この度、温故知新発掘隊は、将棋月報昭和17年2月号より三上毅作の捌き科の名作の発掘に成功した。本来三上属は難解科に属するが捌き科においても名作を残していたことが発見されたことになる。
捌き科は昭和初期頃から発見され、昭和20年~40年代にかけて大関属・大井属といった作品により大いに栄えたが、昭和も後期になると、「妙手がない」「だらだらと長いだけ、C」といった迫害を受け数が激減し、平成に入って完全に絶滅した。
同発掘隊は今後も絶滅に瀕したレッドデータ作品の発掘に全力を傾けるとしており、今後の調査が待たれるところである。
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と新聞記事風にまとめてみました。
実は上記の作品は三上氏の作品集「木葉8番」でもあるので、全く知られていない作品、というわけではありません。
昭和55年「木葉」発売に伴い、三上氏が東京に来られ、「詰朗会」に参加され、上記の作品を出題され、1番に解けた人に「木葉」を進呈することになった。当時の私では簡単には解けなかったが、直に他のメンバーが解いてしまったのには驚いたものでした。昭和17年の将棋月報の評を読むと、当時はこの作品は難解な作品であったようだ。今なら手数は長いが、難しくないという評価のはずである。この辺は解答技術も格段に進歩したことの証明にもなるのだろうと思う。
この間たまたま「木葉」を見ていてそんなことを思い出したので、昔話を書いてみました。
付記:作者としても作品集の中からこれを出題したところから考えて、お気に入りの作品だったのかなあ?と思います。
捌き科は昭和初期頃から発見され、昭和20年~40年代にかけて大関属・大井属といった作品により大いに栄えたが、昭和も後期になると、「妙手がない」「だらだらと長いだけ、C」といった迫害を受け数が激減し、平成に入って完全に絶滅した。
同発掘隊は今後も絶滅に瀕したレッドデータ作品の発掘に全力を傾けるとしており、今後の調査が待たれるところである。
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と新聞記事風にまとめてみました。
実は上記の作品は三上氏の作品集「木葉8番」でもあるので、全く知られていない作品、というわけではありません。
昭和55年「木葉」発売に伴い、三上氏が東京に来られ、「詰朗会」に参加され、上記の作品を出題され、1番に解けた人に「木葉」を進呈することになった。当時の私では簡単には解けなかったが、直に他のメンバーが解いてしまったのには驚いたものでした。昭和17年の将棋月報の評を読むと、当時はこの作品は難解な作品であったようだ。今なら手数は長いが、難しくないという評価のはずである。この辺は解答技術も格段に進歩したことの証明にもなるのだろうと思う。
この間たまたま「木葉」を見ていてそんなことを思い出したので、昔話を書いてみました。
付記:作者としても作品集の中からこれを出題したところから考えて、お気に入りの作品だったのかなあ?と思います。