将棋雑記

将棋に関する雑感を書き散らしています。

旧パラを検証する87

2014-10-02 18:48:00 | 旧パラ検証
旧パラを検証する87
第九号4

前回に引き続き、つれづれ草のコーナー(読者サロン)から。
新傾向 岡田公平(静岡市)・・・プロ棋士の作品が、お粗末(盗作や不完全の多さ)な事を指摘し、静岡民報でアマチェアの新作詰将棋を募集し始めたことを評価する内容。ちなみに、選者は広津六段(地元の棋士です。)で第1回の掲載作はこの当時活躍された眞木一明氏の作品でした。(残念ながら不完全)
川柳 愛知 渡辺 堯・・・・詰将棋の川柳
幼き頃 鈴木 茂生(東京)・・・十三歳の時に大道詰将棋をやった経験談
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 続いて「将棋漫談 酔棋率B/Aについて 宮本 弓彦」
これは、Aが自分の棋力でBを相手の棋力として、相手の実力が大きければ、酔棋率(将棋に酔っぱらって弱くなる率)が大きくて。自分の棋力が高ければ小さくなるという考え方を披露しています。
 次に順位戦の表を載せ(A・B・C(甲)・C(乙)の4クラス)その展望を書いている。面白いのはC級(乙)で順位戦なのにアマが三名も参加していて、全十二戦でこの時点で。宮本アマ3-5、加納アマ4-3、内山アマ3-4であることです。この当時はアマのレベルが高かったというより、同じプロでもA級とC(乙)では大駒一枚位実力が違っていたということではないでしょうか?
 新版 ヘタの横槍 第六回 前田 三桂・・・今までヘタの横槍は全部再録してきましたが、今回は余りに意味が無いので省略します。というのも、板谷八段とアマ初段(といっても昔の初段なのでアマ名人戦の愛知県代表)のアマ名人戦代表の激励会の角落ちの指導対局が題材で、この当時だと駒割は飛車落位が妥当なのに、角落ちでA級棋士が相手では手合い違いで上手の大差勝の局面で上手が詰みを逃したことを揶揄する内容。席上対局の指導将棋で大差の局面で詰まさなかったことを揶揄する意味は流石に無いと思います。その詰手順は、詰まさなければ敗けの局面なら当然詰ましたでしょうし、、、。
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大道棋大道五目遍歴二十年(完) 大道棋人
 平凡な人生の平凡な遍歴二十年も本号で回を重ねること七回。漸く終末となったようである。勿論これで人生が終わるのではない。これから又新しい一歩が始まるのだが、、、。
 塘沽艀頭に別れを告げた我々の引揚船は機雷を警戒しつつやっと十月三十日博多に辿りついた。それは全く辿り着いたのであった。
 敗戦に打ちひしがれ着のみ着のままとなった引揚者が、空爆の跡も生々しい祖国の地に辿りついたのであった。将来への希望の見えない灰色の故国に疲れ切ってよろよろと皈り着いたのである。その当時誰が今日の復興振りを予想したであろうか。港で売っていた黄青いみかんの色が今でも印象強く残っているが、一体日本がどう変わってゆくものか誰も知らない。唯流れに身を任して動物の如く食べ動物の如く排泄しそして老いてゆく運命。
 それがアメリカから我々に与えられた運命とのみ信じ込んでいるに過ぎなかった。
 再び貨物列車に乗せられて故郷へ。荷物扱いから解放されぬ哀れな引揚者。
 精根を使い果たした後の虚脱状態にある日本の様としては当然の待遇だったかも知れぬ。
 それでも流石に日本の山は美しい。森は紅葉し、野も亦懐かしい。歩いて渡れぬ玄界灘の向う側に居た時とは全然違うこの気持。安らかに死んでゆける気持を抱かせてくれる破れた国土。ああやつり故山はよきものである。所詮我々はこの一小島嶋に跼蹐すべき宿命なんだね。
 それから四年。五年。占領政策よろしきを得て今日の日本を迎えた。まだまだ不満は沢山あろう。然し今日、甘藷の茎で腹を満たしたり、茄子の葉を煙草の代りに喫んだり、メチールと知りつつ飲んで眼がつぶれたりする人は絶無でもあるまいが我々の周囲には居ないであろう。
 それ所ではない。将棋界の復興振りはどうであろうか。将棋の雑誌だけ見ても戦前を遥かに凌ぐ盛況である。最近王将、将棋時代、将棋教室と相ついで没落したが、それでもまだ戦前よりは優勢である。棋運寔に隆盛なりとして慶賀に堪えない。
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 私はこの小文に題するに大道棋大道五目を冠した。然しその内容に至りては徒に平凡な自己の略歴を述べて来たに過ぎなかった。御愛読賜った方々には全く申訳ない。然し私がこの迷文を連載するに到った真意は、私の二十年の経歴を通じて大道棋並大道五目の動向を説き、それが棋界の興隆に如何なる関係を持ったかに言及したかたのであるが、筆はあらぬ方に逸れて了うし、而も力量は不足し到底その目的を達成しない儘大詰に来て了っつた。その罪寔に軽からずと恐縮している。
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 棋書の全部を外地に放棄して来た身が、如何にして「秘手五百番」を編著し更に小誌に引続きその研究を連載しつつあるか聞きたい処でありましょう。その種明かしは極めて簡単であり「熱と努力」の基礎の上に幸運の女神があつた。その恩人は惜しくも若くして亡くなられた京都の亀井昭造氏であり、同氏のコレクションが七〇〇題位ありそれがそつくり私の許へ届けられた。その事の功労者が本誌の中学校担任の二段柴田龍彦氏である。かくて私独力の蒐集五百以上に加えて千題をオーバーする大道棋がノートされ更に諸氏の所から新作改作が届けられて小誌を中心として大道棋王国が築かれつつある次第。更に大道五目についてはもともと小生自身心得のある処へ名古屋市在住の某大道五目屋から相当数の問題を譲られたのと、全国各地からも続々新題が寄せられつつある。かくの如き次第にて小誌が他に見られ得ぬ独特の新生面を拓きつつあることは諸氏の愛情の発露として衷心感謝に堪えません。
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 既に歳末。一九五〇年も残余少し。諸氏の御健康と御繁栄を心から祈念してこの小文の結びと致します。