詰名作選第105番にも選ばれています。手順は強引ですが、初形から想像もつかない玉座での詰み上がりで好作と思われましたが、何と不詰でした。
作家としてよりも、規約を制定した功績は大きいと思います。詰パラに発表した綿貫規約は案でしたが、以降鶴田主幹はこのルールを正規のルールとして扱いました。まあ、詰パラルールといったところでしょうか?
本名での発表は2作で橘名義では例題などもあって数え難いのですが、10作弱。手数は3手~45手で発表期間は1936年~1966年となっています。捌き中心の中編が多いです。
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第七十五番
柏崎市大久保国立新潟療養所七の十二
無職 二十四才
棋級一級
沢田 燿男氏作
42銀、32玉、41銀左生、43玉、44歩、同玉、33銀生、同玉、22飛成、同玉、31角成、33玉、55角、同飛、45桂、44玉、35金、54玉、64馬、43玉、33桂成、同玉、55馬、42玉、33馬、同玉、32飛、43玉、52飛成、33玉、32銀成迄31手
5手目の44歩~33銀生の好手を乗り切れば、以下は易しいながらも捨て駒連発で、気持ちよく詰上がります。44歩~33銀生、22飛成~31角成、55角~45桂、55馬~33馬と3手一組の捨て駒が組み合わさって、見事な出来栄えだと思います。
沢田氏は本名、沢田多喜男で神奈川県のアマ強豪としても著名な方でしたが、その著書「横歩取りは生きている」は永遠の名著として名高い。また観戦記者としも神奈川新聞に多数の観戦記を執筆されている。元々、第1回看寿賞作家の北村研一氏の知人で将棋と詰将棋に傾倒されたそうです。この作品の発表時は結核療養中で、結核療養の話は将棋天国に書いておられたことを思い出します。
詰将棋作家としての沢田氏は、1949~1955年にかけて12作、手数は7手~53手、将棋研究・旧パラ・近代将棋・将棋世界・将棋とチェス・将棋評論に発表されました。どの詰将棋も好作揃いで、沢田氏が詰将棋に集中しておられたら、どれだけの傑作をものにされたか思うと、残念でもあります。でも指将棋中心になられたからこその「横歩取りは生きている」の著作があるのでしょうから、仕方ないと思うのです。
前述しましたが、北村研一氏の知人として、北村氏についての記事も書かれたり、未発表作品の紹介をされたり、詰将棋界に対する功績も大きい方です。
第十号 百人一局集 16
第七十一番
鳥取県八頭郡賀茂村福本
農業 五十才
初段
三好 泰造氏作
74角、81玉、92金、72玉、82金、61玉、64香、63飛、62角成、同飛、同香成、同玉、63飛、52玉、33飛成、61玉、71金、同玉、73龍、72歩、83桂生、81玉、82歩、92玉、91桂成、同玉、93龍迄27手
☆昭和二年頃将棋新誌に処女作入選、其の後二十年作局中止。何分農事の余暇の楽しみで貧乏暇なし。大戦以来供出生産に追われています。
★これ以外の作品は全て大道棋の三好氏らしく、飛中合の出る作品。71歩の配置だけで詰将棋に仕上げた所がミソです。
三好氏は1950年~1956年に詰パラに5作、大道棋辞典に1作発表されました。手数は23手~51手で本作以外は大道棋です。作家としてよりも解答者として長い間活躍されました。
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第七十二番
北海道空知郡砂川局区内字豊沼
東洋高圧社宅二三区一三四号
会社工員(機械運転工)二十六才
五級位
形幅 清氏作
53飛、イ52飛、42銀、同玉、31角、同玉、33飛成、32金、22金、41玉、32金、同飛、52銀、同玉、64桂、62玉、52金、同飛、同桂成、72玉、73飛、82玉、83飛成、ロ91玉、81龍、ハ同角、93龍、92角、82金迄29手
イ52金合は42銀、同玉、31角、同玉、33飛成、32飛合、22金、41玉、32金、51玉、41飛以下
ロ71玉は73龍右、72金打、同龍左、同角、62金、同歩、同成桂迄31手駒余り変長
ハ同玉は83龍、82合、92金、81玉、82金迄31手駒余り変長
2手目が飛合と決まれば以下は容易で、13手目52銀の好手でひと段落です。以下左辺に追い込みますが、ロ、ハの変化が変長でスッキリしない仕上がりになっています。
形幅氏は大道棋作家として著名で、著書の「大道棋奇策縦横」は永遠の名著です。1950年5月の旧パラが初入選で、平成元年にお亡くなりになられましたが、死後も森美憲氏が作品を紹介されたりして、T-BASEでは100作弱の作品が収録されていますが、森氏によると約150作となっています。作品の殆どが大道棋ですが、普通作品は本作を含め6作発表しておられるようです。
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第七十三番
新潟市沼垂鏡ケ岡二五
新潟鉄工所造船工場熔接工 三十八才
十級
山崎 乾三郎氏作
A24桂、22玉、32金、同銀、31銀、同玉、42銀、同玉、53と左、31玉、32桂成、同玉、33銀、同桂、43と寄、21玉、32銀、12玉、23銀成、同玉、33と寄、24玉、34と、イ25玉、37桂、15玉、16歩、14玉、26桂迄29手詰
イ15玉は16歩、14玉、26桂、25玉、37桂迄29手変同
Aで43銀、22玉、32金、同銀、同銀成、同玉、24桂、同歩、43銀、22玉、23銀、同玉、34と、22玉、23銀、31玉、32銀成迄17手早詰
桂あれば打ってみよと24桂とすれば、22玉と交わす1手で以下気を付けるのは金や桂が無い形で12玉とされて絶対詰まない形に持ち込まれることです。そこで32金~31銀~42銀と回りくどい手順で33銀、同桂の形にさせて桂を入手して追えるようにするのです。21手目桂が入手出来て以下は簡単に詰みとなります。実戦形小駒図式としては序盤は先ず先ずの作品と思われましたが、初手43銀で早詰がありました。この手順は当時指摘されていて、下辺の駒が不要とも指摘されていました。指摘者の名前は書かれていません。
山崎氏は1950年~1952年に旧パラに4作発表があります。手数は3手~29手で手筋物を中心に発表されました。
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第七十四番
新潟県南蒲原郡加茂町本町六五八
医師 何れ作家紹介で発表
橘 二叟氏作
63飛成、イ42玉、53角、32玉、31角成、23玉、33龍、14玉、13馬、25玉、24龍、36玉、14馬、45玉、46金、54玉、32馬、53玉、33龍、62玉、63龍、同金、同歩成、同玉、73金、52玉、53香、61玉、51香成、同玉、62金打迄31手
イで同金、同歩成、42玉、53角、32玉、43歩成、21玉以下不詰
百人一局集の変化解説では、21玉で23玉・43金・43玉の変化は書いてあるが、この変化はない。不詰
橘二叟はペンネームで本名は綿貫英助。
橘氏の作品としては荒鷲の次に有名な作品で、趣向詰名作選第105番にも選ばれています。手順は強引ですが、初形から想像もつかない玉座での詰み上がりで好作と思われましたが、何と不詰でした。
作家としてよりも、規約を制定した功績は大きいと思います。詰パラに発表した綿貫規約は案でしたが、以降鶴田主幹はこのルールを正規のルールとして扱いました。まあ、詰パラルールといったところでしょうか?
本名での発表は2作で橘名義では例題などもあって数え難いのですが、10作弱。手数は3手~45手で発表期間は1936年~1966年となっています。捌き中心の中編が多いです。
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第七十五番
柏崎市大久保国立新潟療養所七の十二
無職 二十四才
棋級一級
沢田 燿男氏作
42銀、32玉、41銀左生、43玉、44歩、同玉、33銀生、同玉、22飛成、同玉、31角成、33玉、55角、同飛、45桂、44玉、35金、54玉、64馬、43玉、33桂成、同玉、55馬、42玉、33馬、同玉、32飛、43玉、52飛成、33玉、32銀成迄31手
5手目の44歩~33銀生の好手を乗り切れば、以下は易しいながらも捨て駒連発で、気持ちよく詰上がります。44歩~33銀生、22飛成~31角成、55角~45桂、55馬~33馬と3手一組の捨て駒が組み合わさって、見事な出来栄えだと思います。
沢田氏は本名、沢田多喜男で神奈川県のアマ強豪としても著名な方でしたが、その著書「横歩取りは生きている」は永遠の名著として名高い。また観戦記者としも神奈川新聞に多数の観戦記を執筆されている。元々、第1回看寿賞作家の北村研一氏の知人で将棋と詰将棋に傾倒されたそうです。この作品の発表時は結核療養中で、結核療養の話は将棋天国に書いておられたことを思い出します。
詰将棋作家としての沢田氏は、1949~1955年にかけて12作、手数は7手~53手、将棋研究・旧パラ・近代将棋・将棋世界・将棋とチェス・将棋評論に発表されました。どの詰将棋も好作揃いで、沢田氏が詰将棋に集中しておられたら、どれだけの傑作をものにされたか思うと、残念でもあります。でも指将棋中心になられたからこその「横歩取りは生きている」の著作があるのでしょうから、仕方ないと思うのです。
前述しましたが、北村研一氏の知人として、北村氏についての記事も書かれたり、未発表作品の紹介をされたり、詰将棋界に対する功績も大きい方です。